66.姉夫婦(ヌーメリア視点)
よろしくお願いします。
魔導列車の線が延びたことで王都ほどではなくとも、グワバンの街とその周辺は順調に発展しているようだ。
だがグワバンから魔導バスで二時間かかるリコリスにはこれといって産業もなく、若者たちは成人すると仕事を探して町をでていく。
残されるのは年寄りばかりで、バスの車窓からは打ち捨てられ荒れ地となった畑をいくつもみかけた。
これでは〝領主家〟といっても名ばかり……ヌーメリアの実家はだいぶ傾いているのではないだろうか。
父親はとうに亡くなって母は調子をくずして入院し、家は姉が婿をとって跡を継いでいる。
姉に会うことを考えると気が重くて、ヌーメリアは胸元のペンダントをそっと握りしめた。
(晴れやかな気持ちになんて、ちっともなれない……)
お守り代わりの〝毒〟は手放せなくて、小瓶に封じてペンダントにしている。これ一滴でリコリスの町の全員を殺せるぐらいの〝毒〟、それがなければ勇気はとても湧きそうにない。
『弱い者が〝毒〟で身を守ろうとするのは当たり前だよ。ヌーメリアは幼い自分を守るために〝毒〟を作りつづける必要があったんじゃないの?』
(今はまだ、自分が『弱い』と思ってしまう……運命をねじ曲げる力……本当にそんな力が私にもあるかしら)
あきらめていた自分の運命をねじまげろ。
この手に人生を取りもどせ。
……でもそれはどうやって?
領主館は魔導バスの停留所からまっすぐ坂をあがった、町を一望できる高台にあった。
門をそっと押し開けると、母が入院しているせいか荒れた庭が目にはいる。
使用人の数も少ないようで、帰郷を知らせたのにもかかわらず、ノックをしてだいぶたって中に通された。
姉のマライアはすっかり女主人然としており、ジロジロとヌーメリアの全身をみまわした。
「ヌーメリア……」
「マライアお姉様……ご無沙汰しています」
ヌーメリアもマライアを見かえす。記憶のなかの姉は美しかった。それが今は肌に以前のようなつやがなくくすみが目立ち、それを隠すような不自然な厚化粧が際立っていた。
しばらく見つめあっていると、マライアの口元が醜くゆがむ。
「あいかわらずお前は灰色の髪と瞳で老婆みたい……野暮ったいこと!」
前立てにフリルがついた白いブラウスに紺のフレアスカートをはき、ヌーメリアはシンプルだが地味な装いをしていた。
(この人はまったく変わらない……)
それはある意味、新鮮なおどろきだった。少女だったころは姉のマライアほど恐ろしいものはなかった。いまの姉は態度が不快ではあるものの、それほど怖くない。彼女自身はまったく変わらないというのに。
怖さでいえばグレン・ディアレスに相対したときや、グリンデルフィアレンごと燃やされたときのほうがよほどこわい。
「お前にいい話があるのよ、デレクも待っているわ。書斎にいらっしゃい!」
居丈高な態度はくずさず、姉は先に立って歩きだした。ヌーメリアがため息をつきその後に続くと、書斎の手前まできたところで、中からガシャーン!と音が響いた。
「このガキ!俺の物に勝手に触るなといつもいってるだろう!」
「僕はなにも……!」
「口ごたえするかぁっ!」
怒鳴り声の後は子どもの声、さらに殴打音が聞こえてくる。ヌーメリアはビクッと身をすくめて思わず姉をみたが、彼女はいまいましげに息を吐いただけだった。
「またアレクがなにかやったの?」
書斎にはいるとマライアは、先ほど怒鳴っていたと思われる男に声をかけた。男の足元には青い髪の少年が転がり、ヌーメリアは心臓が止まりそうになった。
「俺の魔道具を壊しやがった。このクソガキを屋根裏に閉じこめろ!」
鬼のような形相でこちらを振りかえった男は、ヌーメリアを見て目を丸くした。自分が怒鳴っていたことも忘れてしまったようだ。
「仕方ないわね……ミア、アレクを屋根裏に。いいというまでだすんじゃないよ!」
「は、はい。坊ちゃま……こちらへ」
ミアと呼ばれた陰気な顔の使用人が、床に倒れこんでいたアレクという名の少年を連れていく。顔は腫れていてよくわからないが、おそらく十歳ぐらいだろうか。
男が取りつくろうような笑顔をみせる。
「なんだお客さんか……騒がせたね」
「お客様じゃないわ、妹のヌーメリアよ。くるって言っておいたでしょ?」
「ヌーメリア?小娘だと思っていたが、ほぅ……これはなかなか」
そのまま男は全身をなめ回すようにヌーメリアへと執拗な視線をむけた。鳥肌がたったヌーメリアにマライアは不機嫌そうに告げる。
「夫のデレクよ。婚約者だったときに会っているでしょう?」
「……ご無沙汰してます、お義兄様」
ヌーメリアはあわててあいさつした。デレクなら前回マイクと帰郷した折に会っている。そのときはまだマライアの婚約者だった。
(こんな粗野な男だったろうか)
床に倒れていた少年の姿がヌーメリアの脳裏を離れない。自分たちがあらわれなければ、デレクはまだあの少年を殴り続けていたのではと思うと、ヌーメリアはのどがカラカラに渇いた。
「先ほどの……アレクと呼ばれた子は?」
どうにかこうにか言葉を絞りだせば、マライアは自慢の髪をいじりながら投げやりに答えた。
「あぁ、息子よ、暴れん坊で手を焼いてるの。最近しょっちゅう魔道具をこわすのよ、高いってのに。甘やかすとためにならないからね」
しつけだと言いたいのか……でもあれは一方的な暴力ではなかったか?
ヌーメリアは唐突にさとった。自分が嫌われていたから、しいたげられていたのではない。
ここの人間は、いつもいたぶる獲物を探している。弱いものや獲物になりそうなものを見つけては、自分たちの鬱憤を晴らすために使うのだ。
たまたまそれが昔はヌーメリアだっただけで。いまはアレクというあの少年だというだけで。
あの少年を助けても、こんどはだれか別の者をいたぶるのだろう。
このせまい町で領主夫妻にたてつける人間がどれほどいるのか。ヌーメリアはそれを考えるとめまいがした。
しばらくして戻ってきたミアがお茶を運んできたが、彼女は口をつける気になれなかった。
「それでいい話というのはね、帰ってくるお前のために私たちで縁談を見つけておいたのよ」
「縁談……ですか?」
ヌーメリアは灰色の瞳をまたたかせた。思ってもいない話だった。義兄のデレクがうすら寒い笑みを浮かべて話に加わった。
「なに、私の知り合いでマグナス・ギブスという男がいてね、グワバン近郊で領主をしていて『魔力持ちをもらいたい』とさ。『魔術師じゃないのは残念だが、王都で働いているならそれなりだろう』と乗り気なんだよ」
「でも私は王都で働いていて……」
マライアが眉をあげて彼女の言葉をさえぎる。
「それが何。王都で好き勝手していたようだけど、お前もいいかげんこの家の役にたったらどうなの。それに『行き遅れの妹に夫も世話してやれない』なんて言われたら、私たちが恥ずかしいわ!」
ヌーメリアはため息をついた。〝いき遅れ〟ではない……〝いきたい所〟がないだけだ。
(私のことを本気で心配しているとも思えない)
彼らにとって関心があるのは、自分たちの役にたつかどうか。
何の役にもたたない〝ドブネズミ〟でも、魔力持ちであることを売りにすれば、野心のある地方領主が買い手につくということか。
地方領主にとっては中央とのパイプは喉から手がでるほどほしい。実際のヌーメリアを知ればその人脈のなさに、期待外れだと怒りだすだろう。
姉夫婦はその辺は誤魔化して売りつけるつもりだろうが、相手に責められるのはヌーメリアだ。
屋敷や庭が荒れ使用人が減っていることと、何か関係があるのかもしれない。
こんな縁談は断り、さっさと王都に戻るべきだ。
けれどアレクというあの少年も気にかかる。
魔道具がよく壊れる……それはアレクと同じくらいのとき、彼女も悩まされた問題ではなかったか。
姉夫婦とこの部屋で同じ空気を吸うのすら苦痛になってきて、ヌーメリアは静かに立ちあがった。
「急なお話で……すこし考えさせてください」
「そう?夏祭りの前日は晩餐にギブス氏を招待しているから、そのつもりでね」
姉夫婦はヌーメリアにこの縁談を断らせるつもりはないのだろう。書斎の扉が閉まったとたんデレクの声が聞こえてきた。
「はん、王都暮らしが長いからって気取りやがって。二十七まで独り身ってことは男もろくに捕まえられなかったんだろ。お前の妹はプライドばかり高いな!」
それにマライアが何か応えていたが、どうせろくな内容じゃない。
(あれほど私の結婚を邪魔しようとしたくせに……)
『お前みたいなドブネズミ、結婚なんて許さない!』
ヌーメリアが恋人のマイクを連れて実家に帰ったとき、そう怒鳴っていたのはマライアだったというのに。
ありがとうございました。












