2. 森の祠
「……あったかい……光?」
目を開けた先は、少し薄暗い、石で出来た小さな建物のようだった。扉は無く、すぐそこには緑の世界が拡がっている。
鳥の声、木漏れ日、草の匂い。眠っていた五感が、一つ一つじんわりと戻ってくる。
「……夢じゃ、ないのか」
彼が横たわっていたのは、苔むした古い祠の中。木の根が絡み合い、周囲をゆるやかに囲んでいた。
そっと起き上がると、手のひらに木札が一枚握られていた。
『森の恵みを受けし者へ』と刻まれたそれを握ると、ふわりと空間が光り、目の前にステータスウィンドウが現れた。
「急なゲーム感がすげぇな……。過労死して異世界転生ってよくあるラノベみたいな展開か……」
何となく自分が死んだという事実と先ほどの光の中で自分自身が転生した事実はストンと腑に落ちていた。
開いたステータスウィンドウには
『名前:沢渡ユウト
恩恵:森の恵み
装備:大地の鍬』
とだけ書いてあった。
「……説明、少なっ!」
どう考えても弱そうなステータス。足りない説明。
でも今はそんなことよりも、この急展開の中でも、社畜生活から解放されたという事実が、俺の心の中を占めていた。
「好きなことをして過ごしていいのか……」
絶望ではなく、期待、喜び。そう思えた自分に、少しだけ驚いていた。
「とりあえず、祠から出てみるか」
「大地の鍬」
半信半疑で装備名を口に出してみると、何もない空間に突如、鍬が現れた。
手に持った鍬は、ずしりとした重量感があるが、不思議と手になじむ。木の柄には、うっすらと植物の蔓のような模様が、細い線で刻まれていた。
「これ……模様じゃなくて、文字か?」
こちらの言語だろうかと眺めてみたが、言語までわかるようなチートはないのか、意味を理解することはできない。でも、なぜか柄を握った手のひらに温かさを感じる気がした。
「もし魔物がいる世界だったとして、鍬で応戦できるかは謎だけど、何も無いよりは心強いだろ」
スーツ姿の自分が鍬を握って、おそるおそる祠から顔をのぞかせる姿はさぞかし滑稽だろうと思ったが、命が大事。
だれに見られようと構うものかとそっと祠の外に出て、周囲を見渡した。
見上げれば、空は抜けるような青――なのに、どこか、音が少なすぎた。
鳥の声、風の音、それ以外には何も聞こえない。人の気配も感じられない。
「……誰もこない場所なのか?」
一面に広がるのは、深く静かな緑。
太く絡まった根と、頭上に覆い被さる葉が陽をやわらかく遮っている。暖かな木漏れ日に包まれる。
草むらを踏みしめて祠の周囲を散策してみた。少し歩くと、裏手に崩れかけた石碑があることに気がついた。表面は苔に覆われ、文字のようなものがうっすらと浮かんでいる。
指先で軽く触れた瞬間――
「……っ?」
石碑の表面に、かすかな緑の光が走った。ほんの一瞬、葉が風にそよぐように光が揺れ、そしてすぐに消えた。
「今の、なんだ……」
あまりに一瞬で、光が見えたのは気のせいかとも思った。
得たいのしれない何かかもしれないという怖れも少しあったが、しばらく経っても何も起こる気配はなかった。
もう一度祠の方を見やる。
古く小さいながらもしっかりした作り。木の梁も、壁も、まだ雨風はしのげそうだった。
周囲に人の気配はなく、草も道も放置されて久しい。
けれど、その静けさが妙に心地よかった。
「誰も来ない、誰もせかさない。……ここでなら、ゆっくり暮らせるかもな」
俺はそっと鍬を肩にかけ、広がる森の景色を見つめた。