〈3−7〉 いらっしゃいました〜
リンリィン、と可愛らしい音を立てて、店のドアベルが鳴った。
花器の水を入れ替えていたセレネは、バケツを店の端に追いやりながら言う。
「いらっしゃいませ」
「はぁい、いらっしゃいました〜」
「⋯⋯⋯⋯」
長い事花屋をしてきているが「いらっしゃいました」は初めて言われた。
セレネは半目になって黙りこくる。
ぴょんぴょんと軽快に跳ね、それに合わせてぴょんぴょんと動く頭のてっぺんの毛は鮮やかな赤。
一度聞いたら忘れない飄々とした口調は、カロンのものである。
「ど〜も、超優秀なカロンさんが参りました!」
カロンは珍妙な動きを止め、ビシッと姿勢を正して額の前に手を当てる。
セレネは数秒沈黙し、ツッコんでほしそうなのでツッコむ。
「⋯⋯自分で言うんですね」
「はい、自分で言っちゃいます」
両手を腰に当て、ドヤ顔をするカロン。地味に腹の立つ顔である。
でも一応、相手は伯爵令嬢なので我慢する。
あの自信たっぷりだった公爵令嬢が慄くくらいの貴族令嬢なのだ。
「⋯⋯何用でしょうか?」
「新手の噂話でもいかがですか〜?」
「結構です」
「おぉっ、即答ですねぇ」
最初からその答えを想定していたかのような返事だ。怖い。
花屋は花を売る仕事だ。客から噂話を提供される仕事ではない。
奉仕する方とされる方が逆になってしまっている。
セレネは話を聞きたくない意思表明として、水の入れ替えを進める。
カロンは勝手に椅子を用意し、腰を下ろした。こちらは話す気満々の意思表明である。
つま先をパタパタと動かし音を立て、セレネの気を引こうとしているところが何とも言えない。
セレネはそれが分かっているからこそ、敢えて反応しない。
(目を合わせたら終わり、目を合わせたら終わり⋯⋯)
心の中で何度も復唱し、セレネはそこに人がいないかのように振る舞う。
だが、狭い店内ではよく通る声が嫌でも耳に入る。
「最近、宮廷のお偉方が困ってるんですよぅ〜」
宮廷のお偉方、と言われて一番に思いつくのは、不本意だがあの美青年である。
というか、それ以外と会ったことがない。
宮廷管理官なのだから、宮廷ですごく偉い人なんだろうな、とだけ思う。
仕事が多いのかな、困ってるんだな可哀想、などという感情は一切出てこない。それが仕事なのだから。
無論、手伝ってやろうとも思わない。
「『空を飛んだ』っていう証言が、多発してるんですよ〜 それで、魔女かもしれない、魔女だったら処刑されちゃうかも、って言って、皆さん引きこもりになられましてぇ〜」
引きこもるなら、勝手に引きこもってほしい。
無関係な他人を巻き込むな、と完全に無関係なセレネは思う。
顔も名前も知らない、身分も生まれ育った場所も思考も何もかもが違う他人なのだ。
そんな他人が魔女だろうがなんだろうが興味はない。どうでもいい。
薄情に思うかもしれないが、この一言に尽きる。
どれだけセレネが反応しなかろうが、お構い無しにカロンは話を進める。
「それとほぼ同時期、妙な流行り病が出回り始めましてぇ。何が妙なのか、聞きたいですか〜?」
どうしてここで焦らすのだろう。
白々しい態度を貫いているが、『妙な』という一言にちょっと興味を唆られたセレネは思う。
なかなか自分勝手だなぁ、という自覚はしっかりある。
「どちらも、上流階級の女性ばかりなんですよね〜 あれあれ、これって、柑橘の香水と同じじゃないですか〜?」
カロンはセレネを煽るように、ぴょこんぴょこんとセレネの視界の端で動き回る。
失礼ながら、花に群がる虫みたいだと思ってしまった。或いは、光に群がる虫か。
「聞きたいですか〜? その顔は、聞きたいって顔ですよねぇ〜? まぁ〜、この二つには何か因果関係がありそうですもんねぇ〜」
にへっと下心を隠さぬ笑みを浮かべるカロン。
セレネは軽く唇を噛んで、何とかやり過ごそうとする。唇を軽く噛むのは、何か耐える時の癖である。
前にも同じ手法でやられたのだから、対策しておけばよかった。
そうなると、また同じ状況に陥る前提になってしまうが。
葛藤するセレネに、カロンはこんな言葉を投げかける。
「別に解決しろとは言いませんよ〜 もし分かったら教えていただけると嬉しいなぁ、くらいの気持ちで来ましたので〜」
あくまでもセレネが持つのは、植物の知識のみ。
学校に通ったことはないので、それ以外のことはさっぱりである。
植物学者であった父からは文字の読み書きと計算、それに植物の知識を教えてもらった。
それ以外の一般教養である歴史や外国語などは、全くさっぱりである。
分かるなら教えてほしい――つまりは、絶対に謎を解く必要はないということ。
市井の教育は微塵も分からないセレネにとって、これほどありがたい言葉があるだろうか。
(この人、すっごい交渉上手だ)
そこからセレネが折れるのは、あっという間であった。
◇◆◇
カロンが帰った後、セレネは一人で王都に出ていた。
買い物や薬草配達以外の理由で王都に出るなんて、初めてではなかろうか。
お腹が空いたので露店で食べ物を買い、食べてからお目当ての店を探す。
セレネが買ったのは、芋に十字の切れ込みを入れ、バターを乗せて溶かしたもの。
芋は、あの懐かしの芋である。緑色になったら毒性を持つ、あの芋。
どうやら、シュタール王国でも広がり始めているようだ。ホクホクしていてとても美味しい。体が温まる。
普段は訪れることもない類の商品を扱っている店なので、探すには一苦労だった。
食べ物だったら香りで分かるが、今回の店はそうも行かない。
「お嬢ちゃん、これを一つどうだい? 王都でも流行ってる最新作だよ!」
薄っぺらい愛想笑いを張り付けた、露店商の男が言う。
声をかけてくれて助かった、と思いながら値段を見たセレネは、目を丸くする。そして、顔を引きつらせる。
(た、高っ⋯⋯!)
金貨一枚は、さすがにぼったくり過ぎではないだろうか。
セレネなら切り詰めて一ヶ月半は生きていける。
さすがに信じがたい値札から目を逸らすと、その商品の商売文句が記されていた。
それを見たセレネの中で、推測が確信に変わっていく。
(あぁ、やっぱり)
原因はこれだったか、と。




