〈3−10〉 沈黙の花
病人の前でする話ではないと、二人は場所を変えることにした。
提案してきたのは、アクアの方だ。
単なる気遣いというより、会話の内容とその着地点が分かっているがゆえの行動に見えた。若いながら聡い娘である。
アクアは屋敷に泊まり込みで働いているそうで、屋敷の離れにある自室にセレネを招き入れた。
アクアは雑茶を用意する。
侍女として仕えているからか、給仕の手際が特に良い。
思わず惚れ惚れしてしまいそうだが、今はそんな場合でないことくらい分かっている。
簡素な部屋には、必要最低限の家具しか置かれておらず、がらんとしている。
恐らく、最初に支給されたものから一切増えていないのだろう。カーテンすらない部屋なのだから。
依頼書と同封されていたノクスの手紙に記されていた通り、家計が苦しいようである。
調度品を買う余裕がないほどに。
「⋯⋯誰の差し金なのかしら?」
探るように、アクアは問いかけてきた。
セレネはゆるゆると首を横に振って答える。
「私はただの花屋です。誰の差し金でもありません」
半分真実、半分虚偽である。
どちらがどちらかは、言わずもがな。
アクアは訝しむように眉をひそめ、信じられないものを見るような目でセレネを見る。
「⋯⋯その歳で?」
「三年前、十四歳の時からです」
ちょうど、今のアクアと同い年のはずだ。
最初こそ慣れないことが多かった⋯⋯わけでもなかった。
なにせ、客が来なかったのだから。開店から半年は来なかった。悲しい。
植物の世話自体は、小さい頃から好きだったのでしていた。
「せっかくお茶もいれてもらったことですし、茶菓子にどうぞ」
セレネは柑橘とブルーベリーの入ったバスケットを差し出す。
「⋯⋯毒があるんじゃなくて?」
「毒はありませんよ」
セレネはそれを証明するように、ブルーベリーをつまむ。
口の中でプチリと弾けて、甘酸っぱさが広がる。正真正銘のブルーベリーだ。
ベラドンナの実とブルーベリーは、見た目が非常に酷似している。
前者は猛毒、後者は食用だ。
「流行に敏感でいられる主人を持つ貴女なら、覚えているはずです。柑橘の香水と、ベラドンナの目薬を」
両方とも、ここ一ヶ月のうちに出回り、流行り、そして注意喚起や禁止令が下されたものだ。
流行を知らなくとも、貴族に仕える身なら知らぬはずがない。
柑橘とベラドンナの実――この両方は、どちらも流行に自然と潜む毒として見られていた。
自然に紛れ込んだ毒だ。無知ゆえに起こった事態だったと。
だが、真実は違う。
「両方、アクア様が仕組んだことですよね?」
こくり、と唾を飲む音が聞こえた。
アクアマリンのように薄い水色の瞳だからこそ、分かりやすい。その瞳孔は大きく開いている。
但し、目薬の効能ではなく、緊張で。
アクアの実家であるマリン男爵家は、数年前までは豪商だったという。
主に化粧品などを開発し、交易によって莫大な利益を上げたそうだ。
一時期は流行の最先端を走るほど、有名だったとか。
だからこそ、今回の香水や目薬も効能抜群だとして広まった。高値にしても、怪しまれにくかった。
そのブランドには、成功していたという前例があったから。過去に積み重ねた信頼があったから。
だが、一つだけ引っかかる箇所があった。
「その植物の知識は、誰からですか?」
「⋯⋯!」
アクアは目に見えて動揺していた。
視線はとめどなく泳ぎ、カツカツと等間隔に靴が床を叩く音が聞こえる。焦っている時に出る宥め行動だ。
先程のアクアは、ブルーベリーを見て『毒があるのではないか』と尋ねてきた。
いくら見た目が酷似していようと、ブルーベリーとベラドンナの違いは分かる者には分かる。
目薬作りで使っていたとしても、生木を燃やした時と同じように、煙の猛毒を含む。
それを知っていたからこそ、近づいて観察することはなかったのだろう。
(私はまぁ⋯⋯)
食べたことあるから、なんて言えるわけがない。
ブルーベリーと間違えて誤食したことがあるのだ。
あの時は散々嘔吐薬を飲まされた。
拳骨を頭でなく、腹に入れられるのである。地獄だった。
アクアは俯いたまま、か細い声で縋るように呟く。
「⋯⋯聖女様、よ」
「聖女?」
セレネがその言葉を復唱すると、アクアは小さく頷いた。
「えぇ、私のもとにやって来て、優しい声で囁いてくださったの」
『神が告げた通りにすれば、貴女の願いは叶うでしょう』と。
アクアはもう、何も信じられなかった。だから、信じるしかなかった。
結果、化粧品は売れた。売り上げは急激な右肩上がりとなったそうだ。
そして、ずっと忌々しいと思っていた令嬢たちに痛い目を見せてやれた。
親の笠を着て、美貌を自慢して――その美貌を泥で汚し、失わせ、命の危機にまで晒したのだ。
作戦としては、大成功なのだろう。
「私はただ、家族のために⋯⋯家族を、幸せにするために」
アクアは顔を覆い、項垂れる。
「相手にも家族がいると思わなかったのですか? アクア様なら、自分と重ね合わせることができるはずです」
そう、アクアならできるはずだ。大事にしたい家族が、まだ生きているのだから。
我ながら、なんて烏滸がましいのだろうと思う。
セレネには、悲しむ家族なんていないのに。何だったら、自ら毒を食らうまである。
養父といえど、所詮血の繋がりはないのだ。
本業が薬師であの性格なので、人の死にいちいち咽び泣く性でもない。人は死んだらそれまでだ。
悪意はどうであれ、ベラドンナの目薬の件については、死人も出ている。
先程のリナリアも、あれは恐らく重度の昏睡状態だ。
――逃がすべきでも、擁護すべきでもない。
しようと思っても、セレネにできるわけがない。
そもそもここにセレネを遣わせたのは、あの宮廷管理官なのだ。
彼はきっと、アクアを捕らえる。そうやって、政治の中枢から整える役職なのだから当然だ。
場合によっては、一族極刑もあり得る。
(なら一つは、偶然で済ませたら良い)
何も、人為的に起こったものが二つである必要はない。
ずる賢いと思う。
自分が裁かれる原因になりたくない。
そういう我儘で罪悪感を減らそうとしているのもある。
ベラドンナの花言葉の一つは、沈黙だ。
「待ち受けている運命は、変わらないかもしれません」
セレネはゆっくりと、提案する。
それでも良いのならば、一つを沈黙しましょう、と。
◇◆◇
――化粧品で一躍有名になっていたマリン男爵家が、ベラドンナの目薬を故意に流出させた。
そんな知らせで、宮廷は一時期賑わっていた。無差別の大量傷害、殺人なんて、そうそう起こらない。
「沈黙して隠蔽、か⋯⋯セレネも考えるね」
柑橘の香水は知識の欠落による偶然だった。
ベラドンナの目薬は、明確な殺意を持って出回らせた。
それが、セレネの言うマリン男爵令嬢の言い分だ。
ノクスはそれを、二つ返事で通した。
どうせ、柑橘の香水については殺意の確認がしにくかったことだし。
だから厳しく規制せず、注意喚起で済ませていたのだ。
「エストレラ嬢の意見を、そのまま通してよろしかったのですか?」
「⋯⋯さぁね」
アルカスの問いに、ノクスは曖昧に答える。
マリン男爵は爵位の剥奪。そして王都からの追放、生涯幽閉。
その妻と一人娘は、修道院送り。余生を慎ましやかに暮らすとか。
――生き殺しにされるくらいなら、死んだほうが楽だったのではないか。
そうノクスは考えてしまう。
だが、セレネの主張を通し、結果的に刑が軽くなった。
自分の感覚がおかしいことは自覚しているので、彼女の意見を通したのだ。
自分なんかが宮廷管理官などするべきではない、とつくづく思う。
何故、国王はノクスをこの職に任命したのか。
何度訊いても、返ってくる答えは『お前のためだ』といつも同じ。
理解も納得も共感も何一つできない。
いつしか、訊くのすらも飽き飽きしてしまった。
「⋯⋯にしても、聖女という存在が気になるね」
シュタール王国で信仰されている宗教に、聖女なるものはいないはずだ。
何か少数派の宗教だろうか。それとも、個人だろうか。
そもそもそれは、存在しているのか。聖女なるものは単独なのか、複数人なのか。
どれほどの知識を持っているのか。どのような悪意を持っているのか。
考えれば考えるほど、謎は絶えない。
「放置しておけば、確実に同じことが起こる」
今分かるのは、これだけだ。
ナイフの切っ先のような視線が、積み重なった書類たちに突き刺さる。
何としてでも、それだけは阻止せねば。
考えることが多い。
これ以外にも、するべきことは山程あるというのに。
ノクスは資料を投げ出し、物憂げなため息をついた。
椅子の背もたれに身を預け、窓の外を見る。
薄く雲のかかった青空が、とても遠くに感じられた。
ここで一度、一区切りです。
まずはここまでお付き合いいただいた方、ありがとうございます。
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