67.屋根裏部屋のアレク(ヌーメリア視点)
よろしくお願いします。
屋根裏部屋でアレクは身じろぎもせず、じっと痛みに耐えていた。体を動かせば痛みがはしる。頬が腫れて口も閉じられないから、よだれも垂らすがままだ。
うめいても泣いても、この家にアレクの事を気にかける者はいない。何をしても無駄だと分かっているから、アレクは何もしなかった。
お腹がすいても喉がかわいても……アレクはじっと待つだけだ。
痛みがひくのを、腫れがひくのを、お腹が空きすぎて空腹を感じなくなるのを、誰かが屋根裏部屋を開けてくれるのを、ただじっと待つ。
そのとき、屋根裏部屋に異変が起こった。アレクが転がるすぐそばの床に、転移陣が展開すると同時に、部屋にあかりがともる。転移陣からあらわれたのは、前立てにフリルがついた白いブラウスに、紺のフレアスカートをはいた、灰色の髪と瞳の女性。アレクは痛みも忘れて、その人物をぼんやりと見上げた。
「誰……?」
「こんばんは……アレク、わたしはヌーメリア……さっき下で会ったわね……あなたのお母様の妹よ」
ヌーメリアは遮音障壁を展開すると、アレクの顔をのぞきこんだ。手にしたポーションの瓶をあけ、アレクの口元にあてがう。
「さぁ……まずはこれを飲んで。痛みが楽になるわ……うちの師団長の力作よ」
アレクはひと口、またひと口、それを飲む。
ひとしずくで痛みをとり。
ひと口で怪我を回復し。
飲み干せば瀕死の重症でも立って歩きだす……と言われるポーション。
さしだされたポーションを口にふくんだとたん、先ほどまで全身に感じていた痛みは消えた。アレクがこくりと飲みこむと、飲みこんだと思ったポーションは魔素の形になり、風のように体の中を駆け抜けていく。
起きあがり自分の顔をさわってみるが、ヒリつくような痛みもなければ、腫れてもいなかった。
「痛くない……」
「良かった……サンドイッチを持ってきたのよ。すこし食べられるかしら?」
ヌーメリアが差し出したそれをむさぼるように食べる。食べてしまわないと、なくなってしまうような気がした。がっついて、ぐっと喉がつまった所で水のボトルが差しだされ、アレクはそれを涙目になりながら飲んだ。ヌーメリアは落ち着くまで優しくその背中をなでる。
アレクが落ち着くと、ヌーメリアは屋根裏部屋を見回す。
「この部屋は変わらないのね……私もよくここに閉じこめられたの。だから忍びこめたのだけど」
たとえマライアが悪くても、いつだって閉じこめられるのはヌーメリアだった。ヌーメリアが最初に『毒』の知識を得たのはこの場所だ。幼いヌーメリアは、折檻で閉じこめられたこの屋根裏で、『毒』の資料を読みふけったものだ。
リコリスの家は『薬草』の商いで発展した家だが、裏の顔として『毒』も管理していた。
他に読むものがなかったというのもあるが、そのときはまだ家を出られるなんて思ってもいなかったから、資料を読むことで空想をふくらませていたというのもある。
錬金術師は『運命』すらもねじまげる。
もしもそんな力が私にあるのなら。
自分のことなぞどうでもいい……私はこの子の運命を変えたい。
「アレク、私を信じてくれますか?私はあなたを助けたい……どうか……私を信じてくれますか?」
ヌーメリアはアレクに向かって問いかけた。
翌日、町役場を上品な紺のワンピースを着た灰色の髪と瞳を持つ女性がおとずれた。
「私はヌーメリア・リコリス。王都三師団で働く錬金術師です。私で何かお役に立てることはありませんか?」
王都三師団の一員という身分は効いた。すぐに役場のすみに机を与えられ、不具合を起こした魔道具が積まれる。
「すみません、こんな事務所の片隅で。こんな小さな町では魔道具を修理する予算も、魔素を補充する魔石もなくて」
案内した職員がすまなそうに動かなくなった魔道具を差しだす。
薬草や毒を扱うほうが得意だけれど、学園時代は魔道具修理のバイトもしたし、研究棟ではウブルグ・ラビルの爆撃具作りを手伝わされたこともある。
「会議室を使われますか?」
「ここなら皆さんのご要望にすぐ応じられますし……ひとりきりも寂しいですから」
ほほえむヌーメリアに若い職員が顔を赤くした。研究棟の地下にひきこもっていた頃なら、部屋を借りひとりで作業しただろう。いまは少しでも情報がほしかった。
魔道具を机に置き魔法陣を展開すると、町役場で働く人々は息をのみ、魔素の明滅で彩られた術式をヌーメリアの指が操るさまを見つめる。
ネリアのような多重展開はできずとも、魔素の流れを読みとるのは得意だ。
不具合の原因は魔素不足が多く、魔素を流せばもとどおり動くようになった。
術式がほころびかけていた書類庫の鍵は、鍵を開けようとすると引っかかる。ヌーメリアは鍵の先端に解錠の術式を新たに刻む。
「こちら試してください。スムーズに鍵が開けられると思います」
「ありがとうございます……すごい、かんたんに開きますよ!」
鍵を受けとった職員が走っていき、書類庫の扉に鍵を差しこんで大騒ぎした。
義兄のデレクはいちおう町長だが、役場にはほとんど顔をださないらしい。職員の何人かはグワバンの街から派遣されているという。
「ヌーメリアさん、すこし休憩してください」
「ありがとう。もうすぐ夏祭りですね、準備が大変なのでは?」
ヌーメリアは礼をいってコーヒーカップを手にとる。
「街にでていった者たちも戻りますし盛大にやりたいですが、人も資金も足りません。夜店はでますが、たいした催しはできません」
「畑がだいぶ荒れていたわね……義兄のデレクはうまく運営しているのかしら?」
「税収は、年々減っております。領主様は今、ご自分の事業でいそがしく、町の運営までは手がまわらないようで」
町政は彼らが回しているようなものだ。領主の存在価値などあるのだろうか。
リコリス家の薬草園と裏の顔である〝毒薬〟は有名だ。けれど畑を荒れたままに放置する、デレクの事業は薬草とは無関係のようだ。
「表計算の魔道具は部品を交換しなければ……この町に魔道具店はありますか?」
「裏通りに一軒だけありますが……ヌーメリアさんのようなかたが行くにはちょっと」
「私のような?」
たずねると歯切れのわるい返事がかえってきて、ヌーメリアは思わず胸元のペンダントに手をふれた。
『ドブネズミ!』
ヌーメリアに石を投げた子どもたちの声がふいによみがえる。顔色をわるくした彼女に、職員は気づかずに説明する。
「そこの魔道具師は飲んだくれのじいさんで、何年もまともな仕事はしてないんです」
「そうですか……」
ペンダントから手を離し、ヌーメリアは灰色の目をまたたく。そういえば町役場は年配の者たちばかりで、年若い職員はグワバンから派遣されている。
彼らはヌーメリアが『ドブネズミ』と呼ばれたことなど知りもしないのだ。
(自意識過剰だったわね……)
昔、彼女を「ドブネズミ」と呼んで石を投げた子たちは、もうとっくに町をでたのだろう。
「でも部品ぐらいは置いてあるかも。行ってみますね」
ヌーメリアは優雅に立ちあがると町役場をでていった。彼女を見送った町役場の者たちは感嘆の吐息をもらした。
「はぁ……あの方、マライア様の妹さんですか。なんというか雰囲気がまったく違いますね」
派手好きなマライアとはちがい、ひかえめなヌーメリアは職員たちにも好印象だった。
「物腰は優雅で上品だし、魔道具を扱う横顔は真剣で背筋もピシッと伸びてるし……」
「あんなかたが本当にいるんですねぇ……王城で働く錬金術師なんて、まさしく別世界の人間ですよ」
ありがとうございました。












