花買って
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふああ〜……、お、つぶらや、おはよう。
いや、どうにも低血圧は嫌だねえ。朝早いと眠くて眠くて。ブラックコーヒー飲んだから、もうしばらくしたらマシになってくれると信じたいが。
つぶらやは、どうして低血圧が朝に弱くなりがちになるか、知っているか?
ざっくばらんにいえば、脳や身体に血が行き渡っていないからだな。血圧が低いってことは、血を身体のすみずみへ運ぶ力が弱っちいってことだ。
血が及ぼす力は、俺たちが考えている以上に大きいかもしれない。
俺の昔の話なんだが、聞いてみないか?
自分の腕とかを走る血管、誰でも一度は気にしたことがあるだろ?
人間の血は赤いはず。それがどうして、これほどに青っぽい色の血管が走っているのだろう、とも。
それに大人たちが答えてくれる。そこは静脈なのだと。
酸素を運び終わった後の血液。それが皮膚のすぐ下を通るとき、光の加減などが加わって血管が青く見えてくる。
俺はそれが気味悪くて仕方なかった。青色の血といったら、アニメや漫画の敵役、それも異星人か虫人間じみた奴が持つというのが相場。
そんな奴らと一緒くたにされるなんて、ごめんだと、常日頃思っていた。
その日は、たまたまクラスの大半とはないちもんめをすることになったんだ。
それが集会のレクリエーションか、休み時間にやったことだったか、いまひとつ思い出せねえ。
二つに分かれた陣営が手をつなぎ、押しては引く波のように行き来をしながら、歌を歌う形態なのはお前も知っているだろう。
俺たちの地元の歌は、たぶん他の地域より長いな。
かってうれしい、まけてくやしいのあとに、タンス、長持、あの子が欲しいと続いて、鬼がいるから出ていけない。布団びりびり、鉄砲玉無し出ていけないときて、ようやく子供の相談だ。
その日、俺の両手をつないだクラスメートのうち、左手側の相手の手が少し妙だったんだ。
手の甲に浮き出た血管。それがわずかだが、しきりに動いているのさ。
お前も仕事とか作業をしていて経験ないか? 自分の手に浮き出る血管が、ちょっとした拍子でずれたりするの。あの感覚、好きになれないよなあ。
そいつの血管の動きは、手の甲だけにとどまらない。つないでいる俺の手のひら越しに、何度も何度もうねって、触れてきたのさ。まるで舌で肌をなめるように。
最終的に俺たちのグループ側が、相手メンバーを全員引き入れて、勝利。
花いちもんめが終わると、すぐに手を洗った俺だが、その手のひらに浮かぶ血管は、これまでにも増して青く。いや、黒く染まっているように見えたんだ。
その翌日から、俺は左腕全体にアリがはい回っているかのような、奇妙な感覚に襲われるようになる。
いつも走っているわけじゃない。落ち着いているときには、思い出したように一瞬だけ来るんだが、体育で走った後は悲惨だった。
爪の先が一瞬、むずがゆくなったかと思うと、鳥肌を立たせながら見えないアリが走ってくるんだよ。手首を抜け、二の腕を駆け上がり、肩をさすりながら首へ、そして頭へと……。
「ひゃっ」と声をあげたいのを必死にこらえた。せわしげに頭のあたりをかいてみるも、触れてくるのは、髪の毛の感触とかすかに落ちるフケばかり。
走ったばかりで、息がまだ上がっている。ゆっくり呼吸しながらも、俺は何度も繰り返される、アリたちの行進をかいて止めようとして……。
行進? 先ほどまでは、ずっと足が速かったのに、いまは行進ともいえるトロさで肌をめぐっている。
どうやら、それは俺の呼吸の乱れに連動しているらしかった。息が整ってくるにつれて、アリたちの走りはのろく、やがて教室にいるときのように、ごくごく断続的なものへと落ち着いていったんだ。
その代わり。俺の心臓の音は、以前にも増して強まった気がする。
のどから出てきそうというより、胸の奥から肋骨も肌も突き破って、飛び跳ねそうなくらいに激しいものだった。
そしてそのポンプ、一押し、一押しごとに……またあのアリが駆ける。
今度は腕だけにとどまらない。胸を中心に上へ下へ、俺のつむじからつま先まで届けと言わんばかりに、俺は体中が鳥肌を立てるのを感じていたよ。
授業が終わってから、すぐ保健室へ飛び込んだ。
事情を話すと、先生は目と口の中をいったん調べたあとで、俺の左腕を軽くとった。
そのまま、自分のすぐわきにある引き出しのひとつを片手で開け、ピンセットとその先につまんだ脱脂綿をひとつ、取り出す。
普通なら、アルコールなりなんなりをつけるだろうそれを、先生はいきなり俺の腕に押し付ける。そのまま俺が伝えた通り、指の先から肩近くまで、ぐっと一文字になぞり上げていった。
にわかには信じられなかった。
白かった脱脂綿は、わずかその一筋のなでのみで、真っ黄色に汚れてしまったんだから。
鼻からそれなりに離れているのに、漂ってくるのは下水にも似た臭い。思わず息を止めてしまう。
ちゃんと昨日も風呂に入っている。身体を洗うのだって手を抜かなかった。
体育のあの運動だけで、このありさまだっていうのか?
「これは血だね」
先生はこともなげにいうと、さっと脱脂綿をゴミ箱に捨てた。そして昨日、他人と長く触れ合う時間がなかったか尋ねてきたんだ。
俺はもろもろのことに加え、花いちもんめの話をすると、先生はうなってしまう。
花いちもんめは歌の中で、様々なものを出すが、最終的に人を買うかどうかの、人身売買の意味合いを含む、という一説が根強く伝えられている。
人を人たらしめる要素はいろいろあるが、その中でも血は大きなもののひとつだ。
あのとき、俺は最初から最後まで勝利チームから動くことはなかった。左手をつないでいたクラスメートもだ。
「君の身体は、多くの人を『買った』状態だ。ただし、その血の部分。特に仕事を終えて汚れた部分をもっぱら引き受けたらしい。
人を買うということは、その人の命を受け止めること。どうやら君の血管が、手に入れたみんなの命を引き受けたのだろうね」
翌日には、蟻走感をはじめとする奇妙な感覚はなくなっていたよ。