〈3−9〉 回復を願う花
(⋯⋯珍しい。すごく珍しい)
花屋にて、セレネは一枚の紙と向き合い、立ち尽くしていた。
ひとまず、これが現実かどうか頬をつねって確認する。
痛いので現実だ。夢じゃない。
花束の注文が入っただけで、この反応である。花屋なのに。悲しいったらありゃしない。
ティーベル侯爵家という貴族に贈る花。
依頼をしたのはティーベル侯爵家ではなく、その家に見舞いに行きたいが行けない家のようだ。
セレネには分からないが、手紙に記されている紋章を見せれば、誰でも信用してくれるらしい。
紋章一つだけなのに、不思議なものである。
(⋯⋯ん?)
依頼書の下に、もう一枚何かが挟まっている。まるで隠すかのような配置だ。
セレネはそれに目を通し、ふぅんと鼻を鳴らしてカウンターの上に置いた。
提示された予算の額を見るなり、さすが貴族だなぁ、とぼやかずにはいられない。
またしばらく、客が来なくても過ごせそうである。
(『回復を願う花』か)
暗に、病人がいるということになる。
情報戦が命の上流階級では、言い回しが複雑だ。
意味を汲み取る作業は、全てこちら側にぶん投げである。
それで上手く行かなかったら、悪いのは花屋側なのだから不思議なものだ。言いたいことは、始めにはっきり言ってもらわないと。
病人に贈ったり、病室に飾ったりする花でタブーとされるものは、結構ある。
香りの強い花や、花粉が多い花。『根付く』ことから『寝付く』を連想させる鉢植え。
白いユリ一輪は、死者の追悼の象徴。墓花とされる菊。白いカーネーションなんかもそうだ。
以前あった黄色いバラの話のように、この辺りの地域では黄色い花も避けられがちである。
(さて、どうするか)
白や象牙、薄桃辺りの淡い色をベースとすれば良いだろう。原色は落ち着きがないので避けたほうが良い。
頭の中でイメージを組み立てながら、セレネは花束作りに勤しむこととした。
◇◆◇
「今、手が離せないから、お客様の案内をお願いしても良い?」
「分かりました」
侍女長にそう言われ、アクアは玄関へと向かった。
やって来たのは、布をかけた籠を手に持った、十六、七歳ほどの少女だ。
銀髪碧眼と北部地方に多い容姿をしている。恐らく、北部出身なのだろう。
だが、背は十四歳であるアクアと然程変わらない。そこは元から小柄なのだろうという結論に落ち着く。
目立った特徴のない顔立ちだが、化粧をしたら美人と呼ばれる部類に入るはずだ。
アクアの勘が、そう告げていた。
「花をお届けに参りました」
そう言って、少女は紙を見せる。どうやら花屋のようだ。
接客業なのか疑わしいほどに愛想がないが。
アクアは紙を手に取って見る。
時事の挨拶や見舞いの言葉が述べられた手紙。その端には、紋章。
五芒星が刻まれた盾の紋章――〈王身を守る星紋〉。
この国で、五芒星の紋様を使える家はたった七つ。
〈王陽を巡る七星家〉――基本的には省略し、七星家と呼ばれる家。
古くから王族に仕え、与えられた様々な役割で忠誠を誓っている一族たちだ。
ちなみに、太陽の紋様は王家しか使えないという決まりがある。
(盾ということは、〈王身を守る星〉のフェクダ伯爵⋯⋯見たところ、遣いの侍女といったところかしら)
どう考えても、この無愛想さは花屋ではない。
「花の説明をしたいので、屋敷に上がらせていただいてもよろしいでしょうか」
何の感情もなく淡々と少女は訊ねる。
フェクダ伯爵の遣いとあらば、追い返すわけにはいかない。
どうせ花を飾ったらすぐに帰るのだし、短時間ならば良いだろう。
なので、アクアは首肯した。
「えぇ、どうぞ」
◇◆◇
セレネが通されたのは、装飾は地味だが、使われているものは全て一級品の部屋だ。
大きなベッドの上では、一人の令嬢が穏やかに眠っている。
「リナリア様。お客様ですよ。フェクダ伯爵から、花束をいただきました」
アクアという名の侍女が、令嬢に話しかける。
その口元には淡い笑みが浮かんでいるが、薄っぺらい笑みだとセレネは感じた。
その奥には、一体何の感情が押し込められているのやら。怖いので考えないようにしよう。
ノクスも似たように笑うが、あれは違う。
あちらは、全く感情が読めない。覆い隠した感情が何か分からないほどに。
持ってきた花束を花瓶に飾りながら、セレネは世間話でもするかのような口調で言う。
「そういえば、目薬が流行っていましたよね。禁止されたとかいう」
「⋯⋯えぇ、そうね」
「どうやらこちらにいらっしゃる令嬢も、そうなのでしょうか?」
「さぁ、どうかしら」
アクアは曖昧に答え、目を伏せる。
アクアマリンのような薄い水色の瞳は、ベッドの側にある小棚を見つめていた。
その視線を辿ったセレネは、唇に意地悪い笑みを貼り付ける。
「まさか、その棚に隠し持っているわけではありませんよね」
「そ、そんなわけないでしょう? あの目薬は、所持することすら禁止されているのよ。全て没収されているわ」
食い入るようにまくしたてるアクア。
目薬ではなく緊張から瞳孔が開いているのが、薄い色の瞳なので分かりやすい。
ベラドンナの目薬に関しては、アクアの言っている通りだ。
その目薬は王の勅令にて、製造、所持、販売、購入、使用、そのどれもが禁止となっている。
「売買が困難で、表立った所持や使用が難しくとも、製造すること自体は簡単ですよ。それに⋯⋯自分で作れば、隠れて使えますしね」
セレネは小棚の前で膝をつき、その一番下の引き出しを引く。
そこには、色も形も様々な小瓶が三本入っていた。
うち二本は新品、一本は使用途中のようで、中の液体が半分ほど減っている。
「何するの⋯⋯!? いくらなんでも、不敬よ!」
アクアの言葉を気にすることなく、セレネは小瓶の蓋を開き、香りを嗅ぐ。
バラが芳香に香り、他にも様々なものが混ぜられた香り――やはり、あの目薬と同じ香りだ。
入れ物が違えど、中身は同じ。
花屋として花に囲まれ、薬草と毒草を見分けてきたセレネは、人一倍鼻がいい自信がある。間違いないだろう。
(可哀想に)
これでは、回収しそこねた王室医務官が罰されてしまう。
そして、王の名が汚されてしまう。
王の勅令を受け、王の名を背負って回収の役目を果たそうとしたのに。
それを公に出さずに済むよう、どこぞの管理官がセレネを利用したのだ。
全く人使いが荒く、人の使い方が上手いものだ。
他の伯爵家の名まで利用して、セレネを追い返せないようにまでしている。準備周到すぎて怖い。
それもなかなか腹立たしいが、さらに腹立たしいことはある。
植物を利用して、人を不幸にしようなどと。
「お話があります。アクア様」
そう言って、セレネは花束を入れてきた籠の中身を見せた。
セレネが持ってきたのは、見舞い用の花束だけでない。
柑橘とブルーベリーもだ。
何かを察したであろうアクアの肩が、ピクリと反応した。




