〈4−3〉 苦労人従者のとある一日 後編
二時間ほど仮眠を取ったアルカスは、王都に買い出しへ出ていた。
久しぶりにしっかりと睡眠を取り、随分頭がすっきりした。
また、あの娘に礼を言わねばならない。菓子折りでも持っていこうか。
「今のおすすめはオレンジだよ! ちょいと高いけど、美味しいのがいっぱい揃ってるからね!」
そんなことを考えていると、活気の良い声が飛んできた。
声の主は、青果店の店主だ。アルカスと同年代くらいの、ふくよかな女性である。
青果店といえど、王都の青果店。品揃えは非常に豊富で、珍しい品も取り揃えている。
なので、採れる場所が限られ、高級品である柑橘類も取り揃えているのだ。
(⋯⋯柑橘はやめておこう)
体に良いかもしれないが、心に良くない。ノクスがそう言っていたばかりである。
そういえば、後でカロンをとっ捕まえなければ。
悪ふざけをするんじゃないと叱っておかないといけない。
一緒にいる時間がほとんどなかった娘に、父親ぶるのもなんだが。
果物ならノクスも食べられるだろうかと思い、アルカスは立ち止まって訊ねる。
「何か、他におすすめはありますか? できれば、風邪や咳に良いものを」
「風邪かい? じゃあ、リンゴだね。ちょうど旬だから、美味しいよ!」
店主は大量に積み重なったリンゴを手で示す。
赤々としたリンゴは、いかにも瑞々しくて美味しそうだ。
『リンゴが赤くなると医者が青くなる』、『一日一個のリンゴは医者を遠ざける』なんていう言葉があるので、確かに風邪に良いのだろう。
ちなみにリンゴには、生活習慣病予防や免疫力の向上、貧血予防などの効果があるとされている。
リンゴの花の花言葉は優先、好み、選択、選ばれた恋など。
その一方で、実の花言葉には誘惑や後悔などがあるそう。
(そういえば、美味しいリンゴの見分け方を教えてもらったな)
誰にかは言わずもがな。
効能や花言葉もセットで教えてくれた、くだんの花屋である。
皮に張りがあり、色が濃く、艶があるもの。
底部は緑ではなく、黄色っぽいもの。
軽く叩いた時に、コンコンと高く硬い音がしていると、果肉が詰まっている証拠。
果皮の表面に果点があるものは、鮮度が高い――他にも、数え切れぬほど教えてもらった。
正直に言うと、全てを覚えきれていない。
あの娘の興味と知識は、植物一点に注がれているのだろうと感じるほどだ。
セレネの言葉を反芻しつつ、アルカスはリンゴを選ぶ。
他にも色々と買い、夕暮れが近い時刻となった。
青い空は、夕焼け色に染まり始めている。
セレネとノクスの若者二人はどうしているかと考えながら、アルカスは帰路についた。
◇◆◇
「⋯⋯お帰りなさいませ」
主の私室に戻ると、何やら渋い顔をしたセレネがいた。
アルカスは何事かと部屋を覗き込む。
そして、買い物に行っている間はなかったシワを、眉間に刻んだ。
部屋の中では、ノクスがすやすやと寝息を立てていた。
それならば良い。それだけならば、良い。
「なんか、蓑虫みたいですよね」
半目になって言うセレネ。辛辣だ。
本当に、蓑虫でも見るような目である。彼女にとっては、今のノクスと蓑虫は大差ないのかもしれない。
木にぶら下がって揺れる蓑虫を想像しつつ、アルカスは遠い目をする。
セレネ曰く、寝返りを打とうと思えば失敗して、こうなったそう。
咳がいくらか落ち着いたノクスは蓑虫の如く毛布にくるまり、すやすやと眠っている。
ベッドではなく、床の上で。
毛の長い絨毯の上だから多少は柔らかく、暖かいのかもしれない。
けれども土足で歩く場所である。
何故こうなったのか。甚だ疑問だ。
アルカスは切って持ってきたリンゴを机の上に置く。
ノクスの側にしゃがみ込み、体を軽く揺さぶる。
「ノクス様。寝るならベッドの上で寝てください」
返事の代わりに、気持ちよさそうな寝息が返ってきた。えらく熟睡している。
「寝る前に、薬を飲んだりしていましたか?」
「いいえ。私はただ、歌えと言われたので子守唄を歌っただけですが」
半ば棒読みの返事が返ってきた。呆れて言葉も出ないのだろう。
その子守唄に、怪しい魔術でもかけられていたのか。
そう疑いたくなるくらい、ノクスは寝ている。
基本的に、睡眠薬を飲まねば眠れぬはずなのだが。
眠れたとしても、必ずといっていいほど悪夢に魘される。その様子すらない。
「ノクス様、風邪をひきますよ」
「⋯⋯もうひいてるから、だいじょぶ⋯⋯」
まだ半分寝ているノクスはたどたどしくそう言い、鼻を啜る。
言われてみれば、確かにそうだが。
背後からため息が聞こえた。言うまでもなく、セレネのものだ。
ひとまず、彼女を先に帰したほうが良いだろう。
夜も賑やかな王都と言えど、年頃の少女が一人で夜道を歩くなど危ない。
「今日はありがとうございました、エストレラ嬢。良ければ、帰りの馬車を手配いたしますが」
今日はかなり助かった。
子守唄を歌って、寝かしつけまでしてもらって。
セレネはやんわりと首を横に振る。
「いいえ、お気になさらず。今日は商店街に寄って帰りますので」
「そうですか。では、お気をつけてお帰りください」
王城の門まで送ってやりたいが、まずは床で寝ているノクスをどうにかせねばなるまい。
さらに一言二言交わし、セレネは帰っていった。
再び二人になった部屋は、しんと静まり返っている。
チラチラと舞う埃は陽の光を受け、まるで夜空の星のように瞬いていた。
アルカスはもう一度、ノクスを揺さぶる。
「ノクス様、起きてください」
「やだぁ⋯⋯このままねるの⋯⋯」
「我儘言わずに」
「⋯⋯わがまま、じゃない」
ノクスはもぞもぞと身じろぎをし、拗ねた子どもの如くアルカスに背を向ける。
勿論、床の上でである。
この光景を見たら、一体何人が卒倒するだろうか。
「よっつめぼしで、おやすみなさい⋯⋯」
そう呟くと、ノクスはまたすやすやと寝息を立て始めた。
一体、何の夢を見ているのやら。
「ちゃんとベッドの上で休んでください」
アルカスはそう言い、数十分かけて何とかノクスをベッドの上にあげることに成功した。
太陽は半分顔を隠し、薄暗くなった空には一番星が輝いている。
「リンゴがあるので、少しだけでも食べましょう。そうしたら、薬を飲んで寝れますよ」
「⋯⋯んん、わかった」
一口サイズに切ったリンゴを、ノクスは手でつまんで食べていく。
それでも食欲はあまりないようで、一欠片を小さな口でかじりながら食べていた。
「このリンゴ、おいしい、ね」
まだ半分寝ている様子のノクスは、吃りながらぽつりぽつりと言葉を零す。
アルカスも毒見のために一欠片食べたが、シャキッとした食感と果汁の新鮮さ、甘さが抜群だった。
「エストレラ嬢の言葉を守り、選ばせていただきました」
「さすがセレネ、だね」
ノクスは淡く笑い、果汁のついた指を舐める。
布巾を差し出すと「甘いからこれで良い」と言われた。勿論、ちゃんと指は拭かせた。
三欠片食べ終えると、ノクスは薬を飲み、横になった。
しばらくすると、安らかな寝息が聞こえてくる。
午前に比べて、体調は随分良くなった。
このままなら、明日か明後日には職務復帰できそうだ。
衣擦れの音がしたと思えば、くすりと楽しそうな声が聞こえた。
どんな夢を見ているのやら。きっと、幸せな夢なのだろう。
何だか微笑ましい気持ちになりながら、アルカスは余ったリンゴをどうしようか考えた。
このまま置いておけば、酸化して茶色くなってしまう。
パイにするのも良いし、蜂蜜をかけて焼くのも良い。
息を呑むほど美しい満天の星空を見上げ、アルカスはどうすれば主が喜んでくれるかと考えた。
美味しいリンゴの見分け方、本文に記した以外も結構あります。
面白いので、是非調べてみてください。




