16.
よろしくお願いいたします。
少し長くなってしまい、申し訳ありません。<(_ _)>
それからしばらくしたある日。
ダイアナは再び父親の執務室に呼ばれた。
何事かと急いで向かってみると、執務机に坐っている父親は手元の二つの書面を睨むように見比べ、眉間に皺を寄せている。
入室する時に声はかけたし、確かに父親の声で「お入り」と云われたはずなのに、ダイアナの方を見ようともしない……。
「お父さま…?」
何かしてしまったかしら…?と、思い当たることもないまま、おずおずとダイアナが父親に声をかけると、漸く顔を上げた父親のメイソンが、難しい顔をしてダイアナを見つめてきた。
「ダイアナ、お前の婚約が決まった。王命だそうだ」
「王命…」
ダイアナの顔から血の気が引く。
王命ならば、絶対に逆らえない。逆らえば、反逆罪を疑われるからだ。
しかし、一介の侯爵令嬢の婚約に王命などとは聞いたことがない。
何より、つい先日漸く、本当に漸くコンラッドと気持ちが通じたばかりだというのに。
青い顔のまま、ダイアナは一番気になることを口にした。
「相手は…どなたなのですか?」
王命での婚約というからには、王家に近い人間に違いない。
ダイアナの頭の中で思いつく限りの顔が浮かぶ。
釣り合いが取れるのは第三王子のディードリックだが、婚約者との仲は円満だと聞いている。
他の王子たちは結婚しているし、公爵家の令息たちも適齢期の者は皆結婚しているか、婚約中のはずだ。
唯一、婚約者のいなかった公爵家子息のウォレンも、セルマと婚約が調っている。
では、誰なのかしら…?
口を開きかけて、メイソンは何かに気づき、立ち上がって窓辺に立った。
「…来られたようだ。我々も準備をしよう」
足早に扉へと向かう父親に困惑し、ともかくついて行こうと足を踏み出したダイアナだったが、扉の前で不意に父親がくるりと向き直った。
上から下までダイアナを眺める。
「失礼のないように、きちんと着替えておいで。マーシャ!マーシャはおるかね?」
侯爵が扉を開けて、前半はダイアナに、後半は廊下に向けてダイアナ付きの侍女に声をかけると、すぐに応えが返ってきた。
「はい、旦那様。ここにおります。ご用でしょうか」
「ダイアナが着替えるのを手伝ってやってくれ。出来るだけ早くだ」
「かしこまりました。お嬢様、参りましょう」
マーシャに先導されて、ダイアナは足早に自室に戻った。
ダイアナは、「王命」という言葉が頭に響いて、何も考えられずにいた。
もう自分にはコンラッドしか考えられないというのに、どうしてーーー
マーシャは青い顔のまま、何も話さなくなったお嬢様を気遣いながら、旦那様の「きちんと着替えておいで」という言葉を聞いていたので、正装に準じた少し濃いモーブのドレスがいいだろうと考えた。
出来るだけ早く、と旦那様は仰っていたから、髪は横を少し編み込んでアップにするくらいで良いだろう。
しかし、支度をしている間も、お嬢様は一言も話さない。
顔色も悪くなっていくようだ……。
「お嬢さま、大丈夫ですか」
マーシャは、支度をしながら何度かダイアナにそう声をかけた。
髪を整えながらマーシャがそう何度目かに聞いた時、ダイアナは一度目を瞑って大きく息を吐いた。
そして目を開いたダイアナは、どこか決然とした表情でマーシャを見返した。
「マーシャ、大丈夫よ。心配してくれて有難う」
顔色はまだ青いままだったが、そう云って鏡の中のマーシャに微笑んだお嬢様の表情を見て、マーシャは少しだけ安心した。
(王命だとしても、どうにかして相手の方に判って頂かなければ…。)
ダイアナはもう、コンラッドのものだということを。
決意を秘めてダイアナは客間に足を踏み入れた。
すでに部屋には、正装に身を包んだ両親が坐っていた。
その向かいに坐っていた、これまた黒のフロックコート姿の背の高い人物が、ダイアナが部屋に入ってくると共に立ち上がった。
その姿を認めて、ダイアナの目が大きく開かれる。
その人物は、ダイアナを真っ直ぐに見つめると蕩けるような微笑みを浮かべた。
「ダイアナ嬢、ごきげんよう」
侯爵夫妻はその人物とダイアナに交互に目をやり、夫婦の間で視線が交わされた。
父親であるメイソンが軽く溜息をついたのとは反対に、母親のリネットは満面の笑みを浮かべる。
侯爵が各々に着席を促して落ち着くと、訪問客へ向けて真っ先に口を開いた。
「キャンデール伯爵、これは一体どういうことなのですかな?」
穏やかな声だが、僅かに不快感をにじます声色だ。
コンラッドは居住まいを正すと、ローウェル侯爵へ深々と頭を下げた。
「まずは、ローウェル侯爵様にはお詫び申し上げます。私としても先にローウェル侯爵様にダイアナ嬢と、結婚を前提とした婚約の許しを得ようと思っておりました。王命とお聞きして驚き、私も急ぎ駆けつけた次第です。……まったく…先走るにも程がある……」
最後の言葉は呟きのように声が小さくなり、誰の耳にも拾われずに消えていった。
「詫びを受け入れよう。そもそも、王命であればキャンデール伯爵が詫びることでもない。何があったのか、話してくれるかね?」
ローウェル侯爵の言葉にコンラッドは頭を上げ、空色の瞳が真っ直ぐに侯爵を見つめた。
「経緯については後ほど説明いたします。まずは、私からダイアナ嬢への正式な婚約のお許しをいただけますでしょうか」
「ダイアナを…?」
侯爵の言外には、どうして今ごろ…という思いが込められていた。
ダイアナとコンラッドは、レスリー=アンを通じて長年繋がりがある。
娘を婚約者に望むなら、もっと以前からアプローチがあって然るべきだろう、という気持ちなのだろう。
侯爵の言外の疑問を正確に理解し、コンラッドは僅かに苦笑した。
しかしもちろん、こんなことで怯むコンラッドではない。
「それは…ダイアナ嬢を心から愛しているからです。ただ愚かなことに、つい最近までそのことに気がついていなかった。お叱りはいくらでもお受けします。しかし、私の妻にはダイアナ嬢以外は考えられません」
きっぱりと、しかも熱烈に告げる空色の瞳の奥には熱情が揺らめき、さすがの侯爵もうっと言葉に詰まった。
ダイアナは視線をコンラッドから外しているものの、頬は赤く染まっている。
娘の様子を見やり、そうだったのか、とどこか納得できるように思った侯爵は、ふと隣に坐る妻に視線を向けた。
笑顔で娘を見つめていた侯爵夫人は、夫の視線に気がついて笑顔のまま彼を見上げる。
(気がついていたのか…。)
妻は娘の気持ちを知っていたに違いない。
それならば、私とて可愛い娘のためにしてやれることがあったのに、と侯爵は複雑な気持ちになった。
「一応、聞いておこう」
ローウェル侯爵は娘に声をかけた。
娘の表情が何よりも雄弁に語ってはいたが、彼は一つ咳払いをして続けた。
「ダイアナはこの婚約の申し込みをどう思う?」
そもそもこの婚約は王命なのだから、どう思うも何もないのだが、侯爵は聞かずにはいられなかった。
王家からの正式な通達である「王命」と、ある種必死さすら感じさせたコンラッドから訪問の許しを乞う手紙を読み、ほんの少し前まではどうやって娘を説得するか頭を抱えていたのだ。
娘もそれを望んでいることを、しっかり確認しておきたい。
父親の問いに、エメラルド色の瞳が一度コンラッドへ向けられ、恥じらうような喜びを乗せたダイアナの顔が父親に向けられる。
「ぜひ、お受けしたいですわ」
そう云うと、再びダイアナの瞳はコンラッドに向けられ、恋人たちは互いに甘く微笑み合った。
いつの間にか、二人は気持ちを通じ合わせていたらしい。
もちろん、侯爵に否やはなかった。
この王国の中でも大きな力を持っているキャンデール伯爵家と、繋がりを持ちたいと思っている輩は大勢いるものの、ローウェル侯爵家は領地を堅実に治め、キャンデール家に阿る必要などない。
それを充分理解した上で、当のキャンデール家の当主が是非に、と請うて娘を妻に欲しいと云っているのだ。
彼の人柄もよく見知っているので、きっと娘を大切にしてくれるに違いない。
だが……。
「キャンデール伯爵、娘との婚約を認めよう」
侯爵の言葉に、恋人たちが喜びに顔を輝かせて彼に視線を向けた。
しかし、コンラッドが礼を口にするより早く、侯爵は「だが」と続ける。
「一つだけ条件がある」
「条件…?」
舌の先まで礼の言葉が出かかっていたコンラッドの口からは、鸚鵡のように侯爵の言葉が繰り返されただけだった。
不意に、真剣な表情になる。
「娘との結婚式は一年先にしてもらおう。ダイアナはリネットについて色々と学んでいるところで、エステバン語も習っている。何より、もう少しだけ家族で一緒の時間を過ごしたいという私の我儘だ。結婚式の支度も、じっくり時間をかけてやりたい」
それは侯爵にとって半分は本音で、半分はささやかな意趣返しだった。
可愛い娘を奪っていく男には、それくらいは許されるだろう。
婚約から結婚まで一年の期間は貴族として一般的だ。無理を云っているわけではない。
だが、目の前の男は貿易、つまりは交渉手腕に長けた男だ。
最短で、などと云い出しかねない。
王家から婚約を命じた書面には、期限は記されていないことは確認済みだった。
案の定、コンラッドは侯爵の言葉に軽く目を瞠り、諦めたように小さく吐息を吐くと大きく頷いた。
「侯爵様、婚約を認めてくださって有難うございます。仰せのままに」
「あなた、王命ですのに…」
妻のリネットが小さく溢すのを聞いて、侯爵もそうだった、と呟く。
「それで、どうして王命などということに…?」
侯爵が問うと、コンラッドが説明を始めた。
曰く−−−
「先日、王宮からお召しがあり登城しました。少し前に隣国へ同行したことへ、陛下から労いのお言葉を賜りました。その折に、まだ身を固めないのかと陛下に問われ、近々固めるつもりだとお答えしたのです。すると陛下が相手は誰だと尋ねられました。お答えしないわけにもいかず、正直にローウェル侯爵家のダイアナ嬢だとお答えしました。ですが、それだけです。陛下もそれ以上は何も云わず、もちろん私が陛下にお願いしたということもありません。私のところへも王命が届き、驚いて参上したという次第です」
登城した際、通されたのが王の私室であったことは伏せた。
侯爵へ伝えた内容の他に、国王からある相談も受けていたからだ。もちろん、内密に。
国王からは、何か褒美を、とも云われたが、隣国への旅はこちらにも利のあることだったので固辞したことも敢えては伝えない。
恐らく、その褒美の代わりが今回の「王命」なのだろうとコンラッドには想像がついたからだ。
王命のお陰で、ダイアナとの結婚に横槍が入ることがないのは有難いが、こちらにも段取りというものがある。
良いことをしてやった、とほくそ笑んでいるであろう国王の顔を思い浮かべ、やれやれ…とコンラッドは首を振った。
お読みくださり、有難うございました。
侯爵も、先に王命の相手が誰なのか教えていれば、ダイアナも不安にならずに済んだのに…。
なのですが、婚約に関してダイアナと約束していたので、相手が誰であろうと知らせる瞬間は出来るだけ遅らせたかったパパなのでした。(^^;
あと4話ほどで本編は完結いたしますが、筆者の都合により、投稿は6月に入ってからになります。<(_ _)>
お待たせしてしまい申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。




