リディアの運命
王都の中心部にある大広場。その大広場の真ん中にある噴水の前で人を待ってる私は、自分の表情が無くなっているのを自覚していた。
噴水の側にある大時計をチラッと見て、次に自分がいま着ている服を見る。
アッシュピンクの色合いのボレロとワンピースのセットの服は下ろし立てで、自分にすごく似合ってると自画自賛してしまうくらいには気に入っている。服に合わせた帽子もハンドバッグも靴も、今日のために厳選したのだ。
だというのに、待ち人はもう待ち合わせ時間から三十分以上も経ったのにまだ来ない。
この噴水は待ち合わせスポットとしても人気だから、さっきから恋人や友人、夫婦や親子、兄弟姉妹など、様々な人達が私同様に待っている人の元へやってきて合流して去っていく。
それを何組も羨ましいと思いながら見送る私。
もういっそ、私だけで行ってしまおうか。
そう考えた時、大広場に面した私が向いてる方の大通りに、馬車が止まって中から花束を持った男性が降りると同時にこちらへ走ってきた。
それを見た私は、もう一度、大時計を確認してから彼を見た。
やっと来たのね。
花束なんか持って、お詫びのつもり?
それにしては質素な白シャツに紺のスラックスなんて普段着だし。
いつものアレかしら?
いいえ、もしかしたら引き止められてるのを振り切って来てくれたのかもしれないわ。
だって、格好はともかく花束を持ってきたんだもの。
そう思ったから、私は彼がなんと切り出すのか黙って待った。
「リディア、遅れてすまない!」
彼、ジュリアンが周りも気にせず大声でそう言って花束を差し出すので、私は、はあぁぁ……っと大きくため息を吐いてから花束を受け取った。
本当は色々と言いたい事はたくさんある。でも、もう時間がないのも確かなのだ。
「……もう来ないんじゃないかと思ってたところよ、ジュリアン。見たところ、大分急いで来てくれたみたいだし、今からならギリギリ間に合うから許してあげる。
さあ、劇場へ急ぎましょう」
言いたい文句は後回しにして、私はジュリアンの手を取って劇場のあるほうの通りへ行こうと促した。
今から観賞するのは公開されてからずっと観たかった恋愛劇だ。何度か観劇の機会を逃して、やっと観ることができる。
だというのに……。
「そのことなんだけど、リディア。非常に申し訳ないが僕は行けない。ユーニスが熱を出したんだ。看病しないと」
ジュリアンのその言葉に、私の身体はピシッと固まった。
「今も、すぐに帰るからと言ってやっと抜け出してきたんだ。この埋め合わせは必ずするから、今日のデートは……」
ジュリアンが最後まで言い切る前に、バサッとすごい勢いで花束を彼の顔に投げつけた。何が起きたか分からなかった様子のジュリアンが受け止め損ねた花束が、彼の足元にボトッと落ちる。辺りに花弁が無残に散った。
「もう何度目だと思ってるのっ!? 私達のデートやお茶会のたびにこんな事ばっかりっ! いい加減にしてっ!!」
「どうしてそんな言い方をするんだ、熱が出て辛いのはユーニスなんだぞ! 彼女は観たくても劇なんか観られないんだ。その点、君は観劇なんていつだってできるだろう!?」
言い返してきたジュリアンに、怒りで私の身体がプルプルと震える。
「……ええ、そうね。どうせ私は優しくなくて我が儘よ。
そんなに従妹が大事なら、従妹と結婚して一生、面倒見てればいいでしょっ。
我慢できない私が悪いのよね! だったら私有責で構わないわ、婚約は破棄しましょうっ!!」
始めは地を這うようだった声はだんだんと大きくなり、最後に発せられた怒鳴り声は花束を投げ付けた時よりも大きく、淑女としては褒められたものではなかった。でも、そんな事はどうでも良かった。
私はそれだけ言うと、肩を怒らせて早足で劇場へ向かった。
リディア・ダーリング。それが私の名前。
今時、貴族といっても名ばかりで、ステータスには違いないけれど領地持ちの貴族もだいぶ少なくなった。お父様は伯爵位を賜っているけれど、我が家も領地なんかなくて政府高官として働いている。
一応、伯爵令嬢ではあるのだ、私は。
でも、伯爵令嬢って言ったって、よくあるブラウンの髪に焦げ茶の瞳は平凡すぎて、周りを見渡せばそうじゃない人を見つける方が大変だ。唯一の自慢は、お母様譲りのちょっとだけ整った顔立ちと、毎日手入れを怠らない艶々な髪くらい。
婚約者であるジュリアンのヒギンズ家も同じような伯爵家で、お互いの両親が友人だったため、八歳の頃に引き合わされた。いわゆる幼馴染からの恋人を経て、三年前に婚約を結んだ。
お互いに十八歳になったから、本当ならそろそろ結婚の準備も始めないといけないのだけど……。
雲行きは怪しい。彼の母方の従妹のせいで。
彼の従妹ユーニス・マクレガンは私達の一つ下の女の子で病弱。もともとは地方の田舎に住んでいたのだけど、学校どころか外にも出られない彼女の治療のために、私たちの婚約と時期を同じくしてここ王都に住むヒギンズ家に預けられた。医者や薬の流通が充実してるのが理由らしい。
マクレガン家も貴族だけど、小さいながらも領地持ちで、ご両親は家を空けられないんだそうだ。
ここまでなら私も「病気がちなんてかわいそうね」で済んでた。専属メイドを連れてきてるとはいえ一人だけだし、両親のいない場所で暮らさなきゃいけない事にも同情はする。
だけど、ちゃんとメイドまでいるのに、どうしてジュリアンが彼女の世話をしなきゃいけないの?
ヒギンズ家にやってきた時に優しいジュリアンに懐いたようだけど、今の状態は常軌を逸してる!
だって、ユーニスがヒギンズ家に来てから、私とジュリアンはまともなデートもお茶会もしてない。
二人で外出しようとすれば前日か当日の朝に倒れる。我が家でのお茶会もそう。ヒギンズ家でお茶会をすれば乱入してきて途中で気分を悪くしてお茶会は中止。
この三年間、ずっとこう。ジュリアンの言う必ずする『埋め合わせ』もただの一度もしてもらってない。婚約解消を考えたのも、一度や二度じゃない。でも言えなかった。だって、ジュリアンの事は好きだったから。
今日の観劇だって、私がチケットを用意してジュリアンを誘った。通算五回の同じ演目の観劇デートへの誘い。過去四回はやっぱりキャンセルされて、チケットは両親や兄、友人に親戚へと泣く泣く回した。
今日が最後の公演日。初日から今日まで五回誘って、全部キャンセル。理由も全部ユーニス。
だから、もういいわ。
ジュリアンとの結婚なんてやめる。
だから婚約も無し。
ジュリアンに「私有責で構わない」と言ったのも本心だ。
だって、誰もが言うの。
「病弱な子に嫉妬なんて」
「リディアは優しくないなぁ」
「そんなに狭量だとジュリアンに愛想尽かされるよ」
両親にも兄にも友人にも知人にも、私の周りの人みんなに言われた。そして彼らはその口でこうも言う。
「長生きできない子なんだから、今だけ辛抱すればいいじゃない」
だからお前が我慢しろと。
今、私が言われて一番、嫌な言葉。
それじゃまるで、私がユーニスが死ぬのを待ってるみたいじゃない!
私はただ、親戚として適度な距離を二人が保ってくれればそれだけでいいのに。そんなふうに思われるくらいなら、どうせみんな私が悪いって思ってるのだもの私有責でいい、婚約なんてやめてやる。ジュリアンなんてずっと一生、ユーニスに捕まっていればいいのだ。
怒りのエネルギーで歩いたおかげか、劇場には思ったより早く着いた。とは言っても入場時間ギリギリなのは変わらないけど。
白い大理石造りの、歴史を感じさせるトバイラス大劇場。実際に王都の中でも最も古い建物の一つだ。
大きい建物なのでエントランスも広く、たくさんの人が出入りしている。
小走りでロビーに入ると、人混みの中の一人の女性に目がいった。
アッシュピンクの色合いのボレロとワンピースのセット服。
帽子や靴などの小物は全然違うけど、私と同じ服。
私は大きなため息を吐いて、慌てて口を両手で塞いだ。踏んだり蹴ったりとはこのことか。
確かにこの服は既製品で、ショーウィンドウに飾られていたのを一目惚れして買った。一点物ではないけれど、それでも数量限定品なのだ。他にこの服を持っている人がいるのは何の不思議もないけれど、よりにもよって今日、見かけなくてもいいのに……。
私は向こうに気づかれないようにこそっと受付カウンターでチケットを出して手続きをして、戯場の扉へ続く広いレッドカーペットの廊下の端を急ぎ足で歩いた。
結果を言うなら、劇にはとっても満足した。やっぱり一人でも観に来てよかった。こんなことなら、さっさと一人で観ておけば良かった。今までのチケット代は何だったのか……。
今ならジュリアンとの婚約破棄も、同じ服の人もどうでもいい。そう思えるくらい、劇の内容は理想以上だった。
そんなに知名度のない劇団だったけど、きっとこれから有名になっていくんだろう。主役の二人も良かったけど、特にヒーローのライバル役の人、格好良かったなぁ。帰る前にパンフレット買っておこう。まだ売り切れてないといいけど……。
上機嫌の私は、戯場から観客が少なくなるのを待ってから席を立った。
ロビーへ続く広い廊下も、今なら人が少なくて歩きやすい。
鼻歌まで歌いそうになりながら歩いていると、いきなり人の流れが変わった。
わけが解らなくて立ち尽くすと、
「火事だーっ! 火を点けられたぞーっ!!」
もっとわけが解らなくなった。
火を点けられた?
ということは、火事? え、ロビーに?
それが本当なら早く逃げなくちゃと思うよりも先に、ロビーの方から煙が流れ込んできた。
私は逃げる人達の流れに沿って元来た道を引き返す。戯場の扉より先はどうなっているか知らないけれど、みんなと一緒にいればきっと逃げられるはず。
そう思ったけど我先に逃げる人達に押されて転んでしまって、そんな私に構っていられないのか何回も蹴られて立ち上げれなくなってしまった。
這う這の体で壁際に寄ると、ビシッともガコッともつかない大きな音がして、思わず反射的に上を見れば、古い素材でできた荘厳な意匠の天井に大きな罅が走っていて……。
あれ、危ないんじゃ……と思った瞬間にさらに大きな音がして瓦礫が降ってきた。
あ、死んだな。
そう直感したら、不思議と瓦礫が落ちてくる様がゆっくりに見えた。まあ、見えたからって身体が動くわけではなかったけれど。
そして体感よりずっと早く、私めがけて降ってきた瓦礫が頭に当たって酷い痛みの中、私の意識は薄れていった。
なんだ、ユーニスより私の方が早く死ぬんじゃない
我慢するなんて馬鹿みたい
もっと早く婚約なんてやめておけばよかった……
最後に思ったのはそんな、今となってはどうでもいい事だった。