〈幕間 2〉 雑草娘
シュタール王国北部、アルケーツ伯爵領は旅人に人気の名所だ。
北部といえど、年がら年中白一色ではない。
それなりに晴れた日もあるし、太陽と顔を合わせることも三日に一度はできる。
ほどよく積もった雪は、幻想的な雪景色を生み、子どもたちが雪遊びをする姿もよく見られる。
宿屋の接客は丁寧で、土産物もたくさん。
温泉まで湧いており、旅の疲れを癒やすにはうってつけ。
名物のパンシチューは、丸いパンの中に、ゴロゴロと大きな野菜が入った温かいシチューが入っているものだ。
特に冬になると、その街の食卓には、必ずと言っていいほどパンシチューが上がるとか。
そんな街の孤児院の庭で、一人の少女がしゃがみ込んでいた。
年は五、六歳ほど。
小さな手は、プチリプチリと丁寧に花壇の雑草を摘んでゆく。
少女はそれを、反対の手で大事そうに握りしめていた。まるで、宝物でも握りしめるかのように。
少女が孤児院に入ったのは、ほんの数週間前。
母の顔は知らない。
物心ついたときからずっと、父と三つ年上の兄と三人で暮らしてきた。
だがしかし、父は数週間前に帰らぬ人となってしまった。
兄は何でも器用にでき、顔立ちも整っていたため、有名な貴族に買われたという。
他に親戚もおらず、天涯孤独の身となった少女は孤児院に入り、毎日庭をふらふらと歩くだけの日々を過ごしていた。
顔立ちはそれなりに整っており、にこりと笑えば愛嬌があって可愛らしいだろう。
銀の髪に空色の瞳という容姿も、どこか神秘さを生む容姿だ。
だが、ずっと無表情で会話も最低限。愛想という言葉が、まるでなかった。
年上の乱暴者食べ物を取られたとしても、泣きも怒りも反論もしない。
代わりに庭へ行き、雑草を摘んでは食べ、飢えを凌いでいた。
施設の職員がこっそりパンを差し出しても、見向きもしない。
「これでいいの。おいしいから」
そう言って、また雑草を口に入れる。
感情が全く見えないその子を不気味に思い、次第に職員たちもあまり近寄らなくなっていった。
雑草ばかり食べる少女は、他の孤児たちから、雑草娘と呼ばれていた。
雑草のように、誰にも見向きされない、踏まれるだけの存在だと。
◇◆◇
(タンポポ、ナズナ、スイバ⋯⋯)
生で食べるなら、スイバが一番美味しい。とっても酸っぱいけど。
タンポポには火を通さないとすごく苦いんだよな、塩を振ったらマシになるかな。
でも、厨房に行っても使わせてもらえないだろうな――そんなことを考えながら、ただ黙々と雑草を摘む。
少女はふと手を止め、どんよりと曇った灰色の空を見上げる。
(⋯⋯お兄ちゃんは、何してるのかな)
兄はすっごく有名な貴族に買われた。少女はそこまでしか覚えていない。
でも、お別れの時に言っていた。
離れていても、見上げている空は同じだよ、と。
天文学が好きだった兄は、よく空を見上げていたのだ。
一体、兄を買ったあの貴族はどんな名前だったか。
何だか美味しそうな名前だったのだが、大抵のことは飲食物に置き換えてしまうので、どれも美味しそうだ。
植物名以外は覚えるのが苦手なのだ。覚えていない。
食べ物のことを考えたからか、クウッとお腹がなった。
そういえば、朝も昼も食べていないのだったか。今になって思い出す。
「おい」
声が聞こえる。
どうせ自分じゃないだろうと無視する。
相手にしても、食べるものを取られるだけだし。
取るなら勝手に取ってほしいのだが、今はあいにく持ち合わせがない。
食べられるものと言えば、左手に握りしめている雑草くらいだ。
無言で雑草を摘んでいると、目の前を何かが遮った。見ると、袋に包まれたパンだ。
ボールみたいにまんまるな形をしているので、パンシチューだろうか。
そう思えば、露店で同じ物を食べた気がする。
少女は顔を上げる。
パンを持っているのは、毛先に癖のある、焦げ茶の髪の少年だ。
あまり似合わない片眼鏡をつけている。年は同じくらいか、少し年上か。
身なりからして、孤児院の者ではないのは分かった。
ちょっと裕福な庶民か、貴族か。
「君、何も食べてないだろ?」
んっ、とパンを押し付けられる。
少女はパンと少年を交互に見て、おずおずと手を伸ばした。
とても温かい。誰かと手を握ったような、ぽかぽかした気持ちになれる。
怒られないかな、なんて少し思いつつ、少女は顔を上げる。
何も言われない。
貰っても良いのかなと考えた少女は、きちんと礼を言う。
「ありがとう」
「どういたしまして」
少女は花壇に腰掛ける。少年はその隣に座る。
少女は小さな口で、パンをかじる。
サクサクした生地だ。ずっと食べていたら、口の中がカラカラになるだろう。
一口で辿り着けなかったけれど、予想通り、中にはシチューが入っている。
クリーム色の中に、ビタミンカラーのオレンジや緑が入っていて色鮮やかだ。
あんまりに熱かったので、ハクハク言いながら食べていく。
(これなら、タンポポもおいしく食べれるかな)
少女はそう考え、側に置いていたタンポポの葉を手に取る。
そして、パンシチューの中に入れようとする。
「何してんだ、お前ぇっ!?」
少年は大声で叫んで立ち上がり、すぐさま少女の右手を掴む。
少女はこてんと首を傾け、さもありなんといった様子で答える。
「味変」
「味変⋯⋯? 味変で、雑草⋯⋯?」
少年は理解できない、という感情を全身で表していた。
詳細に言えば、目が大きく見開かれ、大袈裟に頭を抱えている。
「おいしいから」
「胡椒とかじゃなくて?」
「ハーブと一緒」
少年はなるほど、と一瞬思った。
確かに、ハーブも言われてみれば雑草と同じじゃないかと。
だがしかし、そんなわけないだろうという結論に至る。
別にこの草たちは、ハーブとして育てられたわけではないのである。
「⋯⋯ちょっと信じそうになったんだけど?」
「良かったね」
「良くないと思うけどね?」
オウム返しにしてくる少年が何だか面白くて、少女はクツクツと肩を震わせて笑う。
やはり、笑えば年相応の子供らしく、可愛らしい。
「名前、なんて言うんだ?」
(なまえ⋯⋯)
何だっけ、と少女は一瞬詰まった。
孤児院に入ってからというものの、名前を呼ばれたことが数え切れるほどしかない。
ここ十日は確実に呼ばれていないので、物覚えの悪い少女は自分の名前を忘れかけていた。
(なまえ⋯⋯お兄ちゃんがお星さま好きって、言ってたから⋯⋯)
少女の名前は、三つ年上の兄がつけてくれたという。
確か、月のない夜に生まれたから、見えない月の代わりとなって夜を照らすように⋯⋯みたいな由来だった気がする。
スカートに乗ったパンくずをはらいながら、自分の名前を思い出した少女は答える。
「セレネ。セレネ・リーフ」
「僕はウィス・スカラー。ちなみに、アルケーツ伯爵令息」
アルケーツ伯爵といえば、この地を治めている領主ではないか。
それは理解できたが、なにせ人の名前を覚えられないセレネはこう言った。
「アルコール伯爵令息のウイスキー様。パンシチュー、ありがとう。おいしかったよ」
非常に棒読みの言葉であった。特に前半部分が。
「うん。酒はもっと大きくなってからにしよう」
ウィスは片眼鏡を押し上げながら頷く。
「お酒飲んだら、あったかくなれるのに」
北部の常識である。
老若男女問わず、酒は暖を取るためのものだ。
しかし、何故領主の息子が孤児院に来ているのだろう。
そういえば、領主様は優しいから、よく孤児院に寄付をしてくれると院長が言っていた気がする。
じゃあ、寄付しに来た帰りだろうかとセレネは思った。
「次は何を食べたいんだ? 持ってきてやる」
「同じの。パンシチューが良い」
「ふぅん。そうか」
ウィスは片眼鏡の奥の目を眇めて、背を向けて去っていく。
それから定期的に、セレネはウィスからパンシチューを恵んでもらった。
宮廷薬師であるメディオに養父として引き取られ、孤児院を出るまでの二年間ずっと。
◇◆◇
『んっと⋯⋯新しい名前、セレネ・エクレアだっけ?』
『エストレラだ。この馬鹿が』
『いてっ』
そう言って養父に拳骨を落とされていたのが、ウィスが最後に見たセレネの姿である。
本音を言うと、ちょっと心配になった。
あれから十一年。ウィスは十八歳だ。
セレネは十七歳。どこで何をしているのかは、一切知らない。知るわけがない。知れるわけがない。
それでもふと雑草娘のことを思い出したのは、道端に雑草が生えているのを見かけたからだ。
細長く、青紫色の花を咲かせる雑草。
セージ、もしくはサルビアというらしい。
ウィスはぼんやりと考えた。
雑草娘はどこへ行っても、雑草のように生きていくのだろうと。
どれだけ踏まれてもめげず、たくましく生きる雑草のように。




