〈3−8〉 バラ?
「お久しぶりです」
いつも通り、無表情無愛想にセレネは述べる。
目の前の人物は、変わらぬ笑みで言う。
「セレネの方から来るなんて、珍しいね」
(そうですねー)
全く持って、その通りである。
まさか、宮廷管理官の執務室を自ら訪ねることになるなんて、夢にもみなかった。
目の前にいる人物――宮廷管理官、ノクス・フェリスは羽根ペンをペン立てに立て、頬杖をつく。
「事情はカロンから聞いているよ。魔女の話と流行り病の話、調べてくれたんだって?」
にこりと美しく微笑むノクス。
相変わらず、非の打ち所がない表情管理でいらっしゃるものだ。
どうやら、二人には面識があるようだ。
まぁそりゃそうか、と思いながらセレネは首肯する。
「予想される原因は何か、教えてくれる?」
「分かりました」
ひとまず、先日の王都へ散歩に出た日を反芻しよう。
◇◆◇
「お嬢ちゃん、これを一つどうだい? 王都でも流行ってる最新作だよ!」
そう言って、露店商の男が見せてきたのは、手のひらに収まる程度の小瓶だ。
ただの小瓶ではない。
これでもかというほど精緻な彫刻が施されているものだ。
「全部模様が違うから、全部世界に一つだけのものだよ。お嬢ちゃんの心に響くものを選んでごらん」
そう言って、男はウィンクをする。
いい歳して何やってんだ、というのが冷めたセレネの感想だ。
男の髪は、白髪混じりである。四十路は確実に過ぎている。
カロンとは違った意味で、下心が見え見えで仕方がなかった。
一瓶一瓶で模様が違うのは、失敗したことによるものを『世界に一つだけ』と称し、誤魔化したように見える。
つまるところ、素人目に見ても少々雑なのだ。
「香りを嗅いでも?」
「あぁ、勿論さ。きっと、気に入ってくれるよ」
こんな小娘が、どうして小瓶に金貨一枚払えるだろうか。
声に出さず毒づきつつ、セレネは小瓶の蓋を開ける。混ぜ物をしているようで、様々な匂いが混ざって香る。
清潔感のある匂いで、バラが一番強く香る。
値段からして上流階級向けなので、上品な香りがするのは当然といえば当然だ。
セレネは小瓶を置き、商売文句に目を向ける。
『その雫を瞳に一滴垂らせば、貴女は夜よりも深い瞳を手に入れるでしょう。恋は視線から始まる――ならば、準備を』
(うわぁ、胡散臭い⋯⋯)
なにかゾクゾクしたものが全身を巡る。
急激に込み上げてきた嫌悪を表情に浮かべぬよう、抑えるのに苦労した。
「さぁ、一瓶いかが? バラの貴公子様が、きっと振り向いてくれるよ!」
(バラの貴公子て何やねん)
「結構です。ありがとうございます」
ペコリと丁寧に一礼し、セレネはその場を後にした。
◇◆◇
「原因はバラなの?」
「違いますよ?」
「ノクス様⋯⋯」
こてんと小首を傾げるノクスに、セレネは食い気味に否定する。アルカスは頭を抱えていた。
バラの貴公子に揺さぶられ過ぎである。
一切関係ないのに、つい勢いで余計なところまで言ってしまった。言わなきゃよかった。
そこで、セレネはハッとする。
もしかして、この美青年はバラの貴公子が迎えに来るのを夢見ているのか。
貴方がバラの貴公子ですよ、とでも言ってあげた方が良いだろうか。
(白馬の王子様っていうのもあるんだっけ⋯⋯)
頬を赤くし、愛しの王子様を探すカレンデュラを思い出したセレネは、ぼんやり考える。
バラの貴公子だろうが白馬の王子様だろうが、今はどうでも良い。
話を戻して。
「原因はその小瓶――化粧水、目薬と言ったほうが良いでしょうか」
「バラの香りがするから?」
またもやバラである。
好きなのだろうか。今度持ってきてあげようか。美味しいから。
セレネは優しく言う。
「ノクス様は一旦、バラから離れましょう」
「うん、そうするね」
幼子を諭すように言ったからか、幼子のような返事が返ってきた。
本当にこれが二十三歳なのか。セレネより幼く見える。
「バラは香り付けです。問題の成分が含まれているのは、別の植物にあります」
ベラドンナ――美しい女性を意味する名を持つ花である。
摂取すると心拍数増加、幻覚、けいれん、意識障害などを引き起こし、最悪死に至る。
幻覚では、浮遊感を感じることもある。空を飛んだという魔女の話は、恐らくここからだ。
魔女はいなかったが、体験は嘘ではない。嘘でも本当でもない皮肉がよく効いている。
そしてそれが悪化したのが、謎の流行り病である。
一瓶金貨一枚というぼったくりようなのだ。入手できる層はかなり限られてくる。
主にそんな値段を払ってまで、美しくなりたいと強く願う令嬢だ。美に執着しているとも言える。
さらにベラドンナには、別の作用がある。
「散瞳です」
つまりは、瞳孔を拡大させるのだ。それを利用したのが、例の目薬である。
この国の価値観では、瞳が大きく潤んで見えると若く、妖艶に、そして神秘的に見えるという。
だから、この目薬は広く出回った。
そして少量ならば、薬にもなる。鎮痛や不眠改善の作用があるのだ。
毎日美容のために、少量ずつ摂取する目薬。
よもやそれが、少しずつ、静かに体を蝕んでいるなんて思うだろうか。
花言葉の沈黙は、そうしてゆっくり毒が効いていくことからきている。
いわば、ベラドンナは沈黙の花である。
美を求め、手に入れた代償として、命を失う。
死んでは元も子もない。結局、何もかも全てが無意味になる。
「服用されている方は、瞳孔が大きく見えますのですぐに分かると思いますよ」
特に、セレネのように色素の薄い瞳とあらば。
何だか居心地が悪いなぁ、と思えば、ノクスがじいっとこちらを見ていた。
「どうかなさいましたか?」
顔に何かついているだろうか。そんなことをした記憶はないが。
「ううん。何でもないよ」
ノクスは美しい琥珀の瞳を、静かに細める。
珍しく、何かの感情を滲ませて。
それが何かなんて、セレネには分からない。
興味がないので、分かろうとも思わない。
「――澄んだ青空みたいな、綺麗な空色だなって」
懐かしそうに、愛おしそうに――それでいて、寂しそうにノクスは呟く。
そんな複雑そうな感情はすぐに消え、ノクスはいつものように優しく笑う。
「ありがとう。帰っていいよ」
「では、失礼します」
(⋯⋯変な人)
大人びているのか、子供っぽいのかよく分からない人だ。
変といえば、目薬のこともである。
目薬が売っていたのと同じ店に売られていたもので、気になるのが一つ。柑橘の香水だ。
効果抜群で高値の化粧品を流行らせ、上流階級の女性だけを狙っているように感じる。
(まぁ、いっか)
気になりはするが、好奇心に任せて調べるものではない。
◇◆◇
珍しいな、とアルカスは思った。
それと同時に、幼い少年の姿と声が蘇る。
『✕✕✕の目は、綺麗なお空の、色⋯⋯ねぇ、そうだよ⋯⋯』
そう言って、あの子は青空に手を伸ばしていた。
ただ無表情に、けれども涙を流して。
「アルカス」
名を呼ばれ、アルカスは目の前にいる青年を見る。
宮廷管理官、ノクス・フェリス。
天上の女神が地に舞い降りたとも謳われるほどの美貌を持つ青年。
外を眺めていたノクスは振り向き、琥珀の瞳を剣呑に細めて口を開く。
「ベラドンナの目薬に規制をかけろ。製造、販売、購入、所持、使用の全てを禁止。違反したらそれ相応の罰を下すと」
命令形で下されるその言葉は、普段とは異なる、冷たく感情の抜け落ちた声だ。
慈悲も情も含まれていない――故に、ずっと貴い者の命令。
それを感じ取ったアルカスは、いつもより恭しく頭を下げる。
「仰せのままに」




