77.ヴェリガンの研究室(アレク視点)
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アレクは『研究棟』の一階にあるヴェリガンの研究室に、毎朝彼を起こしにいく役目をよろこんで引きうけた。
朝起きてすぐは、ソラも朝食のしたくに忙しい。じっとしていられない年頃の彼にとって、ヴェリガンの研究室はとても魅力的な場所だった。
「ヴェリガン?入るよ」
いちおう声をかけて入室するが、返事は期待していない。
ヴェリガンの研究室は、植物を育てるガラス張りの温室をそのまま利用したもので、空間魔法でひろげられたその部屋は、端まで見通せないほどひろく、その中をびっしりと植物が覆いつくしている。
植物の呼吸による蒸散で、室内は湿り気をおびた風がゆったりと流れている。
受粉を目的としてはなたれた月光蝶が、差し込む日差しに『月の光のよう』とたとえられる鱗粉の反射をきらめかせ、ひらひらと飛び交っている。
今は姿が見えないが、ガトの木の幹に立派なツノをもつオオチカラムシや、コトリバの葉かげに虹色トカゲを見つけたこともある。
この緑豊かな場所は、都会ぐらしに慣れていないアレクにとって、すぐにお気にいりの場所になった。
ヴェリガンはたいてい、部屋の入り口からは見えないような奥まった場所に寝ているため、アレクは魔石タイルを敷きつめた通路をすすんだ。
「テラリウム……というには大きいし、むしろバイオスフィアなのかな」
初めてヴェリガンの研究室を訪れたとき、ネリアはそういっていた。
「テラリウム?」
「それだけで完結している自然……『箱庭』みたいなものだけどね、アトリウム丸ごとテラリウムにして中で暮らすとか……はぁ、ヴェリガンてばぜいたく……」
そのままネリアは横にいるクオード・カーターと話をはじめた。
「カーター副団長、ヴェリガンの温室にかかる維持費って年間どれくらい?……けっこうかかってるね」
「予算を削りますかな?」
「いいよ、そのままで」
「しかし、なんの役にもたちませんぞ?」
ネリアは温室を見まわした。
「ヴェリガンが十五年以上かけてそだてた温室だもん。一度壊したら二度とおなじものは作れないでしょ?」
「それはそうですな」
「まだ収納鞄の売り上げははいってこないけど、防虫剤がそこそこ売れてるし……売れるってユーリがいうなら、ホットプレートも製品化しようかな……調理家電の魔道具かぁ、スキマ産業になるかしら?」
アレクは難しい話はよくわからなかったが、温室についてはネリアが『そのままでいい』と言ったので、ほっとした。
温室の奥の大きなガトの木にたどりつくと、アレクは幹に絡みついているツタを伝って器用に登りはじめる。
アトリウムで一番大きなガトの木は、大人の背たけより高い場所で大きく枝をひろげており、その中心の木の股になっているくぼみ部分は人がひとりくつろげる程度のスペースになっていた。ヴェリガンはよくそこで、茶色の毛布を敷いて寝ている。
アレクがのぞきこんでみたが、くぼみには毛布が無造作に丸まっているだけで、人影はない。
(ここにいないとしたら……あそこかな?)
ヴェリガンの寝場所はあちこちに用意してある。ミルハの木とサンザサの木の間はアトリウムの中でも風がよくぬける場所になっており、そこにハンモックをつるして昼寝をしていることもおおい。
だがハンモックも空だった。時間があればあいている寝床に本を持ってもぐりこんでも、ヴェリガンはとくに文句をいわない。だがまだアレクは、朝食も食べていない。はやくヴェリガンを見つけなくては。
温室をさらにいちばん奥まで進むと、少し小高くなってそこだけ灌木に囲まれ、ホウメン苔が群生している場所がある。ヴェリガンはそこでのびたように寝ていた。
ネリアが前に見かけて「いきだおれみたい……」と顔をしかめていたけど、ここの苔はふかふかとしてやわらかく、日当たりのいい午前中は寝心地が最高なのだ。
「ヴェリガン、起きて」
「……んあ?」
ヴェリガンはしょぼしょぼと目をまたたかせると、のっそりと起き上がってあくびをした。
「あぁ……おはよ……アレク」
大人の男の人は、なにか気にいらないことがあればすぐ殴るのかと思っていたが、この研究棟の男たちはそんなことはないようだ。
ヴェリガンもアレクが研究室に入りこんでもけっして邪険にすることはなく、植物の名前も生き物の名前も生態も、ボソボソと聞きとりにくい声だが、ていねいに教えてくれる。
「今日もご飯を食べたら、ヌーメリアが市場にいこうってさ、ヴェリガンも体調よければ一緒にいこうよ」
ヴェリガンはうなずいて、うれしそうな顔をした。こけた頬にぎょろついた目で、ガイコツが笑っているようにしか見えないが、本人はほんわかしているらしい。
「アレク来てから……ヌーメリアよく笑う……前はさびしそう……だったから……よかった」
「ヴェリガンって、ヌーメリアのこと好き?」
顔色の悪いヴェリガンが赤くなると、どす赤い妙な色になるが、両手を組み合わせてもじもじしているところをみると、照れているらしい。
「ヌーメリア……ここの植物たちみたい……やさしい」
「きもち、伝えたりしないの?」
ヴェリガンはとんでもない、というふうに手を勢いよく左右に振った。
「ぼ、僕なんか……その……見てるだけで……十分」
大人の男女の機微なんて、アレクにはよく分からない。好きなら市場にいくときに手を繋げばいいのに……と思っただけだった。
師団長室に入っていくと、中庭にはすでに人が集まってにぎやかだ。今朝はソラがバターロールを焼いていたので、甘いにおいがする。
その中にラフな装いの錬金術師達にまじって、カッチリとスーツを着こなした、あきらかに場違いな人物がいた。
「すみませんねネリアさん、私まで朝食の席にご一緒させていただくとは!」
「いえいえ!補佐官さんにはヌーメリアやアレクだけでなく、こないだは貧血おこしたヴェリガンまでお世話になったからね!」
「テルジオでいいですよネリアさん!……やぁ、アレク君おはよう!」
テルジオがにこにこと手を振ってきたので、アレクも小さく手を振りかえした。テルジオの向かいでユーリが仏頂面をしている。
「なんでお前までここに……」
「殿下が朝食もとらず抜けだ……いえ、早朝出勤をされたというので、急ぎの書類をお持ちしたのですが……まさかね!こんな所で!焼きたてパンをお召し上がりとはね!」
「……黙ってたのは悪かった……」
苦虫をかみつぶしたような顔になるユーリの横で、オドゥがにやにやと笑いながら頬杖をついて眼鏡のブリッジに指をかける。
「保護者つきは大変だねぇ……ユーリ、今度から黙ってでてきちゃダメだよぉ?」
「僕は成人してますよっ!」
言い合いをはじめた二人のことは放置して、テルジオはサッとファイルをとりだすと、隣の席のヌーメリアに差しだす。
「それとねヌーメリアさん、市場の地図とオススメの店のリストです。警備隊に聞きとりをしてキッチリまとめました!私が!」
「まぁ!ありがとうございます」
うれしそうに顔をほころばせるヌーメリアに向かって、テルジオは念を押すのも忘れない。
「本当は私がご一緒したいのですが、手のかかる殿下のお守……補佐がありますので!……でも困ったときはいつでも『エンツ』を飛ばしてくださいね!私に!」
話がはずんでいるヌーメリアとテルジオの方は見ないようにして、寝起きの格好のままひっそりと、テーブルの隅っこに座りうつむくヴェリガンを見て。
ヴェリガンの想いがヌーメリアに伝わらなくても、僕は彼の友達でいてあげよう……と、アレクは思った。
ヌーメリアにも、もどかしい感じの大人の恋愛をして欲しいと思っていますが、相手役は誰にするかまだ定まってません…。候補は何人か居るのですけどね。













