一歩目
志保は目の前で弱っている翔に視線を向けた。
いつものよう余裕のある翔が、今は苦しそうにしてるそれをみた志保は胸が痛くなる。どうして、こんなに辛そうで何かに怯えているような顔をしているの?
溢れてしまいそうな感情に蓋を閉じ、翔をじっと見つめる。
「僕が小さい時、両親と姉は僕を置いて家から居なくなった」
「え?」
到底理解できる内容ではなかった。
高校一年生であるにも関わらず一人暮らししているのには違和感があった。でも、何かしらの理由があるとは思っていた、でも、まさか親と姉は翔を置いて行った?
理解できるはずがない。
「本当に小さい時だった。理由は分からない、分かるはずがないんだ。でも、出て行ったあと父さんの知り合いが来たよ。その人とは中学三年まで一緒に暮らした」
過去を見つめるように翔は言葉を溢す。どれほど怖い思い出だったのだろう。どれほど憎んだのだろう。それは、翔にしか分からないことであった。翔以外の誰かが、苦しみを憎しみを言ったとしても意味はない。味わったことがある人のみがわかる気持ちがあるからだ。
「それで、高校に入学するにあたって僕は一人暮らしするようになった。そして、ちょうど数カ月前くらいかな、その日から親から仕送りが送られてきたんだ」
「毎月のお金に、食料品」
翔は志保を見つめながら、小さく目を動かした。
「親って何なのかな……僕を見捨てた親は果たして親なのか?」
そこで翔は自分を見つめるように目を閉じる。
翔の吐いた弱さや言葉は志保の胸を冷たく冷やす。
強いと思っていた翔が偽っていた。今、目の前に居る翔が本当の翔で、学校に居る翔は翔じゃない。
現実から逃げるようために偽っているのかもしれない。
「翔……」
「ごめんね……本当はこんな話したくはなかった。人に弱さを見せることは弱点を握られるっていうことを知っていたのにな……」
翔の言葉が志保の胸を突き刺す。無数の針が、一度刺さって仕舞えば取ることができない針のようにグサリと胸を引き裂いた。
あぁ……まだ私は信頼されていないんだ……。
脳に考えが浮かぶ。きっと翔にとって私はいつ裏切るか分からない存在なんだ。
信じられない人……なんだ。
どこかしらでは分かっていたの……かな。翔は誰も信じないことは分かっていたのに。
時間が進む音がリビングに鳴り響く。
「私のことは……信じられない?」
あぁ、訊いてしまった。本当は訊くつもりじゃなかったのに。どうして……かな。
不安なんだ。私の持っている気持ちと、翔が持っている気持ちの差が不安で仕方がないんだ。
「…………」
翔は志保を見つめた。微かに動く翔の目は応えを表す。
翔の持っている優しさでも、それは抗えることはできなかった。人を……信じることは翔にとって不可能に近いのだ。
胸が痛くなってしまう。翔を追い込んで、私の気持ちだけを一方的に伝えて、翔を助けようとはしない私が嫌になる。
翔なりの優しさを受け取った志保は翔から目を背けた。と、いうよりも逃げたのだ。
受け入れたくなかった。この先たとえどんなことがあろうとも、翔は志保のことを信じることはないのだと、確信してしまったからだ。
叶わぬ恋。叶わぬ友情。叶わぬ願い。
それら全ては今、見事に夢のように散っていったのだ。
だか、長いトンネルの中で微かな光が見えてくるように、希望ができつつある。
「変わりたいんだ……人をちゃんと信じられるように」
溢した言葉は志保を勇気づける。微かな希望。まだ小さくて弱々しい希望は志保を大きく奮い立たせる。
「私は……翔が心の底から笑えるような居場所……を……作る」
愛の告白なのかは定かではない。ただ、本心で言っているのは確かなことだ。
「ありがとう」
翔は志保に笑みを溢す。
可愛い顔だな。
志保は心の中で覚悟を決める。翔を絶対に幸せにしてみせる。
明るい雰囲気で迎えようとした朝を月が照らすように、翔は呟いた。
「志保の鞄を隠したやつを退学にさせる」
恋は盲目……である。




