8
魔法が使えず蝋燭の明かりの灯っている時間を延ばすことができなかったので、しばらくすると蝋燭が消え、営倉は暗闇に包まれた。遠くでたくさんの人が声を発しているのが聞こえた。籠城中の城に援軍がやってきて喜びの声を上げているのかも知れない。
コンコン
扉をノックする音が聞こえた。閂が外され扉が開いた。外では警戒している兵士がいるようで蝋燭の明かりが開いた扉から挿しこんできた。
人影が営倉に入ってきた。小柄なその影はまず蝋燭をランプに近づけて火を付けた。一晩は灯し続けるように魔法をかける。
紬は横たわったまま、その小柄な人を見た。金髪の可愛らしい少女だった。歳は紬と同じくらい。だとすれば十五歳くらいだろう。
「正木さまに言われて来ました。正木さまの従者のリンです」
透き通るような心地よい響きを持った声でリンは言った。
「あなたを治療しにきたよ」
リンは営倉の隅の簡易炉にも魔法をかけて火を入れてくれた。そしてベッドの傍らに膝立ちになって紬の顔を覗き込んだ。
「あなたのお名前は?」
そう言って紬の手首を手にとって指を当てた。脈を数えているらしい。
「……」
「なんて呼べばいいのかなって。私の名前は正木さまが付けてくれたの。あなたにもあるでしょう?大事な名前が」
「…つ、むぎ……」
「つむぎ、紬ね」
リンはそう言ってから紬が着用したままになっていた、えんじ色の皮装備を手早く外していった。紬が胸部を抑えて痛がる素振りを見せたので
「胸が痛むのね?」と言って紬の上半身の服を脱がせた。下着も脱がせると白い肌の胸部に打たれたあとが赤いあざとなって見えた。
「正木さま、もう!手加減しないんだから」
リンは怒ったような声で言った。
「…しかたない……命をかけて戦ったんだ。殺されなかっただけましだ。…いや、いっそのこと殺してほしかった……」
紬は痛みを堪えながら言った。
リンは紬の胸部に手をかざし治癒魔法を詠唱した。紬は温かみを感じて痛みが和らいだ感じがした。リンが手にしてきたバッグから液体の入った瓶を取り出し、それを紬の胸に塗る。その上に布をあてがって包帯を巻いてくれた。
紬は処置をしてもらいながら大人しくしていた。と、同時に戸惑いを感じていた。
この子……。
手首に触れられたときに感じた違和感。でもまさか……。
紬はリンの生気に満ちた顔を見た。てきぱきと治癒道具を片付けている、見ていて気持ちの良い動き。滑らかではりのある腕の白い肌。
とても造り物には見えないが……。
リンは何かを感じ取ったのか紬の顔のほうを向いて、紬の瞳を見つめてきた。
「リンはホムンクルスだよ」
紬が信じられないという表情をする。
「たくさんの仲間たちと一緒に作られて、みんなと一緒に使い捨てられて、壊されそうになったところを正木さまたちが助けてくれたの」
紬は金持ちの家で簡単な作業を手伝わされるホムンクルスたちの姿を思い出した。彼らは人間の形に似せて土から作られていたが、とても人間と同じようには見えなかった。丸と四角を組み合わせたような単純な造形だった。
リンは人間と寸分も違わないように見える。話している内容も元気な町娘と相対しているようだった。それでも紬の内なる魔法の力からくる洞察力が違和感を感じ取っていた。
「驚いた……」
「この星ではまだホムンクルス作成魔法が進んでいないから。リンみたいなかっわいいホムはまだ作れないよね」
リンはそう言って笑った。
「リンと正木さまは別の世界から来たんだよ」
にわかには信じられない話しだった。
紬は手を伸ばしてリンの頬に触れた。
「人と変わらないわ」
「一番のかわいいホムです」
人懐っこい笑顔でリンは言った。
「ホムンクルスも人も関係なく可愛らしいわよ」
紬は少し明るい口調で言った。
「ありがとう!」
「そうか……それなら……別の世界、魔法が進んだ世界から来たと言ったわね?それならあの男の強さも納得だわ」
そう考えれば負けた悔しさも少しは和らぐ。紬はそう思いたかった。
「正木さまは強いよ。魔法界で一番強いんだから」
リンは戦闘魔法のレベルに関してなら、この星とも上位とされる魔法界との差はほとんどないけどね、と思いながらも、今はそう言わないほうが良さそうだという分別があった。
「はあ……」
紬が頭をベッドについてため息を吐き出した。
「そんな強いやつがあの悪魔のような領主の味方についてしまうなんて。ツイてない」
同じ年頃のリンに優しくしてもらって気が軽くなったのか、紬はくだけた口調になって言った。
「悪魔のような領主?」
「そう。ロイド伯爵……領主は民を虐げている悪魔よ。私の村も重税を課され冬を越せる見込みはなかった。山賊と変わらないわよあんな奴」
紬は村での辛い日々を思い出して顔をしかめた。
「どうしてあなた達はあんな領主の味方をするの?どうして……」
「リンはただの従者だから分からない……けど、そうだ、殿下に話してみたらどうかな」
「殿下?」
「うん。今このお城にはエミール王子が来てるんだよ」
「王族なんてあてにならないわ。グラボーさまは何度か王都にも陳情の使者を出したんだけど相手にしてもらえなかったって言ってた。グラボーさまは司教さまで抵抗軍のリーダーよ」
グラボーの名前を不思議そうにきいたリンの顔を見て、紬はリーダーに関する説明を付け足して言った。
「そう……でも殿下は良い人だよ。王族とよばれる人たちには珍しいくらいの」
「もう遅いわ……どうせ私すぐに処刑されるんだから……そんな機会はないだろうし」
「リンが正木さまに話してみる。きっと何とかしてくれるわ」
「……ありがとう。あなたは優しい人ね」
紬は目に涙を浮かべて言った。だがあまり期待できないと思った。
グラボー率いる抵抗軍の上層部に、魔術士としての才を見出されてからは、ロイド伯爵の軍をさんざん苦しめてきたのだ。紅の魔女というありがたくない呼び名もつけられるくらいに。
リンは軽やかな足取りで営倉の部屋を出ていった。
彼女が残してくれた熾火が炉には赤く鈍く残っており部屋を暖めてくれた。
紬は短い人生だったと思った。処刑されるであろう自分に残されたあと少しの時間を、村の仲間、抵抗軍の仲間の無事を祈って過ごそうと思った。