70.夏祭前夜(ヌーメリア視点)
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ヌーメリアは領主館に戻ってすぐに、アレクの姿を探したがどこにもみあたらない。屋敷はマグナス・ギブスを迎える準備におわれ、マライアはドレスの着つけにいそがしい。
ようやく使用人のひとりから「旦那様に連れていかれた」と聞きだしたヌーメリアは、胸騒ぎがして居間にいるデレクの元へいそいだ。
「お義兄様……アレクはどこです?」
陰鬱な表情をまとわりつかせたデレクが、居間の椅子からのっそりと立ち上がる。
「あと二時間もすれば、マグナス・ギブスが到着する。お前が奴をたらしこむことができたら、アレクに会わせてやろう」
「なんですって?アレクをどうしたの?」
問いただすヌーメリアに向かって、デレクは下卑た笑いを浮かべた。
「妙な話を聞いてな……『魔力持ち』のアレクをつれて、お前も王都へもどると言っているらしいじゃないか?お前に逃げられては困るからな。せいぜい、マグナス・ギブスに気にいられるようふるまってもらおうか」
「お断りします……アレクは王都へ連れていきます!」
デレクが血走った眼でうなるようにほえた。
「ダメだ!……ギブスがこの縁談にうなずかなければ、我々はすべてを失うんだ!」
「……あなた、彼に借金があるそうね……」
ヌーメリアの指摘は、デレクの痛いところを突いたらしい。
「マライアが奴と組んで俺をはめた!あのあばずれ、父親が死に母親が入院したとたん、好き勝手はじめやがって……俺を追いだそうとしているんだろうが……俺は離婚は絶対にしない!」
「待って!アレクはそのことに関係ないでしょう?」
デレクは興奮して、まくしたてた。
「身重の花嫁をもたされた俺の気持ちがお前にわかるかっ!あいつもあいつの父親も俺を馬鹿にしてるだろうよ!俺はすべてを飲みこんで領主一家にひたすら尽くしつづけたんだ!なのに俺が一生懸命働いた金は、マライアの遊びに消える!やる気もなくなるのは当然だろう!」
「どんな理由があれ、自分より弱いものをいたぶっていい理由にはならないわ。アレクをすぐに解放しなさい!」
だいたい、とんでもない失恋から十一年……ひきこもっていたヌーメリアがどうやって男を誘惑するというのだ。デレクは被害者のような言いかたをしていたが、それなら私だって被害者だ。
「俺に命令するな!さっさと支度をしろ!いいか、マライアはすっかりその気のようだがな……奴はあれにはなびかん……俺には分かる、奴が興味を示したのはお前だ!」
「……どんな結果になろうと、これが終わればアレクを王都に連れていきます!アレクに何かあったら、私はあなたも、マライアも許さない!」
ヌーメリアは自分の部屋にもどると、いったん気を落ち着かせてアレクの気配をたどった。アレクは、ヌーメリアの作った魔道具を身につけており、気配をたどると弱いながらも屋敷内にいるようだ。
そのことにひとまずほっとしたが、追いつめられたデレクは何をするか分からない。ヌーメリアは遮音障壁を展開すると、『エンツ』を飛ばした。
「テルジオ!準備はできてる?でも待って……ひとつ調べて欲しいことが……マグナス・ギブスというグワバン近郊の領主について知りたいの。高利貸しもしている男よ」
ほどなく、テルジオからの『エンツ』が飛んできた。
「ヌーメリアさん!こちらの準備はすんでおります……マグナス・ギブス……少々お時間をいただけますか」
「アレクが捕らえられているの……あまり時間はかけられないわ」
「承知いたしました。お任せください」
(アレク、無事でいて……)
準備に時間をかけすぎたかもしれない……アレクだけでもさっさと引きはなして保護するべきだった。ヌーメリアは自分の甘さをくやんだ。
領主館に現れたマグナス・ギブスは、三十代半ばで実業家らしく堂々とした、ゆるくカールした黒髪に黒い瞳の野性味あふれる男振りの、意外にも好人物だった。
グワバンの街の近郊の領主ということだったが、領地に引っこんではおらず、貿易や金融などの事業に積極的で、義兄とは仕事の関係で知り合ったそうだ。リコリスの町にもよく訪れているらしい。
ヌーメリアはグレーに黒のラインが入ったワンピースに、スタンドカラーの短いジャケットを合わせた。全くといっていいほど肌の露出がないスタイルなのに対し、マライアはデコルテを見せびらかすように胸元を大きくひろげたブルーのドレスに、エメラルドのネックレスをつけている。
姉の視線は熱をこめてマグナスを見つめており、義兄はといえば、そんな姉に怒りをむける様子もなく、ひたすらマグナスにへりくだっていた。
マグナスは、ヌーメリアの灰色の髪と瞳を「淡い色合いがしとやかなあなたによく似あう」と褒めそやした後、甘くほほえんだ。
「ヌーメリア嬢、あなたには月長石が似あいそうだ。ぜひ私に贈らせていただきたい」
(こんなことをしている場合じゃないのに……)
「ヌーメリア嬢?」
「はい?」
ヌーメリアが灰色の瞳をまたたくと、マグナスは苦笑した。
「私はあなたに求婚するつもりでうかがっているのだが……その自覚はおありかな?」
全くない。アレクのことが気がかりで、話の内容などなにひとつ入ってこない。姉のマライアが敵愾心をむきだしにした視線でこちらをにらみつけるし、デレクはデレクでこちらをにらんでいる。
(居心地がわるすぎる……)
またも無言になったヌーメリアに対し、しびれを切らしたようにデレクが命じた。
「ヌーメリア、庭を案内して差し上げろ!」
(案内……ってあの荒れ果てた庭を?)
ヌーメリアは眉をひそめたが、マグナスに「お願いできますか?」と言われれば断りようもない。しかたなしに先に立ち、庭へ降りた。
庭にでたところで、マグナスは何でもないことのように、遮音障壁を展開する。
「あの夫婦は領主としても人の親としても最低だ……そう思わないか?」
「あなた……『魔力持ち』ね……!」
リコリスの町にはめったに生まれない『魔力持ち』……グワバンの街でもめずらしいだろう。ゆるくカールした黒髪に黒い瞳のマグナス・ギブスと名のる男は、うなずくとゆったりと両腕を開いた。
「ヌーメリア、きみに協力しよう……アレクという少年が大切なんだろう?」
「……なぜそのことを?」
「きみと彼が町をあるくのを見かけた……実は数日前からリコリスの町に滞在していてね……見合い相手のことを知りたいとおもうのは当然だろう?」
こんな男が町にいただろうか?ヌーメリア達に気づかれないように観察していたというのか?ゆるくカールした黒髪に黒い瞳の堂々とした男が、人目をひかないはずがない。
「俺はよろこんできみに協力するよ……きみこそが正統な領主の血をひく者……奴らから領主の座をとりかえして、アレクを助けてやればいい」
「……あなたにとってのメリットは?」
「ヌーメリア・リコリス、きみが俺の物になる……それが俺にとってのメリットかな」
ヌーメリアは眉間にシワを寄せて、ほほえむマグナス・ギブスの顔を見上げた。わけが分からない。みそめられた覚えもなければ、ひとめ惚れされるような顔でもない。
「どうした?アレクを助けだしたいんだろう?」
(……助けだしたい?)
何かが、ヌーメリアの中でひっかかる。
そのとき、目の端で室内の異変をとらえ、ヌーメリアは走りだした。
後に残されたデレクとマライアは、言いあらそいをはじめたようだ。激高し、マライアにつかみかかるかに見えたデレクが、腕を振り上げたまま硬直し、そのまま胸をかきむしるように倒れこんだ。
ヌーメリアがデレクのそばに駆けよると、デレクの体は痙攣を繰りかえしていて、すでに意識はない。
「なんてこと!まだアレクの居場所を聞いてないのに!」
ヌーメリアがマライアを見上げると、マライアは激しくかぶりを振った。
「知らないわっ!デレクが……デレクが悪いのよ!絶対別れない!お前も道連れだ……なんて言うから!」
「だから『毒』を?マライア、あなた屋根裏のキャビネットにしまわれてた毒を使ったのね?」
後から室内につづいたマグナス・ギブスが「……余計なことを」と、低い声でつぶやく。マライアはマグナスにすがりつくような視線をむけた。
「ああ!マグナス!助けてちょうだい!私をささえると言ってくれたでしょう?……そうよ、ヌーメリアがやったことにすればいいのよ!この場には私たちしかいないんだもの!」
私たちしかいない?ヌーメリアは部屋の中を見まわした。屋敷の使用人たちは壁のそばに控えたままだ。
……全てを私のせいにして、口裏あわせをするつもりか。
マグナスがデレクのそばに膝をつくと、腕をとり脈をしらべた。
「それはどうかな……デレクは意識はないようだが、脈はしっかりしている」
「なんですって⁉」
「……デレクは死んではいません……ひと月ほど後遺症に苦しむかもしれませんが……キャビネットの中の薬では人は殺せない」
マライアの目が驚きにみひらかれる。
「ヌーメリア、お前、確かに『猛毒』だって……私をだましたというの?」
「マライア……死にいたるような猛毒を……私が放置しておくと思いますか?」
「ヌーメ……!」
マライアが言葉にならない奇声をあげ、ヌーメリアに飛びかかろうとするのを、マグナスが素早く動きヌーメリアを腕の中にかばった。マライアは勢いがあまり、あっけなく転がる。
ヌーメリアはマグナスに抱きしめられたまま、『エンツ』を飛ばした。
「テルジオ!制圧を!領主館に状態保全の術式を!虐待及び公金横領、違法薬物取引、特別背任容疑で領主夫妻を告発します!」
それに呼応するかのように、屋敷の周辺がにわかにさわがしくなった。テルジオの『エンツ』がヌーメリアに飛んでくる。
「ヌーメリアさん!突入しました!それと、『マグナス・ギブス』という人物は存在しません!気をつけて!」
「……王家が動いたなら……俺はひきあげたほうが良さそうだな」
マグナスの腕の力がゆるんだが、ヌーメリアは逆にマグナスの腕をグッとつかみ、捕縛の魔法陣を展開した。
「いいえ!逃さない!答えなさい……アレクをとじこめるよう、デレクに指示したのはあなたね……マグナス・ギブス!あなたは町にいた私たちを観察していたもの!」
灰と黒の瞳が交差し、ゆっくりと男の口元に笑みがうかぶ。
「……最初はリコリスの家をいただくだけのつもりが、欲をかきすぎたのが失敗か……」
「なんのために、そんなことを」
「中央からも忘れさられるような、ど田舎の小さな領主家だ……エクグラシアへの足がかりにちょうどいい……だがまさか、あんたが現れるとはなぁ、『毒の魔女』ヌーメリア・リコリス」
「アレクはどこっ!」
「……『書斎の金庫』だ……急いだほうがいいんじゃないか?」
ありがとうございました。