〈3−1〉 公爵令嬢
「オーッホッホッホ!」
口元に扇子を添え、庭園でもよく響くほどの高らかな笑い声を上げたのは、美貌の令嬢であった。
オレンジ色の髪は、物語に出てきそうなほど見事な縦ロール。
フリルがたっぷりとあしらわれた、臙脂色のドレスを着ている。
いかにも、お嬢様といった感じだ。
(⋯⋯誰?)
セレネの感想はそれだけだ。
強いて言うなら、早くどいてくれないかなというのもある。
医局から出て帰ろうとしたら、宮廷の庭園でこうして絡まれたのだ。
突然目の前に立ち塞がってきたと思ったら、何故か高らかに笑っている。意味がわからない。
セレネの冷めた視線に気がついたのか、オーッホッホッホ! と絶えず笑い声を上げていた令嬢はピタリと動きを止めた。
ピシャリと音を立てて扇子を閉じ、不機嫌そうな表情でこちらを睨む。
(もしかして、年下か?)
すらりと背の高いシルエットをしており、笑う姿はそれなりに気品があった。
だが、顔には幼さが残っており、膨れっ面をしている様子はセレネよりも幼く見える。
元からセレネは小柄なので、身長差があるのは致し方ないが。
セレネは令嬢の背後に控えている、メイド服を着た侍女らしき人物を見る。
金の髪をきっちりと結い上げた人物だ。年齢は二十代前半程度だろう。
じっと無表情で佇んでおり、迷惑なお嬢様を止める気はない。
「ちょっと、何か反応なさいよ!」
「はぁ⋯⋯」
適当に答えると、令嬢はさらに頬を膨らませる。分かりやすい。
「貴女、あたくしが誰か分かってるの!?」
(分かってないです)
思いはするが、言いはしない。さすがに無礼に当たるかな、と考えたからだ。
令嬢は幼い顔に気高い笑みを浮かべ、扇子を口の前に当てて大きな声で言う。
「あたくしこそが、ローデンベルク公爵令嬢のカレンデュラ・ヴァレンティよ! シュタール王国第三王子、アーデル・フーレイ・ジュア・シュタール殿下の婚約者候補でもあるわ!」
(ローデンベルク公爵令嬢のカレンデュラ・ヴァレンティ。シュタール王国第三王子、アーデル・フーレイ・ジュア・シュタール殿下の婚約者候補⋯⋯)
セレネは半ば脳内の機能を停止しつつ、その言葉を口の中で転がす。
肩書きが長い。長過ぎる。
「どう?」
ふふん、と鼻を高くするカレンデュラ。
後ろに控えている侍女は、目を瞑ったまま人形のごとくじっとしている。一体、何なのだ。
とりあえず、セレネは素直に感想を伝えることにした。
「凄いですね」
主に王族の長い名前を覚えられたり、自分の長い肩書きと合わせて、噛まずに言えたり。
花屋のセレネ・エストレラは感心した。
こちらはとても簡素な肩書きである。誇れるところは特にない。
「あたくしの凄さが、ようやく庶民に伝わったようね!」
言わないと伝わらないのでは、あんまり凄くないのではないのか――庶民セレネは、そんなことを考える。
早く終わらないかなぁ、とぼんやり思っていると、今まで一切動かなかった侍女が、ついに動いた。
お嬢様を祝福するためか、侍女はパチパチと拍手を送る。
但し、音は乾いていた。これっぽっちも感情が籠もっていない。
と思えばどこからか小さなラッパを取り出し、パッパラパーと間抜けな音を響かせた。
ラッパをしまったかと思えば、次は革袋を取り出した。
侍女は袋の中に入っていた薔薇の花弁を、ひらひらと撒く。
舞い落ちた真紅の薔薇が、地味な色の石畳を彩る。
(私は何を見せられているのだろう)
セレネはゆらりと顔を上げ、天を仰ぐ。
セレネの心情を表すかのように、空は鈍い灰色である。分厚い雲の曇天だ。
侍女の祝福が適当であれ、カレンデュラはすっかり気を良くしたらしく、オーッホッホッホ! と高笑いを上げていた。
そこに合わせて、ラッパがパッパカパッパカ鳴る。端的に言って騒がしい。
セレネは無表情のまま、氷点下の雰囲気を漂わせる。
それに気づいてか気づかずか、カレンデュラがずいっと顔を近づけてき、口元に扇子を当てながら早口でまくしたて始めた。
「まぁ、嫉妬していらっしゃるの? それはそうですわね。あたくしの美しさには、誰も敵いませんものね! オーッホッホッホ!」
(敵いそうな人を知ってるんだよなー)
誰かは言わずもがな。麗しの宮廷管理官である。
あれは職人の手で作られた人形細工のような、実に繊細な美しさを持っている。
無論、セレネは嫉妬などしていない。植物以外に興味が向かないのに、するわけがない。
簡単に結った銀髪に、空色の瞳。中央ではちいと珍しいが、出身である北部地方では多い容姿だ。
顔立ちは特徴がなく、ごく平均的だと自覚している。何度も言われたこともある。
「貧乏な庶民は可哀想ねぇ。化粧品の一つも買えないのだから」
恐らく貶されているのだろうが、生活が困窮しているのは事実なので何とも思わない。
それに、セレネは化粧に然程興味がない。
裕福でも買っていない気がする。買うなら新種の花を買う。
(香水の匂い、ちょっとキツくないか?)
セレネは特に鼻が良いので、思わず顔をしかめたくなる。
爽やかな柑橘系の香りなのだが、量が過剰だと爽やかの欠片もない。何事も適量が大事だとよく分かる。
「ねぇ、聞いていらっしゃる? あたくしの話を無視するなんて、貴女には百年⋯⋯いや、千年早くってよ!!」
カレンデュラは閉じた扇子を振り下ろし、セレネの眉間に向ける。
「はぁ⋯⋯」と曖昧に返事を返すセレネ。
パッパカパー、と間抜けな音を響かせる侍女のラッパ。
何だか、寂しくなってしまう。
その時、音もなく目の前に何かが降ってきた。
一体どこから降ってきたのだろうと周りを見渡し、多分木の上だろうという結論にいたる。
木の上から飛び降りてきたのは、猫でも鳥でもない。人だ。
肩に届くくらいのふわふわした赤毛と、パッチリとした翡翠のような瞳を持つ女性。
袖の広い服は、彼女が動くたびにふわりふわりと揺れていた。年は二十歳ほどだろうか。
珍しい容姿とその服装から、夢の国から来た妖精みたいとでも呼べそうだ。
カレンデュラが目を丸くし、降ってきた赤毛の女性を見た。
「あ、貴女は⋯⋯っ!」
「名乗るほどの者ではございませんが、ごきげんよう。ローデンベルク公爵令嬢のカレンデュラ・ヴァレンティ様」
女性はスカートの裾をつまんで、丁寧にお辞儀をする。
身なりや仕草からして、お嬢様なのは分かる。木から飛び降りたのは予想外だが。
名乗るほどの者だろう、と名前を覚えるのが苦手なセレネは思った。
カレンデュラは何かに動揺し、視線を泳がせている。
ほんのり頬が赤く染まり、どことなくソワソワしているようにも見える。
「も、もしかして、アーデル殿下が⋯⋯」
どうやら、愛しの王子様を探しているらしい。
そんなカレンデュラをよそに、赤毛の女性はマイペースに首を横に振る。
「い〜え。私の主は、第三王子殿下ではありませんよ〜 私は個人でなく、王家に忠誠を誓っておりますゆえ」
呑気な口調で否定するが、案外凄い人じゃないか? とセレネは眉をひそめた。
王族に仕えられる人間はそうそういないことくらい、誰でも分かる。
この自尊心高めの公爵令嬢でも認知し、怯えているのだから、相当に名のある家の令嬢なのだろう。
女性はセレネの方に向き、人懐っこそうな表情を見せる。
「ではセレネさん、行きましょうか〜」
(いや、どこに?)
それに、何故セレネの名を知っているのか。
心の声虚しく、女性はセレネの手をひいて歩き始めた。




