21. 番外編:セルマの夜会
少し長くなりました。
セルマたちと夜会の約束をしていたので、番外編として書いてみました。
お楽しみくださると嬉しいです。^-^
ボールルームの入り口では、すっきりと背の高い、若い頃はさぞかし美男だっただろうと想像できる老紳士と、歳を重ねてもなお美しい面差しの夫人が来客たちを迎えていた。
彼らはボールルームに入ってくる来客みんなに温かい笑顔を向け、その笑顔が来客たちを笑顔にさせて心地よい空間をつくっていた。
「これは、キャンデール伯爵。お越しくださると聞いて光栄に思っておりました」
「ご無沙汰しています、メンデル伯爵。お招き有難うございます」
「ご婚約もお聞きしておりますわ。この度はおめでとうございます」
「有難うございます。ダイアナ・ローウェルにございます。セルマ様とは学院時代から仲良くさせていただいております」
和やかに挨拶を交わす中、ダイアナはメンデル伯爵夫妻の後ろに控えている友人の姿を認めて微笑みかけた。
彼女の視線に気がついた老夫妻は後ろを振り返り、養女となった娘に道を開ける。
セルマの隣には、当然といった風にウォレンが寄り添っていた。
「お越しくださって有難うございます、キャンデール伯爵」
「あれから、あっという間に招待状が届いたからね。すぐに日程も調整できましたよ」
「いらしてくださって嬉しいわ。お友だちがいてくれると、やっぱり心強いもの」
「セルマ様、とても堂々としていてよ。いい雰囲気の素敵な夜会で楽しみですわ」
ウォレンとコンラッド、セルマとダイアナもそれぞれ言葉を交わし、ダイアナはセルマの手を取った。
メンデル家の内輪の夜会だと聞いていたけれど、ボールルームに集まっている人々の中に、幾人も見知った顔がある。
「ドノヴァン子爵ご夫妻もいらしてるのね。あとでご挨拶しなければ。お兄様もいらしてるの?」
「いえ、兄は父の用事で領地に帰っておりますの。両親はわざわざメンデルの義母がお呼びくださいました」
ダイアナがセルマと話している間に、コンラッドにも話しかける男性がいた。
セルマが小声でダイアナに告げる。
「末の義兄です。メンデルの」
「ああ、法務省にお勤めの?」
小声でダイアナが返す言葉に、セルマが小さく頷いた。
確かに、メンデル伯爵に面影がよく似ている。
ウォレンもコンラッドたちの会話に入り、男性同士で親交を深めているようだ。
ボールルームに入ってくる来客に対応しつつ、メンデル伯夫人はセルマに笑顔で頷いて寄越した。
友人との時間を過ごしていらっしゃい、ということなのだろう。
セルマは彼女に微笑み返し、ダイアナを先導して傍に避ける。
男性陣とは少し距離が離れてしまったが、お互いに見えなくなるという程ではない。
「本当は、レスリー様もお招きしたかったのですけれど…」
そう云って眦を下げたセルマに、ダイアナは微笑んだ。
「彼女、夜会には出たがらないものね。わたくしも、レスリー様を夜会に引っ張り出す時は一苦労しますの」
ダイアナの言葉に、ふふっ、と二人は微笑い合う。
するとその時、コンラッドの名を呼ぶ女性の声がした。
驚いてダイアナがそちらに目をやると、金色の髪の女性がコンラッドに近づき微笑みかけている。
ダイアナは目を瞠った。
あの女性は以前、コンラッドの部屋にいたーーー
「お姉様!?」
隣から声がした。セルマからだ。
彼女も目を瞠って驚いている様子だった。
「お姉様…?」
友人の言葉を鸚鵡返しに呟くと、彼女はダイアナに頷いて見せた。
「ええ。一番上の姉です。母親は違いますが、わたくし達のことをよく気にかけてくれる良い姉なのです。ビザーレ侯爵のギルロイ様と結婚して、現在はビザーレ侯爵夫人ですわ」
笑顔で姉のことを語るセルマの言葉を聞きつつ、コンラッドの方へ目を移すと、女性のあとから夫らしき人が眉を寄せて歩いて来ていた。
会場の喧騒で何を話しているかは判らないものの、女性は笑顔でコンラッドと会話をし、振り返って後ろの男性に向かって微笑んだ。
夫と思しきその人も会話に加わり、彼も漸く笑顔になる。
「姉がコンラッド様とお知り合いだったなんて、知りませんでしたわ……」
呆然とセルマが呟くのに、ダイアナも頷いた。
(あの方が、セルマ様のお姉様だなんて……。)
コンラッド達の様子を見守っていたダイアナ達だったが、不意にコンラッドがダイアナの方に視線を向けた。
それに釣られて、セルマの姉とその夫の視線もこちらに向く。
二言三言、さらに彼らが言葉を交わした…と思ったら、彼女が急ぎ足でこちらに向かって来た。
その向こうで、コンラッドと夫の男性が視線を交わし、溜息を吐いたように見えたがーーー気のせいだろうか。
女性は、ダイアナの前まで来るとにっこりと笑顔になった。
「貴女がコンラッド様の愛しい人ね!お会いできて嬉しいわ。リシェール・ビザーレと申します。以降、お見知り置きくださいませね」
そして、隣で呆然としている妹にも声をかける。
「セルマ、ひょっとしてこの方とお友だちなのかしら?だとしたら、こんなに嬉しいことはないわ!」
判りやすい好意を向けられて面食らったものの、ダイアナは板についた美しいカーテシーをして見せた。
「初めまして。ダイアナ・ローウェルと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
その時、リシェールの後ろから声がかかる。
「リシュ、不躾だろう。ご令嬢がびっくりするじゃないか」
追いついてきた彼女の夫だ。
コンラッドも彼と一緒に来ていて、ダイアナに笑顔を向けた。
ちょうど夫の声に後ろを向いたリシェールは、コンラッドの表情に軽く目を瞠る。
「まあ…!コンラッド様にこんな顔をさせるのは貴女しかいないわ、ローウェル侯爵令嬢」
「もうすぐ、キャンデール伯爵夫人になるがな」
「あら…!」
コンラッドの言葉に、リシェールはくすくす笑い、ダイアナの頬はほんのり赤くなる。
「どうぞ、ダイアナとお呼びください、ビザーレ侯爵夫人」
「あら、わたくしのことも、もちろんリシェールと呼んでちょうだいね」
リシェールの薄い緑色の瞳が煌めいた。
ああ、と気がついて、コンラッドがリシェールの夫を紹介する。
「ダイアナ、リシェールの夫のギルロイ・ビザーレ侯爵だ」
「ギルロイ・ビザーレです。以降、お見知り置きください」
胸に手を当てて礼をする、落ち着いた表情のビザーレ侯爵は、銀色の髪とアイスブルーの瞳の美しい男性だった。
色合いから少し冷たい印象を与えるが、妻を見つめる瞳は甘い。
「ギルとわたくしは、学院でコンラッド様と一緒に生徒会の役員でしたの」
説明するようにダイアナに話すリシェールに、セルマが嬉しそうに姉に話しかけた。
「ダイアナ様とウォレン様とわたくしも生徒会役員でしたのよ、お姉様」
セルマは、コンラッドと一緒にリシェールを追ってきたウォレンに微笑みかけた。
ウォレンも彼女に笑顔を返す。
その微笑みが蕩けるように甘いことに気がついて、ギルロイが妻に話しかけた。
「良かったな、リシュ。君の妹は、婚約者に心から愛されているようだ」
「本当ね。ウォレン様となら、セルマも大丈夫でしょう」
「それに」と、コンラッドに視線を向け、リシェールはにっこり微笑んだ。
「コンラッド様が、今まで誰にも靡かなかった訳が判ったわ」
「どういうこと?」
彼女の夫が、隣から問いかける。
「あら、気づかないの?」
リシェールは夫に得意げに微笑んだ。
「ダイアナ様が大人になるのを待っていたのよ!そうでしょう?コンラッド様」
リシェールの言葉に、ダイアナは目を大きく見開いて彼女を見た。
突拍子もない意見に、ありえない、とダイアナは即断する。
コンラッドとのことは、そんなに甘い話ではないのだ。
これまでの年月の紆余曲折を省みれば、誰もそんな結論になど辿り着かないに違いない。
だが、答えを見つけた!とばかりに、リシェールはコンラッドを見上げている。
「そんなこと…」
ありえません、と続けようとしてダイアナは口を噤んだ。
コンラッドが片眉を上げて、ダイアナに視線を送ってきたからだ。
彼は視線をリシェールに戻し、常日頃誰に対してもそうするように、穏やかな微笑みを浮かべた。
「リシェール…いや、これからはビザーレ侯爵夫人と呼ぼうか。そういうことにしておこう」
この言葉に目を見開いたのはリシェールだった。
コンラッドは言葉を続ける。
「これから妻となる女性に、一片の誤解も招きたくないのでね」
ここで彼は声をぐっと潜め、周りに聞き取れるかどうかという音量になった。
「私が云うことでもないが、ビザーレ侯爵夫人、君は少し他人との距離が近すぎる。君の美点でもあるが、君の夫はきっと気が気じゃないぞ」
最後は揶揄うような口調の言葉に、リシェールは思わず夫に目を遣った。
普段のクールな印象とは違う、眦を下げて微笑む夫に彼女は一瞬目を瞠り、彼の頬に手を伸ばす。
「まあ…云ってくださったら良かったのに」
「君には自由なままでいて欲しかったんだ。それに…狭量だと思われたくなかった」
最後の言葉は、妻の耳にだけ拾われるような囁きに変わった。
仄かに頬を染めたリシェールとギルロイが思わず見つめ合う。
大袈裟な咳払いに二人が我に返ると、周りの生温かい微笑みが待っていた。
いや、セルマとダイアナは嬉しそうに微笑んでいる。
リシェールは我に返るのも早かった。
「もう少しお話ししましょうよ。セルマ、貴女の馴れ染めを聞きにきたのよ、今日は」
姉に名指しされ、驚いた顔をしたセルマは、リシェールに腕を取られて歩き出す。
セルマは姉と、隣に寄り添うウォレンを交互に見ながら、頬を上気させてリシェールに話しかけていた。
ダイアナはその様子を見ながら一番後ろを歩いていく。
と…。
腰に腕が回された。
見上げると、コンラッドの蕩けるような笑顔が降ってきた。
それから彼は前に視線をやり、ダイアナに視線を戻すと、ふっと目元を緩める。
「あながち、間違いではないかもしれないな」
「…何のことですの?」
小首を傾げて自分を見上げる婚約者に、かつての少女の面影が重なる。
「いや…いいんだ」
先ほどリシェールが云った言葉が蘇った。
「ダイアナ様が大人になるのを待っていたのよ」
コンラッド自身、気が付いていなかったが…そう、なのかもしれない。
だがそれをダイアナに教えるかどうかはーーーもう少し、考えてからでもいいだろう。
腰に回したのと反対の手でダイアナの髪を一房救い、口づける。
頬に朱を刷いたまま、しかし視線は頑固に前に向け、顎を心持ち上に向けて歩く彼女が可愛くて仕方がない。
二人きりの時は、自分の膝の上で飛び切り甘い恋人になることも彼はもう知っていた。
(私としたことが…)
コンラッドはダイアナを見遣りながら、心の中で呟く。
(二人きりになる時間が待ち遠しいとはな。)
腰に回した腕に力を入れると、ダイアナがちらりとコンラッドを見上げてきた。
その視線に何とも云えない色香が感じられ、瞳も心持ち潤んでいるように見える。
「あとで…」
そう云ったあと、コンラッドはそっと指先で恋人の唇をなぞった。
もう暫く、会話に参加するのもいいだろう。
ダイアナが望むなら踊るのも悪くない。
だがあとで必ず、ダイアナの甘い唇を味わわなければ。
これは決定事項だ。
恋人の耳が赤いのを視線の端におさめ、コンラッドは口角を上げて前を向いた。
了
お読みくださり、有難うございました。
また何か思いついたら書き足していくかもしれません。
その節には、またお付き合いください。




