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10.

微妙に区切るのが難しく、少し長くなってしまいました。

よろしくお願いいたします。


ヒロインに、ヒーローでない人との婚約の話が出ます。

苦手だと思われる方は回れ右をしていただくか、読み飛ばしていただくようお願いいたします。

それから二週間ほどして、アリソン公爵家嫡男のウォレンとドノヴァン子爵家令嬢セルマが婚約した、と云う知らせがローウェル侯爵家にもたらされた。

セルマの婚約解消からは、考えられないほどのスピード婚約だ。

セルマからの手紙で、ウォレンから婚約の申し込みがあり驚いたこと、彼の真摯な姿に打たれて前向きに考えようと思うと知らされていたダイアナは、ぜひそうするべきだと返事を送っていた。

もとより、ウォレンの瞳がずっと誰を追っていたか、ダイアナは知っていたのだから。


もう一つ、驚くべきことがあった。

バートラム家の夜会の日から暫くして、ダイアナは父親の執務室に呼ばれた。

何事かと執務室を訪れると、父親のメイソンが彼女を待ち構えていて、アーロン・シャンティエ侯爵令息から婚約の申入れがあるという。

今までも婚約の申入れはたくさんあったが、ダイアナはあと一、二年は自由に過ごさせて欲しい、自分で然るべき相手を見つけられなければ、ちゃんと時期が来たら父親の意に沿う相手と結婚するから、と父親を説き伏せていたのだ。

だからその話をして以降、ダイアナは一枚の釣書も見たことがなかった。


「お父さま、それは…」


困ったように眦を下げた娘に、メイソンは宥めるように云う。

娘に甘い、と妻や息子から云われている侯爵だが、今回は娘にとってまたとない良い相手だからだった。


「以前の約束通り、どうしても嫌だと云うなら断っても良い。だがアーロンはずば抜けて優秀な男だ。会うだけ会ってみてはどうだ?」


アーロン・シャンティエの噂は、ダイアナもよく知っていた。

シャンティエ侯爵家は代々王家に仕える文官の家で、次男のアーロンは半世紀に一度の逸材と呼ばれているらしい。

二十三歳という若さで、宰相付きの補佐官として働いている。

そんなに優秀な男にまだ婚約者がいないのは驚きだが、それを云えば彼のキャンデール家の兄弟にだって婚約者はいない。


ダイアナは、アーロン様とお会いしたことがあったかしら…と、その容貌を思い出そうとしていた。

以前に行った夜会で、「ほら、あれがアーロン様よ」と、知り合いの令嬢が興奮気味に教える方を見やると、遠目にも整った顔立ちで黒っぽい髪の男性が令嬢方に囲まれるように立っていた。

文官と聞いていたのに、思ったより上背もあり、がっしりしていたように思う。

その距離以上に近づいた記憶がないのに、何故彼は自分に興味を持ったのだろう…?


(いえ、待って……。)


ダイアナの脳裏に、黒い髪の男性の後姿が浮かぶ。

最近見かけたはずだ。あれは……。


(ひょっとして、あの時あの部屋にいた…?)


ダイアナの眉間に皺が寄った。

あの一部始終を見られていたかもしれない。

確かめてみなければ。


ずっと黙ったまま、急に眉根を寄せた娘に、メイソンは焦ったように声をかけた。


「ダイアナ?」

「お父さま…」


顔を上げた娘は、にっこりと父親に微笑んだ。


「わたくし、アーロン様にお会いしてみますわ」

「! そうか!」


娘も乗り気だと誤解したメイソンに、ダイアナは表情を消して続けた。


「お会いしてみるだけです。その先は期待しないでくださいませ」

「判ってる、判っておる」


うんうん、と頷く父親に、本当にお会いするだけですわ、とダイアナは心の中で念を押した。



◆◆◆


顔合わせの場は、ローウェル侯爵家と決まった。

アーロンが、こちらから申込んだのに来ていただくのは申し訳ない、と申し出たからだ。

優秀だと云われ、令嬢たちを侍らせている姿しか見ていないダイアナは、もっと傲岸な男かと思っていたが、案外細かい気配りもできるらしい。

宰相補佐をしているのだから、それも当たり前か、と思い直す。


レスリー=アンとよくお茶をしている、庭園が見渡せる陽当たりの良いテラスに客人の姿を認め、ダイアナは軽く息を整えて近づいていった。

襟の詰まった若草色のデイドレスは、ダイアナが気に入ってよく着ているものだ。

顔合わせを受けてもらって嬉しいこと、格式張らずに普段の雰囲気でお話を、とアーロンから手紙で伝えられ、迷った末に彼の言葉通り、一番肩を張らずに済む装いにした。


近づいてきたダイアナに、相手が席を立って待っている。

上背があり、文官にしては大柄な男は、男らしい精悍な顔立ちで、文官というより武官のそれに近い雰囲気がするが、整っていることに変わりはない。

黒髪を後ろで束ね、近づくにつれて瞳は碧だと判る。

白いシャツに紺のトラウザーズというラフな装いで、彼はにこやかに微笑んでダイアナに小ぶりのブーケを差し出した。

ダイアナがブーケを受け取ると、男はボウ・アンド・スクレープの礼をする。


「ご機嫌よう、ダイアナ・ローウェル侯爵令嬢。アーロン・シャンティエです。本日はお会いいただけて感謝しています」

「ダイアナ・ローウェルですわ、アーロン・シャンティエ侯爵令息さま。美しい薔薇を有難うございます」


ダイアナも美しいカーテシーを披露し、手に持ったブーケに視線を落として目を細めた。

短めに切り揃えられたピンクと赤の小薔薇が、薄く透けた白い紙に束ねられたブーケは愛らしい上に上品だ。


「おかけくださいませ、シャンティエ侯爵令息様」


ブーケを侍女に渡し頷くと、ワゴンを押した別の侍女がお茶の支度を整えていく。

ダイアナの向かいに腰かけながら、アーロン・シャンティエはふわりと柔らかく微笑んだ。


「アーロンとお呼びください。あの大きさのブーケなら、書物机の上にでも飾って眺めていただけるかと思ったのですよ」

「それでは、わたくしのことはダイアナと。お初にお目にかかります。以降、お見知りおきくださいませ」


今までお互いに紹介されたこともなく、正真正銘「初対面」のはずなのだが、アーロンからは「お初にお目にかかる」という言葉を慎重に避けられている気がした。

アーロンの微笑みは口角にのみ残り、碧の瞳からは何も読み取れない。

侍女がお茶の支度を終えて下がると、ダイアナは侍女のマーシャに視線を送って頷いた。

彼女は他の侍女を促し、二人を残して離れた位置に下がっていく。


「アーロン様はとても優秀でいらっしゃるとお聞きしましたわ。宰相の補佐をなさっていらっしゃるのですってね」

「ええ、まあ。でも本当は騎士になりたかったのですよ」


そうアーロンはあっさりと云った。

確かに恵まれた体躯をしているので、騎士だと名乗っても彼のことを知らなければ納得してしまうだろう。


「まあ、そうでしたの」


ダイアナは優雅にお茶を口に運びながら、どう切り出したものか思いあぐねていた。

少し伏目がちになり、テーブルクロスの刺繍を目でたどる。

真っ白なクロスには、緑の糸がグラデーションとなって美しい草花の刺繍が施されていた。

すると、アーロンが口を開いた。


「先日、面白いものを見ましてね」


顔を上げたダイアナの視線を捉え、アーロンは真っ直ぐに見つめてきた。

少し口角をあげ、碧の瞳は愉快そうに煌めいている。

ダイアナは慎重に侯爵令嬢の笑みを顔に貼り付けたまま、アーロンの続きを待った。


「よく世話になっている伯爵家の夜会で、たまたま会った騎士科時代の友人とゆっくり話がしたくてなりましてね。静かな部屋に移動したと思ったら、そこに居た男女が何やら揉め始めたのです」


(ああ、やはり…。アーロンさまはあの場にいらしたのだわ。)


ダイアナは軽い目眩を感じた。

アーロンから視線を外し、目の前のカップの縁に視線が彷徨う。

上手くやったと思っていた。

その時には万事上手く行ったと思っても、綻びが露呈するのはいつだって少し時間が経ってからだ。

しかし、まだこの話を始めたアーロンの意図は判らない。

婚約の申込みは正式なものだ。

まさか、婚約者になるかもしれない令嬢に、高位貴族らしからぬ行いを咎めに来たとでも……?

それにしては、アーロンは愉しそうだ。

ダイアナは、眉を寄せそうになるのを懸命に堪えた。


「最初は痴話喧嘩かと思ったのです。でも赤い髪の立会人と別の女性が現れた。これは愁嘆場かな、と思っていたら話は驚くほど早く収束して、登場人物は舞台を去ってしまった。自分が何の場面に立ち会ったのかが判ったのは、少し後になってからでした」


ここでアーロンは言葉を切り、美しい所作で供されているお茶で喉を潤した。

その言葉が本当なら、ダイアナたちが意図したことは理想的に終えられたことになる。

傍観人は選べなかったが、できるだけ少ない人数で、彼らが何を見たか判断できないうちに場所を移すように計画したのだ。

カップの中のお茶に視線を向けながらも、アーロンの口角は上がったままだった。


「ヒュー・レイノール伯爵令息はバネット男爵家のニーナ嬢と婚約して、婚姻後は婿入りするそうですね」

「ええ…わたくしもそう耳にしましたわ」


カップに伸ばした手が一瞬止まったものの、何事もなかったようにそのままダイアナも優雅な所作でお茶を口元へ運ぶ。

慎重に言葉を返し、動揺を悟られないようにダイアナは視線を落として、テーブルに飾られている白とピンクの百合に向けた。

あの場で名前を呼ぶのも最小限に抑えたはずだけれど、調べようとすれば誰があの場にいたのかは判ってしまうだろう。

それにしても、アーロンは正確に自分が何の場面を傍観したのか把握していた。

あの場にいた人のうち、あとどれだけの人がアーロンのように理解しただろうか……。

ダイアナの思考を遮るようにアーロンが続けた。


「セルマ・ドノヴァン子爵令嬢が、ウォレン・アリソン公爵令息と婚約することも判っていたのですか?」

「それは…!」


ハッと視線を上げ息を呑んだダイアナに、アーロンは満足したように頷いた。

もう一口お茶を口に運び、彼はゆっくりカップをソーサーに戻す。


「感心したのですよ、ダイアナ嬢。鮮やかなお手並みだったと。貴女とだったら、きっとこの先の人生も退屈しないに違いない」

「…!」


アーロンはダイアナの瞳を見つめて微笑んだ。

思いがけない手放しの褒め言葉と、いきなり語られた求婚の理由に、ダイアナは首から熱が上がってくるのを感じた。

顔を隠すように扇を広げ、視線をずらず。

その様子をアーロンは目を細めて見ていた。


「いい反応だ。今日はこのくらいにしておきましょう。ダイアナ嬢、婚約のこと、ぜひ前向きに検討いただきたい」

「す、すぐにはお返事しかねます。考えるお時間をくださいませ」


このままアーロンのペースに乗せられてしまうのは不本意で、ダイアナは立ち上がった彼の顔を見上げて口を開いた。

思いのほか真面目な顔になったアーロンは、ダイアナの瞳を暫く見つめ、ふっと目元を緩めると頷いた。


「いいでしょう。いつまでも…という訳にはいかないが、お待ちします。できれば良いお返事を、ダイアナ嬢」

「ご機嫌よう、アーロン様」


ダイアナの差し出した手の指先に軽く唇を触れ、アーロンは一度彼女に微笑むと去って行った。

その後ろ姿を見送りながらダイアナはふーっと大きく息を吐き、自分が思っていたよりも気を張っていたことに気がついた。


お読みくださり、有難うございました。



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