87.奥宮にて
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王都シャングリラの中央にそびえる王城の、奥まった一角に王族たちが住む奥宮がある。
表向きの華やかな建築とはちがい、内装は居心地のいい落ちついた色調でまとめられている。
壁にかかる絵や置かれた調度も五百年の伝統と歴史を感じさせ、よく磨きこまれたヌーク材の家具は、静かに光沢を放っていた。
どれも価値を知る者には、ふれることもためらうほどの逸品だ。
そこへ結界にも弾かれず、第一王子ユーティリス・エクグラシアが転移して跳んでくる。
まだ成長期の途中のような体は細く、母親に似て優しげで繊細な顔立ちだが、短く刈った髪と勝気そうな瞳は赤い。
部屋の隅に控えていたテルジオが、一礼して言葉を紡いだ。
「おかえりなさいませ」
「待っていたのか」
眉をひそめた王子に、補佐官は弁明した。
「殿下、私は研究棟でのことは誰にも口外しておりません」
「わかっている。心配かけたな」
忠実なあまりにおせっかいな彼を、ユーティリスは疑ったことはない。少しうっとうしいだけだ。
「私はただ……研究棟での殿下はとても楽しそうで、その生活をお守りしたかったのです」
「そうか、僕は楽しそうだったか」
ふわふわとした赤茶の髪を持つ娘がやってきてから、研究棟はますます楽しくなった。
「父上に会う。テルジオも今日は帰れ」
ふっと笑みをこぼすと、第一王子は父王の部屋へと歩きだした。
まだ夕方だから、アーネストも職務を終えたばかりだ。
ケルヒ補佐官を下げてふたりきりになると、ユーティリスはネリアと塔を訪れて、魔術師団長と話したことを父に告げる。アーネストは驚いたようだった。
「レオポルドと話したのか。俺はいまだにあいつと話すのは緊張する」
「あんなに話せたのは、ネリアのおかげですね」
エクグラシアの赤獅子は豪放磊落に見えて、実は細やかな細やかな気配りをする。ユーティリスはそれが気にいらなかった。
アーネストは後悔を口にする。
「グレンは『必要だと思ったから契約した』と言うだけでな。あのときおまえを守れなかったから……こんなことに」
「僕から申しでた契約ですし、魔力を得る代償を支払うのは当然です。とくに恐怖もありませんでした」
レオポルドという前例だってある。精霊や悪魔と契約するわけじゃない、相手は錬金術師といってもただの人間だ。
国王なのに師団長たちの顔色をうかがう……そんな王にはなりたくない。
魔術を使いドラゴンも駆り、シャングリラの都を築いた祖先バルザムのようになりたかった。
けれどアーネストはため息をついて、彼に言い聞かせた。
「ユーティリス、このエクグラシアが五百年も存続したのはなぜだと思う」
「大きな戦乱や災害がなかったからですか?」
「それもあるが……王が師団長になることを放棄し、内政に注力したからだ。建国の祖バルザム・エクグラシアのように、竜騎士であり魔術師である必要はもうない」
「いまでも〝赤〟は、王都三師団に入団する決まりです」
魔術学園を卒業した〝赤〟は、王都三師団のどれかに所属する。レオポルドの母レイメリアも魔術師だった。
それは魔法を使うバルザムが竜騎士となり、仲間たちとこの地に礎を築いたという国の成り立ちに由来する。時代が進み、それに錬金術師が加わった。
「それはそうだが、われわれはレオポルドやライアスのような天才である必要はない。むしろ凡人でいい」
「王になれたって、竜王にも乗れず魔術師たちを率いることもできない。僕は父上のように、みんなの顔色をうかがう王になるのはイヤです」
それは王としての在りかたを否定され、アーネストは目をみはる。
「おまえは……俺を、そんなふうに思っていたのか?」
「なら錬金術師はどうだ?これからの国を支える知識だし、グレン・ディアレスは老人だ。僕でも師団長になれると思った。だけどあそこにもオドゥ・イグネルがいた」
ユーティリスは視線を落とし、膝に置いた両の拳をギュッと握りしめる。
「オドゥ・イグネル?」
アーネストも名前は知っているが、いつもカーター副団長のうしろにいる印象の薄い男だ。
「ライアスやレオポルドより目立たないヤツだけど、僕はグレンどころか彼を超えることすらできない。僕の力じゃあいつらに対抗できない」
それは父にとっては初めて知る、息子の意外な本音だった。
ふたりの強力な師団長に支えられ、息子の治世も安泰だろうと考えていた。まさかそのことに危機感を持っていたとは。
「ユーティリス、おまえは俺にとっては自慢の息子だ。師団長に対抗するのではなく、いい関係を築くよう努めろ。そんなに固執するのはサルジアの件があるからか?」
「そうですよ。王太子となっても、やれることには限りがある。王になってからじゃ遅い。師団長ならば国王と同等の権限がある!」
アーネストは言葉を失った。第一王子の評判はとてもよく、彼自身もできのいい息子に満足していて、その内面に抱える葛藤には気づきもしなかった。
「でも僕は王になる資格すらない。ネリアが『自分の仕事が誰を幸せにするかを考えろ』って。僕は力を欲しただけで、それをどう使うかなんて考えても……」
「それに気づいたのなら、今からでも遅くない!俺はおまえを買っている!」
王子の赤い瞳が昏く光った。
「それは父親として?それとも国王として?」
「ユーティリス……」
まわりがどう言おうと、アーネストは第一王子を王太子に推すつもりだった。
成人しても公の場にでなかった第一王子だが、聡明で人当たりも柔らかく、きちんと陰で公務をこなして能力も認められている。
だが第二王子が成人したら?
少年の外見をした男より、父に似て精悍な顔立ちで立派な体格を持つ男では、どちらが玉座にふさわしいと人々は思うだろうか。
竜王神事で少年のままの姿を見て、実際に動揺した者もいる。それはエクグラシアの隙になりはしないか。
父親としては息子に不満も不足も感じていない。けれど国王としての決断はまた別だ。
国王であれば第一王子を切り捨てることも、視野に入れなければならない。
ユーティリスは怒りを押さえつけたような、低いトーンの声をだす。瞳だけが赤く燃えるような光を放った。
「父上……僕を監視してますね。テルジオなら直接、研究棟に乗りこんでくるだろうし、実際そうした。母上なら大騒ぎして出入りを禁止するかもしれない」
最初はグレンの後継者として現れ、師団長となったあの娘を、ただ観察していただけだった。
『第一王子との仲は良好』
「裏表がなさそうな娘だし、『呪い』が解けなくても互いに支え合っていけそうだな……」
報告を読んだアーネストが、ふと漏らしたつぶやきを側近が拾った。
できる側近は主の意を汲んで動く。ふたりが魔術学園や魔道具ギルドにでかけたことも、すでに報告されている。
「……すまなかった」
第一王子を案じてのことだったが、悪びれもせずあっさりと認めた父親に、息子のやりきれない怒りが噴きだした。
「父上の!そういうところが嫌いなんだ!」
「へっ⁉」
怒りの矛先が自分に向くとは思いもせず、アーネストは飛びあがった。
「話のわかるいい父親のようなフリで、やることは冷徹な君主そのものだ。家では母上に頭が上がらないくせに!」
「だってリメラは怖いじゃないか!」
「それを妻にしたのは自分だろ!」
「はい……」
(なんでいま夫婦の話になるのだ?)
返事をしながら、アーネストは内心思った。
赤獅子がズタボロに……。









