20.
よろしくお願いいたします。
コンラッドのエスコートでキャンデール家の馬車に乗り込むと、滑るように馬車が走り出す。
(コンラッド様はお楽しみ、と仰ったけど…目的地はどこなのかしら……。)
窓の外を流れる景色を眺めつつ、そんなことを考えて自然とダイアナは無口になる。
その時、ふわりと甘い香りがした。
香りがしたのは、当たり前のように隣に坐っているコンラッドの方からだ。
そういえばーーー
思った通りのものを見つけて、ダイアナは微笑んだ。
コンラッドのフロックコートの胸ポケットには、一輪の開きかけの赤い薔薇が差してあったのだ。
(本当に良い香り…。)
コンラッドが迎えに来てくれた時に、薔薇の花には気がついていたが、あまりに絶妙な開き具合で本物ではないような気がしていた。
わざわざ偽の花を作らせるなどありえないけれど、それほどその薔薇は瑞々しく可憐だった。
「何かいいことがあったのかい?」
降ってくる言葉に視線を上げると、コンラッドが優しい目でこちらを見ていた。
「いえ…別に。この馬車はどこに向かっているのでしょう?」
特に取り立てて云うことでもないと、薔薇のことは口にせず、ダイアナは一番気にかかっていることを問いかけた。
「どこへ向かっていると思う?」
質問を質問で返し、コンラッドの瞳は面白そうにダイアナの顔を覗き込んでいる。
そう云われて、ダイアナは目を凝らして窓の外を見た。
この道はーーー
「ひょっとして…王宮ですか?」
驚いてダイアナは振り返り、コンラッドを見遣ると、彼はにっこり彼女に微笑んだ。
「ご明察。制約のある場所と云ったろう」
コンラッドは、王宮の一体どこに行きたいと云うのだろう。
一緒に行って欲しい、と乞われた時点で、ダイアナは漠然とどこかロマンチックな場所かもしれない、と想像していた。
しかし王宮ということは、何かの手続きだろか。
それとも、誰かとの会合だろうか……。
色々と想像が駆け巡っているだろうダイアナを見守り、コンラッドは敢えて沈黙を守った。
馬車が王宮の門を潜り、入り口の扉の前で止まると思いきや、そのまま走り続ける。
ダイアナが不思議に思っているうちに、馬車寄せと思しきところで止まり、コンラッドが先に降りてダイアナに恭しく手を差し出した。
「ここは…?」
「こちらの方が近道なのだ。おいで」
コンラッドの腕に手をかけようとしたダイアナの手を握り込み、コンラッドは馬車寄せの後ろの植え込みの隙間に入っていく。
「こんなところから…いいのですか?」
心配そうに声をかけるダイアナを見ると、頬が赤く染まっていた。
手を握っているのが恥ずかしいのだと察して、コンラッドは自然と笑顔になった。
恥じらう婚約者が可愛くて仕方がない。
「はぐれないように、手は繋いでおかないと。それに、ここが本当に近道なのだ」
植え込みとそれに続く灌木を抜けると、王宮の庭園の外れにある四阿の近くに出た。
時折、コンラッドがやんごとない方々に内密に呼び出されることのある場所だ。
庭園内も、王宮の中も、どこをどう通ったら一番早く目的地に着けるのか、コンラッドはよく知っていた。
それだけ王宮に召し出されることが多い、ということでもあるのだが。
ダイアナは王宮の庭園内に足を踏み入れることは久しぶりで、広い庭園内はどこがどこだか把握しきれておらず、コンラッドが手を引くままに歩いていた。
コンラッドの歩調はゆっくりで、あちこちの景色に目を輝かせているダイアナを、彼は目を細めて見ている。
と…。
見覚えのある景色の場所に出た。
直線的な生垣の続く場所。
同じような生垣ばかりで、どこがどこだか判らなくなるような場所だ。
昔はもっと、生垣が高かったような気がするけれど……。
急に立ち止まり、目を瞠ったダイアナに、コンラッドは優しく声をかける。
「ここがどこだか、判ったかな?」
コクコク、と頷くダイアナの手を、コンラッドは握り直して歩き出す。
「あの場所は、もう少し先だ」
コンラッドが歩みを進めるまま、ダイアナもついて歩く。
何度目かの角を曲がると、広く続く直線の道に出た。
歩調を緩めながら、コンラッドが話しかける。
「ここを曲がった時、君が見えた。覚えているかい?」
「ええ。道が判らなくなって、心細くなっていた時だわ」
そこでダイアナは、以前から不思議に思っていたことを口にした。
一度コンラッドに聞いてみたいと思っていたことだ。
「最初から、わたしが誰だか判っていらしたの?」
名乗る前から、コンラッドはローウェル侯爵家のお嬢さん、とダイアナを云い当てたのだ。
注意をされたことに気を取られ、あとになって、なぜ自分がダイアナ・ローウェルだと判ったのかずっと不思議に思っていた。
自分を見上げているダイアナに、肯定するように頷くと、コンラッドはタネを明かす。
「君の髪は目立つからね。それに、兄君に少し前に会ったばかりだったから」
その時を想い出したように、コンラッドがふっと微笑んだ。
「レスリーが、ディードリック殿下のガーデンパーティで王宮にいることは知っていたからね。君もきっとそうだと思ったよ」
「…栗鼠がいたのよ」
「栗鼠?」
「ええ。栗鼠を追いかけてたら、道が判らなくなってしまって……」
「で、迷子って訳だ」
くすくすと二人が笑い合い、そこから暫く会話が途切れた。
心地よい沈黙が二人を包む。
道の端の方まで来ると、不意にコンラッドが立ち止まった。
独り言のように呟く。
「ここだな」
ダイアナが見上げると、蕩けるような微笑みを浮かべたコンラッドが見返している。
そう、この辺りだったはず。
コンラッド様と初めて会ったのは。
ダイアナと向き合うようにコンラッドが立ち、彼女の両手を取る。
そして…すっと腰を落として跪いた。
「ダイアナ・ローウェル嬢、貴女を心から愛している。この先もずっと貴女を愛し続け、貴女の隣に立つことを許して欲しい。私の妻になってください」
空色の瞳が真っ直ぐダイアナを見上げ、手には胸ポケットから抜いた一輪の薔薇の花が捧げられていた。
すでに婚約は調っているのだ。
こんなことをする必要などない。
けれどーーー
真摯に自分を見つめる空色の瞳を見つめ返して、ダイアナは溢れる涙を抑えきれなかった。
しかし懸命に微笑んで、コンラッドが捧げた薔薇を受け取る。
「わたしも愛しています。ずっと…わたしを貴方のお側に置いてください」
一輪だけの薔薇の花言葉は、「あなたしかいない」ーーー
コンラッドは立ち上がり、その両腕にダイアナを包んで抱きしめた。
ダイアナも、腕を彼の背中に回して力を込める。
二人の体がぴったりと重なり、ダイアナの耳に「愛してる」という囁きが降ってきた。
「わたしも愛…」と云い切る前に、コンラッドの唇がダイアナのそれを塞ぐ。
コンラッドの唇の形で、彼が微笑ったのが判った。
午後も遅い時刻で、辺りに人影はなく、ただそよそよと吹く風が通り過ぎていくだけ……。
恋人たちのキスは深くなり、あとで婚約者から恨みがましく上目遣いに睨まれたのだが、コンラッドはもちろんそんなことはものともせず、ぽってりと赤くなった婚約者の唇に蕩けるような眼差しを向けて微笑んだのだった。
了
お読みくださり、有難うございました。
これにて、本編は完結となります。
あと一話、番外編を書く予定です。
また、本編には書きませんでしたが。。。
馬車寄せにも、灌木にも、通常は警備兵がパトロールにきます。
コンラッドがいつもこのルートを通る時は、警備兵たちと顔馴染みになっているので顔パスです。
ダイアナを連れてきた時は、パトロールが解除されることはありませんが、姿を見せないように遠巻きにするよう通達が出されていました。
庭園にも人払いがされるよう、コンラッドが前もって然るべき「お願い」をしていました。^-^




