12.
よろしくお願いいたします。
ちょっとだけ長めです。
なかなか字数調整ができずに申し訳ありません。。。
「えっ…コンラッドさまが……?」
ダイアナの顔から血の気が引いた。
兄が落馬した、と伝えにローウェル侯爵邸を訪れたレスリー=アンは、人払いさせる時間ももどかしく親友に状況を伝えると、彼女は倒れそうなほど真っ青になったのだ。
レスリー=アンは慌てて駆け寄り、彼女の体を支えながらソファに一緒に腰を下ろした。
「命に別状はないですわ。腕と肋骨を折って、王都の病院に入院しました」
レスリー=アンはダイアナの背中に腕を回し、その背中を摩りながら噛んで含めるように云って聞かせる。
安心したからなのか、ダイアナの瞳からは涙が溢れた。
「よかった…」
絞り出すように呟くと、暫く下を向いたまま気を落ち着けているようだった。
その間、レスリー=アンは優しくダイアナの背中を摩り続けていた。
レスリ=アンが異変に気がついたのは、ウイローワックスの階下が騒がしくなった頃だった。
何事かと降りてみると、早駆けに行ったはずのコンラッドの馬だけが帰ってきたという。
馬に乗った召使いたちが捜索に行き、コンラッドを見つけたので荷車を引いて迎えに出たところということだった。
荷車に寝かせた状態で運ばれてきたコンラッドは、足は大丈夫と歩いで見せ、痛みに耐えているのか眉を寄せながらそのまま馬車で王都の病院へと向かった。
バートを兄に付き添わせ、レスリー=アン自身は身支度を整えて連絡を待つ。
午後には兄が診察を受けて入院した連絡を受け、レスリー=アンはその足で侯爵邸に向かったのだった。
どれほどの時間が経っただろうかーーー
漸く顔を上げたダイアナは、レスリー=アンを見上げて問いかけた。
「レスリー様はコンラッド様のお見舞いにいらっしゃる…?」
「ええ…もちろん、様子を見に行かなければ落ち着きませんから」
「わたくしからもお見舞いをお贈りしたいわ。お持ちくださる?」
微笑みは弱々しかったものの、思ったよりしっかりしたダイアナの声にレスリー=アンは安堵した。
いつもよりその口調が丁寧になっていることに彼女は気がついたが、敢えてそのことには触れずに答える。
「もちろん、お持ちしますわ!」
真顔で頷くレスリー=アンに、ダイアナは自信なげに眦を下げた。
「わたくし…足掻いてみようかと思います」
「足掻く…?」
「コンラッドさまのことで、もう後悔をしたくないの。こんな時に会いに行くこともできないなんて」
もどかしさがダイアナの口調に滲む。
本当なら、コンラッドの様子をすぐにでも自分の目で確かめたい。
ローウェル侯爵もコンラッドと懇意にしているので、いずれ父親と共にお見舞いに行くことも叶うかもしれない。
けれどそれは、コンラッドが来客を受け入れられるようになってからだ。
今、コンラッドが大変で辛い時に、何もできない自分がーーーできる資格のない自分が辛すぎる。
「コンラッドお兄さまが退院していらしたら、またわが家でお茶をしましょう」
「ええ…そうね」
「腕と肋骨以外は何ともないそうですから、きっとすぐですわ」
「ええ…ええ、そうね」
励ますようにダイアナに声をかけるレスリー=アンに応えながら、自分を納得させるようにダイアナも頷く。
不意に、彼女はレスリー=アンの手を取り、ぎゅっと握り締めした。
兄のコンラッドが怪我をしたのだ、レスリー=アンだって心配していないはずがない。
それでも友人を励まそうと、声をかけ続けていることにダイアナは気がついたのだった。
「有難う、レスリー様。大好きよ」
「わたくしもです、ダイアナ様」
レスリー=アンは、漸く少しほっとしたように微笑んだ。
◆◆◆
どんよりとした雲が広がる中、ウイローワックスのテラスでレスリー=アンはダイアナとお茶を飲んでいた。
庭園を臨むテラスとは真逆の位置にあるもので、半分サンルームから迫り出したように造られているテラスからは、キャンデール家に出入りする人たちがよく見える。
はじめは庭園を臨むテラスでお茶をしていた二人だったが、曇ってきたこともあり、途中からこちらのテラスへ移動してきたのだった。
「どんな人なのかしら」
お茶のカップをソーサーに戻しながら、ポツリとダイアナが溢した。
レスリー=アンは、ちらりと視線を馬車寄せの方へ向けた。
「さあ……信用のおける医師から紹介された看護人だとしか……」
そう話をした兄のコンラッドは、次兄のブルースと一緒に朝から執務室に篭りきりだ。
一昨日退院してきたコンラッドは、帰るなり次兄のブルースが執務の補助に来ること、看護人を頼んだので部屋を用意するように、と指示を飛ばし、思ったより元気そうなことにレスリー=アンは安心した。
ただ看護人のために用意された部屋が、使用人用ではなく客用寝室だということに気がついたレスリー=アンが、執事長のオーティスに何故かを尋ねると、「コンラッド様のご指示ですので」としか答えないのが気にかかる。
気にかかっていたことなので、ついレスリー=アンがダイアナにそのことを話してしまうと、彼女はレスリー=アン以上に考えを巡らせてしまっている様子だった。
それならば、とレスリー=アンが提案して、お茶の場をこちらのテラスへと移動させた。
ここなら、もうすぐ到着するはずの看護人の姿を確認できるはずだ。
気にかかっていることはとりあえず追いやり、互いの近況などを一頻り話していると、一台の馬車が馬車寄せに入ってきた。
二人の会話がぴたりと止まり、四つの目が吸い寄せられるように馬車寄せに向けられる。
キャンデール家の紋章が付いていない一見、乗合馬車のように見える馬車は、キャンデール家のものだと知られないために使うもので、見る者が見ればごく上質の素材で造られていることが判るものだ。
馬車の扉が開き降り立ったのは、背中の中ほどまで伸びた黒髪をおろしたままの、遠目からでも美しい顔立ちと判る若い女性だった。
手荷物と見られるトランクを持ち、馬車から玄関へ歩いていく。
玄関の扉が開き、執事長のオーティスがその女性を招き入れて扉が閉まるまで、二人は息を詰めるようにしてその姿を見つめていた。
閉じられたウイローワックスの玄関を見つめ、漸くダイアナは大きく息を吐いた。
「わたくしが想像していたよりも若い方ですわ」
レスリー=アンの感想に、ダイアナは首肯した。
視線をテーブルの刺繍に落として、呟くように応える。
「ええ。それに綺麗な方だわ」
信頼する医師から紹介された、とコンラッドが話したということは、彼が入院していた病院にいた看護師ではないということだ。
あの女性が看護人だとしたら、彼女がコンラッドの周りで甲斐甲斐しく彼の世話をするのだろうかーーー
ほんの一瞬しか見ていないけれど、あの女性が楚々として美しいのはよく判った。
万が一、コンラッドの心が彼女に傾いてしまったらーーー
いや、あの女性の方がコンラッドに惹かれてしまうかもしれないーーー
コンラッドは、今までそれほど近い距離に女性を置いたことがないことを知っているダイアナの思考は、良くない方向へばかり転がっていく。
彼女の胸はチリチリと疼いた。
そっとダイアナの手に何かが触れ、それがレスリー=アンの指先だと気がついてダイアナが顔を上げると、彼女は眦を下げてダイアナを見返していた。
「よろしかったら、晩餐をご一緒にいかがでしょう…?」
レスリー=アンの提案を少し考え、ダイアナは首を振った。
「やめておきますわ…今日のところは」
コンラッドはまだ退院して日が浅い。
それなのにもう執務に就いているということは、かなり忙しいに違いない。
彼が晩餐に同席するかどうかは判らないけれど、長年の友人とはいえ、妹の友だちが晩餐にいては気を遣うことだろう。
まだ顔は見ていないが、コンラッドが無事に退院したことと、看護人の姿を確認できたことで今日は満足しよう。
そうダイアナは思っていた。
思っていたのに。
「え?わたくしもですの?」
旦那様がお呼びです、と姿を現したオーティスは、ダイアナ様もご一緒に執務室にお越しください、と付け加えた。
レスリー=アンとダイアナは顔を見合わせた。
背筋を正して扉の外で待つオーティスは、二人が出るのを静かに待っている。
レスリー=アンが頷くのに応えて、ダイアナは彼女と共にオーティスに続いてコンラッドの執務室へと向かった。
重厚な扉から出て行った執事と入れ違いに、オーティスは執務室に入り丁寧なお辞儀をする。
「コンラッド様、お嬢様方をお連れしました」
「そうか。有難う」
聞き覚えのある声にダイアナの胸が高鳴った。
オーティスが脇に避けると、執務机に坐ったコンラッドが目に入った。
少し痩せたようだが、コンラッドはそれでも思ったより元気そうに見えた。
刺繍の施されたガウンの内側に、利き腕である右腕を吊っている。
するとコンラッドと対峙するように、こちらに背を向けていた人物が振り向いた。
背丈はレスリー=アンと同じくらいだろうか。
美しい菫色の瞳が印象的な黒髪の女性が、少し緊張したようにこちらを見ていた。
コンラッドが看護師のジリアン・マルレーネ嬢だと紹介し、彼女は綺麗なカーテシーをして見せた。
板についたカーテシーに、それでは貴族令嬢だったのか、と驚く。
レスリー=アンが重ねて自分を紹介してくれたので、名乗るついでについ一番気にかかっていることが口をついて出た。
「ダイアナ・ローウェルですわ。コンラッド様の看護はどのくらい必要なのでしょうか」
云ってしまったあと、不躾だったかとダイアナは唇を噛んだ。
相手は軽く目を瞠り、しかし気分を害する気配もなく、考えるように慎重に答えてきた。
「恐らくは一月ほどかと。コンラッド様がご壮健な方でしたら、もう少し早いかも知れません」
「一月…」
その間、この美しい看護師がコンラッドの側にいるということになる。
再び、ズキリとダイアナの胸が軋んだ。
しかしコンラッドの次の一言で、ダイアナの思考は吹き飛んでしまった。
「心配してくださって嬉しいですよ、ダイアナ嬢」
驚いてコンラッドに視線を移すと、自分を真っ直ぐに見つめたコンラッドが微笑んでいた。
しかもその視線の中に甘さが潜んでいるようで、ダイアナを落ち着かなくさせる。
こんなコンラッドは初めてだった。
こんな、こんな…まるで愛しいものを見るような瞳で……。
しかし、それも一瞬のことで、ダイアナが瞬きした時にはいつものコンラッドだった。
(そんなはずないわね…。)
今までの現実がダイアナを冷静にさせた。
彼にとっては、自分はやはり妹の友人なのだ。
そこからどうやったら女性として見てもらえるのか判らないけれど、何とかしなければ。
足掻く、と決めたのだから。
ダイアナがこのまま辞する旨を告げ、コンラッドに膝を曲げて挨拶すると、再びいつもと違うことが起こった。
「ブルース、お前が送って行ってくれるか」
コンラッドが弟に声をかけたのだ。
ローウェル侯爵家の馬車が待機しているのを知っているだろうに。
「いえ、その必要は…」
「もうじき陽が暮れる。何かあってはいけないからそうさせてくれ。いいな?ブルース」
云いかけたダイアナの言葉を遮るようにコンラッドが話をまとめ、無言のままコンラッドの側で書き物をしていたブルースは頷いて立ち上がった。
結局、ローウェル家の馬車はそのまま帰され、ダイアナはキャンデール家の馬車にブルースと乗って送ってもらうことになった。
馬車の中で物思いに沈んで沈黙していたブルースは、ローウェル侯爵家に到着すると、ダイアナが降りる時に手を差し出し、ニヤリと笑った。
「ダイアナ嬢、これから覚悟した方がいい」
何を?と問いかける前に、ブルースはさっと馬車に乗り込み、そのまま馬車はもと来た道を帰って行った。
お読みくださり、有難うございました。
コンラッドが帰ってきました。
もう少ししたら、甘くなります。^-^




