〈4−1〉 寝る人、寝込む人
年が明け、そこから一週間は王都の人通りが著しく多くなる。
国内貴族がこぞって王城へ行き、国王に新年の挨拶を述べに行くためだ。
かといって、花屋の客が多くなるかと問われれば、否である。
年明けて十八歳になったセレネは、カウンターで頬杖をついて退屈していた。
手が勝手に動くせいで、バラの花弁がどんどん食べられてゆく。美味しい。
宮廷も貴族が多く、医局で暇つぶししようにもいまいち気が向かない。
王都はさらに人が多いだろう。人混みはあまり好きでない。
近くの街に出ようにも、乗合馬車はきっと乗れない。庭弄りも済ませてしまった。
(よし、寝よう)
こういう時は、睡眠に限る。
セレネはカウンターにうつ伏せになると、寝息を立て始めた。
こうして、花屋の新年はいつも通りの寂しさで過ぎていくのである。
◇◆◇
暇つぶしに寝る花屋もいれば、体調不良で寝込む管理官もいた。
「だから季節の変わり目大嫌い⋯⋯」
不明瞭にごもごも話して寝返りを打つのは、新年早々絶賛体調不良中の宮廷管理官、ノクス・フェリスである。
季節の変わり目に体調を崩す。
幼い頃は毎回そうだったが、成長するにつれてそれも少なくなった。
こんなに寝込むのは一体、何年ぶりだろうか。
いつも束ねている長い黒髪はほどいている。
そのせいで、汗で湿った顔に張り付く。すごく邪魔だ。いっそのこと切ってしまおうかとも考える。
そんなノクスを懸命に看病するのは、苦労人従者のアルカス。
こまめに汗を拭いたり、水差しで水を飲ませたり。この手の看病には手慣れている。手際が良い。
鈍器で殴られたかの如く頭が痛む。咳が止まらない。呼吸が苦しい。
体は火照って熱いし、重いし、上手く動かない。意識もぼんやりしている。
そして悪寒がするせいで寒い。体は熱いけれど寒い。これ以上ないほどの矛盾だ。
「ねぇ、アルカス⋯⋯」
「はい」
「窓開けて⋯⋯」
「はい」
ノクスは掠れた弱々しい声で要求した。新しい空気を吸いたい。アルカスが窓を開ける。
ひゅうっと冬の風が吹き込み、体を芯まで冷やす。
冷たい空気が肺に入り込み、コホコホと乾いた咳をする。
「やっぱ、閉めて⋯⋯」
「はい」
アルカスは窓を閉める。
従順な従者だ。文句の一つも言わない。
だからこそ、申し訳ない。
「新年の儀を欠席する旨、陛下に伝えてありますよ。ゆっくりお休みになってください」
「うん、わかった⋯⋯ありがとう」
途切れ途切れに、言葉を繋ぐ。
どれだけ言っても足りないほどに感謝している。本当に世話になっているのだ。
「そういえば、ノクス様」
「うん」
額の汗を拭きながら、アルカスは眉間にしわを寄せる。
「カロンから、見舞いの品が届いたのですが、それがその⋯⋯」
アルカスはそこで言葉を切る。部屋を出て、すぐに戻って来る。
彼の手の中にあるのは、柑橘の入ったバスケットだ。
「風邪を引いたら、柑橘が体に良いそうですよ、と」
「体に良くても心に良くない⋯⋯」
「ですよね」
ただでさえ、後処理がまだ残っているというのに。
柑橘とベラドンナはしばらく見たくもないし、聞きたくもない。食べるなんてなおさらだ。
早く終わらせたいと後処理に奔走していたら、この様である。
仕事のことくらい、忘れさせてほしい。
あれはわざとだ。絶対わざとだ。
(カロンには、後で草むしりさせよう)
ぼんやりしながら、そう心に誓う。
小器用な彼女なら、嬉々としてすぐに終わらせそうだが。
「何か召し上がられますか? 蜂蜜を入れたミルクなんかもありますよ」
「絶対無理、気持ち悪くなる⋯⋯」
ずっと、胃がムカムカしているのだ。何を入れても受け付けないだろう。
ただでさえ今、吐き気が凄まじいのに。吐くものがないだけであって。
口元まで毛布を引っ張り上げ、ノクスはうつらうつらしながら呟く。
「薬飲んで、もう寝たい」
「何を飲まれますか?」
薬といえど、飲みすぎれば命に関わる。薬と毒は、紙一重。
何度も過剰に摂取しようとして、何度も怒られた。
なので、薬の管理はずっと、アルカスがしてくれている。
「⋯⋯毎日、飲んでるやつ。あと、咳止めも」
「かしこまりました」
アルカスは手早く、薬と水を用意する。
ノクスは覚束ない手つきでそれを飲み、横になる。
次第に、逆らいようのない眠気が襲ってきた。
ノクスはそれに抗うことなく、大人しく瞼を閉じる。
意識が深く、引きずられるようにして沈んでいく。
いつからか、こうして睡眠薬を飲まねば眠れなくなっていた。
一日たりとも、時間が進んでいる気がしないのだ。朝も昼も夜も、ずっと前からもう分からない。
◇◆◇
セレネが目を覚ますと、もう既に日は傾いていた。
外を見ると、どこもかしこも夕焼け色に染まっている。
(⋯⋯寝すぎた)
口の端を拭い、涎の跡を誤魔化す。まぁ、誰かに会う予定はないので、気にする必要はないのだが。
何もしていなくても、お腹は空く。セレネは店の奥に入り、キッチンへ向かう。
夕食は既に作ってあるので、大丈夫だ。
鍋を火にかけ、その間にパンを切る。
しばらくするといい香りが漂ってきたので、火を止める。
鍋の蓋を開ければ、熱いほどの湯気が立ち込めた。
クリーム色のとろりとしたシチューの中には、乱切りにした人参やブロッコリー、鶏肉にキノコが入っている。
新年なので、少しだけ贅沢をしたのだ。
幼い頃、父がよく作ってくれたなぁ、なんて思い出す。
本来ならパンの中にシチューを入れるのだが、父は不器用なのでそれができなかった。
綺麗なパンシチューが完成している日は、器用な兄が作った日だ。
(雪、懐かしいな)
セレネは窓の外に目を向ける。ちらり、ちらりと雪が降り始めていた。
この辺りで、降ることはあれど、積もることはない。
遠い昔を懐かしみながら、セレネはパンにシチューを絡めて食べる。
ちなみにセレネも、パンシチューが上手く作れない。
今度、きちんとパンの中にシチューが入ったものを露店で買おうかなんて考えた。
新年早々絶賛体調不良中の管理官曰く、
「柑橘美味しいけど。美味しいけど今はいらない⋯⋯」
後日、某赤毛は張り切って草むしりをしたそうです。
庭師が喜んでくれたそうな。




