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沈黙の花  作者: ななせいな
四章 思い出の花
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〈4−2〉 苦労人従者のとある一日 前編

 宮廷管理官、ノクス・フェリスの従者アルカス・クレット氏は、知る人ぞ知る苦労人である。


 彼のことを簡単に言うなら、年中無休で眉間のシワが絶えず、最近ちょっと生え際が気になってきた恐妻家の三十八歳である。


 ちなみに、娘と息子が一人ずついる。

 数年前には、孫も生まれた。仕事があるので、未だに抱けていないが。


 そんなアルカス・クレット氏は、(あるじ)の看病にせっせと勤しんでいた。


 額の汗を拭き、規則的な間隔を開けて水やぬるい蜂蜜湯を飲ませる。

 時折、窓を開けて換気をしたり、部屋の温度を一定に保つことも忘れない。


 アルカスが今の主に仕えるようになったのは、ちょうど十年前からだ。


 それまでは、別の少年が仕えていた。

 幼い主はその少年によく懐き、兄のように慕っていたという。


 ノクスは湯気が立たぬほどにぬるくした蜂蜜湯を、ちびちびと舐めるように飲む。

 まだ熱があるようで顔は少し赤く、目もとろんとしていた。


 三口ほど飲んだところで、ノクスはケホケホと乾いた咳をする。

 その合間に、ヒューヒューと苦しそうな呼吸音が聞こえていた。


 アルカスは蜂蜜湯の入った器を受け取り、机に置いて尋ねる。


「横になりますか?」

「いいや、座っている方が、楽だから⋯⋯」


 言葉を途切れ途切れに紡ぎ、ノクスはまた咳をする。

 そうして苦しげに呼吸をするノクスは、ぼんやりと外の景色を眺めていた。


 新年の儀が行われている期間中なので、特に王城や宮廷には人通りが多い。

 貴族たちが次々と馬車から降り、王城目指して歩いている姿が、三階からはよく見える。


 アルカスは物音を立てぬよう、静かに薬の用意をする。

 ちょうどその時、コンコンと軽く扉を叩く音が聞こえた。


「失礼いたします。お客様のようですが⋯⋯」


 扉の向こうから、女の声が聞こえた。

 この部屋を知る者はごく僅か。大凡、いつもの侍女と言ったところだろう。


 アルカスはノクスの方を見る。

 ノクスがこくりと頷いたので、扉を少し開ける。


 廊下にいたのは、見慣れた顔の侍女ともう一人。

 花屋の少女、セレネ・エストレラだ。


「ごきげんよう、アルカス様。花の配達に来ました」


 ノクスは定期的に、セレネの元から花を買っている。

 どうやら、今日がその配達日だったようだ。すっかり忘れていた。


 何でこんなところにいるんだ、とセレネの表情が物語っている。

 驚くのも、訝しむのも無理はない。


「ありがとうございます」


 礼を言い、セレネから花を受け取る。


「しっかり休んでおられますか?」

「えぇ」


 アルカスは頷く。

 ノクスにはしっかりと薬を飲ませ、十分に休ませている。


「アルカス様、(くま)がひどいですが」

「⋯⋯? 私ですか?」

「はい。随分とひどい顔ですよ」


 心配するような素振りは見せないが、ただある事実を述べるように言う。

 ということは、事実なのだろう。


 そういえば、ここ二日ほどは看病につきっきりでほとんど寝ていなかったなと思い出した。


 他人には興味がなさそうなこの娘だが、こういうところの気配りはできるらしい。

 養父が薬師なせいなのだろうか。


「医者は呼んでいないのですか?」

「えぇ、まぁ⋯⋯そうですね」


 セレネは目を細める。それは、不審に思うだろう。


 医者を一人でも呼べば、アルカスに休む時間は自然とできるものだ。

 そして、高貴な身分の者には侍医がついているものである。


 不審に思っても踏み込まないのが、この娘を重宝する理由の一つだ。


「休まないと、アルカス様の体が持ちませんよ」

「そう、ですね」


 アルカスは戸惑いつつ答える。自覚はしているからだ。

 だがしかし、ノクスから目を離すわけにはいかない。


「じゃあ、こうしたら、どう⋯⋯?」


 掠れた声は、背後から聞こえた。一連の流れをずっと見ていたノクスだ。


「セレネが私の看病をする。アルカスはその間に休む。部屋にいてくれるだけで、良いから⋯⋯」


 そう言って、ノクスは頼りなさげに笑う。

 誰かの手を煩わせるのが、申し訳ないと思っているのだろう。


「⋯⋯私は薬師ではありませんが」


 本人はそう言うが、植物学、薬学に精通しているこの娘だ。

 加えて養父は薬師なので、看病の心得はあるだろう。


 暗殺などという真似はしないと信じたい。そこは信頼関係である。


「セレネ⋯⋯暇なん、でしょ?」


 ノクスはどこか揶揄(からか)うように、けれども力なく言う。

 その言葉に、セレネはうぐっと呻く。どうやら、本当に暇らしい。


「⋯⋯ノクス様がとアルカス様がよろしいのなら。私はどうせ、暇なので」


 少し頬を膨らませ、不貞腐れたようにセレネは言う。


 核心の一撃を食らうと、根に持つタイプらしい。

 まだまだ若いなぁ、とくたびれた三十代は思った。


「では、お任せしてもよろしいでしょうか」

「はい。ゆっくり休んでください」


 今の時刻が昼過ぎ。セレネは夕刻までいてくれるらしい。

 もう少し短くても良いのだが、しつこく言われたので甘えることにしよう。


 ひとまず、数時間ほど仮眠を取って、買い出しにでも行こうか。


 先のことを考えつつ、アルカスは王城内にある仮眠室を目指すことにした。

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