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沈黙の花  作者: ななせいな
幕間
26/41

〈幕間 2〉 雑草娘

 シュタール王国北部、アルケーツ伯爵領は旅人に人気の名所だ。


 北部といえど、年がら年中白一色ではない。

 それなりに晴れた日もあるし、太陽と顔を合わせることも三日に一度はできる。


 ほどよく積もった雪は、幻想的な雪景色を生み、子どもたちが雪遊びをする姿もよく見られる。


 宿屋の接客は丁寧で、土産物もたくさん。

 温泉まで湧いており、旅の疲れを癒やすにはうってつけ。


 名物のパンシチューは、丸いパンの中に、ゴロゴロと大きな野菜が入った温かいシチューが入っているものだ。

 特に冬になると、その街の食卓には、必ずと言っていいほどパンシチューが上がるとか。


 そんな街の孤児院の庭で、一人の少女がしゃがみ込んでいた。

 年は五、六歳ほど。


 小さな手は、プチリプチリと丁寧に花壇の雑草を摘んでゆく。

 少女はそれを、反対の手で大事そうに握りしめていた。まるで、宝物でも握りしめるかのように。


 少女が孤児院に入ったのは、ほんの数週間前。

 母の顔は知らない。

 物心ついたときからずっと、父と三つ年上の兄と三人で暮らしてきた。


 だがしかし、父は数週間前に帰らぬ人となってしまった。

 兄は何でも器用にでき、顔立ちも整っていたため、有名な貴族に買われたという。


 他に親戚もおらず、天涯孤独の身となった少女は孤児院に入り、毎日庭をふらふらと歩くだけの日々を過ごしていた。


 顔立ちはそれなりに整っており、にこりと笑えば愛嬌があって可愛らしいだろう。

 銀の髪に空色の瞳という容姿も、どこか神秘さを生む容姿だ。


 だが、ずっと無表情で会話も最低限。愛想という言葉が、まるでなかった。


 年上の乱暴者食べ物を取られたとしても、泣きも怒りも反論もしない。

 代わりに庭へ行き、雑草を摘んでは食べ、飢えを凌いでいた。


 施設の職員がこっそりパンを差し出しても、見向きもしない。


「これでいいの。おいしいから」


 そう言って、また雑草を口に入れる。

 感情が全く見えないその子を不気味に思い、次第に職員たちもあまり近寄らなくなっていった。


 雑草ばかり食べる少女は、他の孤児たちから、雑草娘と呼ばれていた。


 雑草のように、誰にも見向きされない、踏まれるだけの存在だと。




 ◇◆◇




(タンポポ、ナズナ、スイバ⋯⋯)


 生で食べるなら、スイバが一番美味しい。とっても酸っぱいけど。


 タンポポには火を通さないとすごく苦いんだよな、塩を振ったらマシになるかな。

 でも、厨房に行っても使わせてもらえないだろうな――そんなことを考えながら、ただ黙々と雑草を摘む。


 少女はふと手を止め、どんよりと曇った灰色の空を見上げる。


(⋯⋯お兄ちゃんは、何してるのかな)


 兄はすっごく有名な貴族に買われた。少女はそこまでしか覚えていない。

 でも、お別れの時に言っていた。


 離れていても、見上げている空は同じだよ、と。

 天文学が好きだった兄は、よく空を見上げていたのだ。


 一体、兄を買ったあの貴族はどんな名前だったか。

 何だか美味しそうな名前だったのだが、大抵のことは飲食物に置き換えてしまうので、どれも美味しそうだ。


 植物名以外は覚えるのが苦手なのだ。覚えていない。


 食べ物のことを考えたからか、クウッとお腹がなった。

 そういえば、朝も昼も食べていないのだったか。今になって思い出す。


「おい」


 声が聞こえる。

 どうせ自分じゃないだろうと無視する。


 相手にしても、食べるものを取られるだけだし。


 取るなら勝手に取ってほしいのだが、今はあいにく持ち合わせがない。

 食べられるものと言えば、左手に握りしめている雑草くらいだ。


 無言で雑草を摘んでいると、目の前を何かが遮った。見ると、袋に包まれたパンだ。

 ボールみたいにまんまるな形をしているので、パンシチューだろうか。


 そう思えば、露店で同じ物を食べた気がする。


 少女は顔を上げる。

 パンを持っているのは、毛先に癖のある、焦げ茶の髪の少年だ。

 あまり似合わない片眼鏡をつけている。年は同じくらいか、少し年上か。


 身なりからして、孤児院の者ではないのは分かった。

 ちょっと裕福な庶民か、貴族か。


「君、何も食べてないだろ?」


 んっ、とパンを押し付けられる。

 少女はパンと少年を交互に見て、おずおずと手を伸ばした。


 とても温かい。誰かと手を握ったような、ぽかぽかした気持ちになれる。


 怒られないかな、なんて少し思いつつ、少女は顔を上げる。


 何も言われない。


 貰っても良いのかなと考えた少女は、きちんと礼を言う。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 少女は花壇に腰掛ける。少年はその隣に座る。


 少女は小さな口で、パンをかじる。

 サクサクした生地だ。ずっと食べていたら、口の中がカラカラになるだろう。


 一口で辿り着けなかったけれど、予想通り、中にはシチューが入っている。

 クリーム色の中に、ビタミンカラーのオレンジや緑が入っていて色鮮やかだ。


 あんまりに熱かったので、ハクハク言いながら食べていく。


(これなら、タンポポもおいしく食べれるかな)


 少女はそう考え、側に置いていたタンポポの葉を手に取る。

 そして、パンシチューの中に入れようとする。


「何してんだ、お前ぇっ!?」


 少年は大声で叫んで立ち上がり、すぐさま少女の右手を掴む。


 少女はこてんと首を傾け、さもありなんといった様子で答える。


「味変」

「味変⋯⋯? 味変で、雑草⋯⋯?」


 少年は理解できない、という感情を全身で表していた。

 詳細に言えば、目が大きく見開かれ、大袈裟に頭を抱えている。


「おいしいから」

胡椒(こしょう)とかじゃなくて?」

「ハーブと一緒」


 少年はなるほど、と一瞬思った。

 確かに、ハーブも言われてみれば雑草と同じじゃないかと。


 だがしかし、そんなわけないだろうという結論に至る。

 別にこの草たちは、ハーブとして育てられたわけではないのである。


「⋯⋯ちょっと信じそうになったんだけど?」

「良かったね」

「良くないと思うけどね?」


 オウム返しにしてくる少年が何だか面白くて、少女はクツクツと肩を震わせて笑う。

 やはり、笑えば年相応の子供らしく、可愛らしい。


「名前、なんて言うんだ?」


(なまえ⋯⋯)


 何だっけ、と少女は一瞬詰まった。


 孤児院に入ってからというものの、名前を呼ばれたことが数え切れるほどしかない。

 ここ十日は確実に呼ばれていないので、物覚えの悪い少女は自分の名前を忘れかけていた。


(なまえ⋯⋯お兄ちゃんがお星さま好きって、言ってたから⋯⋯)


 少女の名前は、三つ年上の兄がつけてくれたという。


 確か、月のない夜に生まれたから、見えない月の代わりとなって夜を照らすように⋯⋯みたいな由来だった気がする。


 スカートに乗ったパンくずをはらいながら、自分の名前を思い出した少女は答える。


「セレネ。セレネ・リーフ」

「僕はウィス・スカラー。ちなみに、アルケーツ伯爵令息」


 アルケーツ伯爵といえば、この地を治めている領主ではないか。

 それは理解できたが、なにせ人の名前を覚えられないセレネはこう言った。


「アルコール伯爵令息のウイスキー様。パンシチュー、ありがとう。おいしかったよ」


 非常に棒読みの言葉であった。特に前半部分が。


「うん。酒はもっと大きくなってからにしよう」


 ウィスは片眼鏡を押し上げながら頷く。


「お酒飲んだら、あったかくなれるのに」


 北部の常識である。

 老若男女問わず、酒は暖を取るためのものだ。


 しかし、何故領主の息子が孤児院に来ているのだろう。


 そういえば、領主様は優しいから、よく孤児院に寄付をしてくれると院長が言っていた気がする。

 じゃあ、寄付しに来た帰りだろうかとセレネは思った。


「次は何を食べたいんだ? 持ってきてやる」

「同じの。パンシチューが良い」

「ふぅん。そうか」


 ウィスは片眼鏡の奥の目を眇めて、背を向けて去っていく。

 それから定期的に、セレネはウィスからパンシチューを恵んでもらった。


 宮廷薬師であるメディオに養父として引き取られ、孤児院を出るまでの二年間ずっと。




 ◇◆◇




『んっと⋯⋯新しい名前、セレネ・エクレアだっけ?』

『エストレラだ。この馬鹿が』

『いてっ』


 そう言って養父に拳骨を落とされていたのが、ウィスが最後に見たセレネの姿である。

 本音を言うと、ちょっと心配になった。


 あれから十一年。ウィスは十八歳だ。

 セレネは十七歳。どこで何をしているのかは、一切知らない。知るわけがない。知れるわけがない。


 それでもふと雑草娘のことを思い出したのは、道端に雑草が生えているのを見かけたからだ。


 細長く、青紫色の花を咲かせる雑草。

 セージ、もしくはサルビアというらしい。


 ウィスはぼんやりと考えた。

 雑草娘はどこへ行っても、雑草のように生きていくのだろうと。


 どれだけ踏まれてもめげず、たくましく生きる雑草のように。

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