実りの身体
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うーむ、ここのお店も今年は忘年会の受付をしていないか。この情勢下だもんな。
つぶらやのところはどうよ? うちは毎年やっているものが取り消しになったよ。話すことはミーティングでそのままケリをつけてほしいってさ。
例年やっていたことがなくなっちまうって、いざそのときになると、さみしいもんだな。うちはたいていビュッフェ形式なんで、そこで好きなもんをたっぷり選ぶ食べおさめ……ってのが、心の安らぎだったんだよなあ。
……おお、そうだ。つぶらやはビュッフェに限らず、食べるものが偏ったりしてねえか?
一人暮らししていると、それを咎めてくれる人、そばにいないしなあ。遠慮なく突き付けてくれるのは、健康診断の結果くらいだろう。
それでも、かなうなら好きなものばかり、腹いっぱい食べていきたい。きっと誰もが思うことだろう。だが、どうして俺たちには「好物」なんてものが存在するか、考えたことはないか?
個人差と片付けるのは簡単だ。でも、そこからもうちょい踏み込んだ話を仕入れたんだ。お前好みの話だろうし、聞いてみないか?
俺の友達の話になる。
友達はたいていの子供が好きになるだろう、菓子やジャンクフードが苦手な人間だったらしくてな。遠足のおやつも300円以内と聞いたら、ラップに包んだバナナ20本を持ってきて、注目を集めたとか。
給食はしっかり食べていたものの、家へ遊びにいったときにも、友達に出される菓子とは別にバナナを食べていた。皮剥く手からか、ほおばる口からか、近くにいるとバナナの香りさえ漂ってくる気さえして、みんなから「サル、サル」呼ばれていたみたいだな。
実際、友達の希望する一日の食事は10割バナナだったらしくてな。親もそれを許してくれていたという話だから、事実だったらすさまじいことだろう。
友達曰く、どうせ生きている時間が限られているのに、どうして嫌なことや不快なことに割かなきゃいけないのか。ぜんぜん分からない、とのことだ。
そんなバナナ10割の食事を続けていた夏の日のこと。
友達はお通じの数が、急に減ったことに気がつく。これまでは一日に一度は来ていたものが二、三日に一度となる。お通じそのものがきついということはなく、スムーズに済んでいるものだから、当初の友達はほとんど気にしなかったそうだ。
一週間のうち三回は排便がないと、便秘のおそれがあるという。でも、そのような判断基準があれば、ボーダーを割らない限りは安全圏だと信じたくなる。
友達はついに週三回排便に落ち着いても、「自分は問題ない」と思い続け、誰にも相談をしなかったという。それ以上、頻度が落ちることもなかったそうなんだ。
やがて夏休みも終わり、秋へ。友達の住む近場にも黄金色の稲が実り出す時期を迎えた。
友達はあいかわらずバナナまみれの生活を送っていたが、ふとした拍子に、立ちくらみを感じるときが増えたらしいんだ。
歩いている時には何とか耐えられるが、体育などの運動中に来られるとさすがに参る。倒れまいとして、走るコースがおおいに曲がったり、壁へぶつかるように寄りかかったりしてみんなに心配されるも、「なんでもない」と友達はつっぱり続けたらしい。
ただ、普通のめまいと違う点がある。
めまいがおさまりかけて、つい「ほう」と安堵のため息を漏らすと、開いた口からふわり、ふわりと空へ浮き出るものがあるんだ。
白く短い毛。友達ははじめそれを、自分の髪の毛だと思ったらしい。若白髪がそれなりに生えていたからな。
だが、いつ口の中へ入り込んだか分からない。鼻毛ほどの小ささだったら、鼻をすすったついでに、のどへ回ってくる可能性もある。
でも、頭に生えている髪の毛が、まさかいきなり内側へ引っ込んで、口へたどり着いたなどないだろう。ましてや猫になっているわけでもないはずだ。自分の毛をペロペロなめてなどいない。
排便とは対照的に、友達が毛を吐く頻度は少しずつ上がっていった。
毛の一本一本は、とうもろこしのひげにも及ばない、細くて短いものだ。意識しなければ、友達本人さえ見失ってしまいそうな存在感。他の人ならなおさら、意識を向けない限りは気づけないだろう。
ただ自室で50本近く吐いたときには、さすがにびびった。水をがぶがぶ飲んで、上なり下なりから出そうとしても、成果は上がらず。手を口の奥へ突っ込んで吐き出そうとも試みたけど、すぐに止めた。
バナナばかり食べていたせいか、逆流してくるのは「ツン」とした臭いのする胃液らしきものばかり。粘膜へわずかに触れただけで、ひりひりとした痛みが長く残ってしまうからだ。
更に数週間が過ぎる。
夕飯を食べた後、すぐにもよおした友達は家のトイレに籠城した。
いつになく腹が張っている。身体を前かがみにすると、長い長いゲップが口の中から漏れていく。だいぶ抜けたはずなのに、腹の張りはまだまだ残っていた。
腹をさすりながら、どうにか追い出そうとした2分後。とたんに堰をきったような勢いで、便が流れ出ていった。
下痢とは思えない。液体が次々に抜けていくのではなく、あくまでひと続き。それこそ細長いバナナをひねり出しているかのような、悠長な排便だったんだ。
何秒ほど出たか。ようやく途切れたものの、友達の心配は「トイレが詰まりはしないか?」の一点に向けられる。すぐに下を見やった友達だが、そこにあったのは予想外の光景だった。
友達は便座の水の中に横たわっていたものを、自分が出したものとは、とっさに信じられなかった。
新品の筆、その揃った先を思わせる毛の山が、蛇のような細長い胴体にびっしりと生えているんだ。わずかにのぞく黄土色の肌を見て、ようやく友達はそれが、自分の排泄したものだと認めたらしい。
便器の奥へ続き、それでも水面ぎりぎりにまで頭を伸ばすその巨体に、同じく便器の奥から、いくつもいくつも出てくる者がある。カタツムリの伸びたツノ、そこだけを切り取ったようなものがいくつもいくつも湧いて出てきたんだ。
彼らは自分の体に不釣り合いな、大きな鎌らしきものを手に、大便に飛びつくやその鎌を振るい、毛を刈り出したんだ。
かなり手慣れているのか、あれよあれよという間に毛は刈りつくされて、彼らは自分たちの身体と鎌の上に大量の毛を被せ、便器の奥へ引っ込んでいく。そして残されたのは、毛をすっかり失い、もとの滑らかな表面を残す大便のみだったんだ。
その日を境に、友達の腸は完全に弱り、若くしておむつが手放せない体質となってしまった。意識しなくても、つい漏れてしまうことが多々あり、治療を続けているが改善の兆しはいまだ見られない。
そのツノに似た奴らが毛を収穫しているならば、排便はいわば奴らにとっての田んぼ。それを肥えさせるのは、俺たちが取り入れる食物というわけだろう。
俺たちの好みがそれぞれなのも、奴らにとって都合の良い田んぼを作るために、どこかで働きかけているからかもしれない。