89.閑話 アーネストの来訪(レオポルド視点)
夜になりもう帰ろうかとしたときに、魔術師団の本拠地である塔の師団長室に、ある人物がふらりとやってきた。
「今日はもう、誰にも会いたくなかったのですが」
レオポルドは内心げんなりしながら、みごとな赤い髪と瞳を持ち、赤獅子ともよばれるエクグラシアの国王を迎える。
アーネストはまわりの者があわてて用意したと思われる、その手に不釣りあいなバスケットを持っていた。
彼はそれをひょいと持ち上げてレオポルドに見せ、ズカズカと師団長室に入ってくる。
「しょうがないだろ、もうおまえのところぐらいしか、行くところがない」
「好きなところに行けばいいのでは」
壮年で男ぶりもいい国王を、喜んで迎える者などいくらでもいる。
ひとりになりたい気分だった魔術師団長が断ろうとすると、相手は目に見えてうなだれた。
「ユーティリスが愛人にかまけるなと……」
レオポルドはあきれた。
「それを素直に聞くんですか」
「……これ以上嫌われたくない」
しょぼくれた赤獅子は、ただの赤い毛玉だ。こんな姿は誰にも見せられない。レオポルドはため息をついた。
(しかたない……これも給料のうちか)
「おまえのところは、ろくなツマミがないからな。ほら、持ってきてやったぞ」
「それはどうも」
まったく感謝していない声で返事をし、レオポルドは〝デーサ〟を唱えて机の上を片づけると、グラスを二つ取りだして琥珀色のクマル酒を注ぐ。
窓を開けるとき一瞬ためらったが、月見酒にはいい夜だ。
(さすがにあの娘も、今夜はもう飛びこんでこないだろう……)
サルジア織のカーテンを寄せ、ステンドグラスがはめられた窓を開け放てば、月が二つ中空にかかっていた。
獅子のように髪をなびかせた赤い髪の男と、長い銀髪を背に流した男が、差し向かいでグラスを傾ける。
まるで武神と精霊が飲み交わす神話の一節を眺めるようだが、あいにくとそれを見ているのは月しかいない。
グラスを口に運びながら、アーネストは魔術師の顔をちらりと見る。
国王を務めるだけあって、彼は自他ともに認める人たらしで甘え上手な男だ。その素質はしっかりと息子にも受けつがれていた。
「ユーティリスと話したそうだな」
「ええ」
淡々としている彼は、酒で乱れることも酔って騒ぐこともない。
そうかと思えば小さな火の魔法陣を敷き、持ちこまれたリンガランジャの肉を、アーネストが教えたやりかたで炙りはじめた。
無愛想でもレオポルドはいろいろと面倒見がよく、アーネストもそういうところが気にいっている。
「あいつもすっかり大人になったなぁ……と思ってな」
「そうですか」
ときどきこうやってアーネストが酒を持ちこむから、レオポルドまで妙に舌が肥えてしまった。
もともと酒飲みではないため、酒もツマミも庶民には手をだせない極上品しか口にしていないのだ。
彼自身は琥珀色の『クマル』という、蒸留酒をヌーク材の樽で熟成させたものを好み、師団長室の仮眠スペースにも瓶を置いてある。
万人受けする味ではないが、口に含んだときの香りと、緊張がほぐれるときのふわりとした浮遊感が心地よくて、師団長室に泊まる夜などは月を眺めてひとりで嗜んでいた。
だからネリアに指摘されたときは愕然とした。
『そのお酒、いつもグレンが飲んでた』
(あいつと私は思いがけないところでよく似ている。味の好みや……他人を寄せつけないくせに、いちど興味を持つと恐ろしいまでに執着するところ……)
レオポルドの考えを読んだわけでもないのに、アーネストの愚痴にもグレンがでてきた。
「あいつは……ユーティリスは、父親の俺よりもグレンを信頼したんだ。俺みたいにはなりたくないと……」
「子の言葉に一喜一憂するなら、あなたのほうがいい父親でしょう」
「俺はズルいな。期待していながら内心切り捨て、結局あいつに選ばせた」
(このぶんだと師団長室のベッドを貸さねばならないか……)
そこまで考えて、レオポルドは先日そこにネリアを寝かせたのを思いだす。
(ベッドはダメだ。やめておこう)
浄化の魔法もかけて、彼女がいた名残りはどこにもない。それなのにベッドを見れば、彼女の寝顔とシーツに広がった髪がよみがえる。そこへ国王を寝かせる気にはなれなかった。
「……適当なところで奥宮に送ります。それまではつき合いますよ」
アーネストの愚痴を聞くともなしに聞きながら、レオポルドは別のことを考えていた。
ずっと……風のように自由になりたい、と彼は思っていた。あの娘は『風』そのもので、とらえどころがない。
グレンはその娘に錬金術を教えながら、転移魔法陣は教えずデーダス荒野に閉じこめていた。
(あんな場所ではあいつが一緒でなければ、どこにもいけない。だからあの娘は、ライガをあのように改良したのだろうか……)
それはまるであの男の激しい執着を物語るようで。レオポルドの胃を、強い酒がじくりと焼いた。









