65.ヌーメリアの帰郷(以下しばらくヌーメリア視点)
時系列的には『第35話 師団長室でコーヒーを』のすぐ後になります。
ネリアはこの世界で『しがらみ』というものが全くないので、その部分をヌーメリアに引き受けてもらいました。
――あきらめていた、自分の〝運命〟をねじまげろ。
――この手に〝人生〟を取りもどせ。
(でもそれはどうやって?)
ヌーメリアは王城の裏手にある研究棟から転移陣をでて、通用門に向かって歩きだしたとたん呼びかけられた。
「あら、ヌーメリアひさしぶり。王城で働いているのに、ちっとも会わないんだもの!」
塔にむかう転移陣の手前で談笑していたのは、リズリサという穏やかな性格の魔術師で、ヌーメリアよりもひとつ上だ。
もうひとり、ふたりの子どもとベビーカーの赤ちゃんを連れた、カイラという気の強い魔術師もいる。
研究棟にひきこもっている〝毒の魔女〟を知っているのも当然で、彼女たちは魔術学園で一緒だった子たちだ。
心臓をギュッとわしづかみにされたような気分で、ヌーメリアは顔をひきつらせたような笑みをうかべた。
「おひさしぶり」
「錬金術師団にひきこもっているって、まだいたのね」
リズリサの横にいるカイラはあからさまに機嫌が悪くなった。ベビーカーから赤ちゃんを抱きあげ冷ややかな声でいい、ヌーメリアの背筋がじくりとした。
リズリサがとりなすように明るい声をだした。
「カイラが赤ちゃんを見せにきてくれたの。半年前に生まれたばかりですって。かわいいわねぇ」
「マイクにそっくりでしょ?」
勝ちほこるようなカイラの声に見ないわけにもいかず、ヌーメリアは彼女の腕をのぞきこむ。カイラは愛おしむように赤ん坊をなでた。
生まれて半年の赤ん坊がマイクにそっくりかなんて、わかるわけがない。
「かわいいわね……おめでとう」
「もう、毎日が戦場よ。いそがしくってヘトヘト!」
カイラの腰に抱きつく八歳ぐらいの男の子は、マイクの面影があってヌーメリアの胸がしくりと痛む。
学園を卒業してすぐに結婚したというから、この子が一番上なのだろう。もうひとり四歳ぐらいの子も連れている。
「私……もう行かなきゃ。それじゃ」
ヌーメリアはうつむいて逃げるように、急ぎ足でその場を離れた。早く彼女たちの視線から自分を隠してしまいたい。
それなのに耳は無情にも会話を拾ってしまう。イライラするカイラをリズリサがなだめている。
「うっとおしいのよ、あのドブネズミ。ふたりの仲が壊れたのは私のせいじゃないのに。ああやって顔を合わせれば、未練がましくまだ傷ついてますって顔して」
「もう昔のことでしょ」
ドブネズミ。くすんだ濃い灰色の瞳と髪をもつヌーメリアは、十年前もカイラにそう呼ばれた。
『魔術師団に入って、マイクといっしょに働くのは私よ。ドブネズミのくせにつきまとわないで!』
――つきまとってなんかいないし、彼のことは関係ない。私だって魔術師団に入りたい。
そういい返す勇気はなかった。ヌーメリアは逃げるように錬金術師団の門をたたいた。
――こんな髪や瞳に生まれたのは私のせいじゃない。私はドブネズミなんかじゃない。
そういい返すだけの強さも勇気もなくて。すべてゆずった。すべてあきらめた。
だれとも顔を合わさずにひっそりと隠れ、おとなしくしていてもなお責められるのか。理不尽さに湧きあがるはずの怒りは自分に向かう。
おまえがダメだから、すべてを失う。
おまえがダメだから、すべてを責められる。
なにもかもおまえのせいだ、このドブネズミが!
(そう、なにもかも私のせい)
ヌーメリアを最初に『ドブネズミ』と呼んだのは彼女の姉マライアだった。
彼女の実家はリコリスという小さな町の領主家で、貴重な薬草園を守っている。〝魔力持ち〟などほとんど生まれたことがない田舎だ。
ヌーメリアは幼いころから自分のふしぎな力に苦しんだ。何もしていないのに感情がたかぶると、近くの魔道具が壊れたり、だれかが怪我をしたりする。まわりに彼女の力に理解がある大人もいなかった。
ひとびとは魔道具を使っても、〝魔術師〟や〝錬金術師〟などは、はるか王都にいるおとぎ話の住人だった。
不思議がられ、不気味がられ、両親からも姉からもうとまれ……幼いころからヌーメリアは家の中で邪魔者だった。
七歳になり町にひとつしかない小さな学校にあがっても、ヌーメリアの居場所などなかった。最初はそうでもなかった。けれどみなで遊んでいると三つ上の姉がやってくる。
「ヌーメリアの髪と瞳って気味悪いでしょ。お母様もいつも言うわ。『まるでドブネズミみたい』って!」
姉は勝ち気でワガママな領主の娘、小さな学校では女王様だった。何も知らない子どもたちから、ヌーメリアも同じく領主の娘だということは忘れ去られた。
石を投げられて道で転ばされ、ケガして家に帰れば服を汚したと叱られる。
「ヌーメリアはダメねぇ。何をさせても鈍くさいし、言葉もはっきりと聞きとれやしない。それにくらべてマライアは本当にすごいわ。領主家にふさわしい娘だこと!」
領主夫人がため息まじりに決めつけ、ヌーメリアは縮こまった。いじわるな姉は、両親にとっては美しく利発で自慢の娘だった。
転機がおとずれたのは十二歳のとき、王都からローラ・ラーラという魔術師がやってきた。
彼女は魔力を判定する魔道具を持っていて、それがヌーメリアにだけ反応したのだ。魔術師は彼女の魔力をほめたたえ、王都にある魔術学園への進学をすすめた。
「さすがは領主家です。魔力に恵まれたお嬢様で、ご両親も鼻が高いでしょう!」
両親は〝魔力持ち〟がどんな存在かピンとこなかったが、魔術学園に入学できるのは名誉なことだ。
妹のことで珍しく誇らしげにしている両親の横で、マライアはだれからも見向きもされなかった。
姉は妹へ射殺すような視線を向け、その視線が恐ろしくて魔術師に頼み、ヌーメリアは逃げるように家をでた。
十六年前のヌーメリアは何日もかけて、馬車や魔導バスを乗りつぎ、魔導列車で王都シャングリラにやってきた。
必死に勉強して奨学金をとり、シャングリラ魔術学園に入学し、そのまま何年も帰らなかった。
帰郷したのは十一年前、リコリスの町に近いグワバンという大きな街まで、魔導列車の線路が開通してからだ。
職業体験で親しくなった魔術師のマイクを両親に紹介し、交際を認めてもらおうとした。ところが彼とはその帰郷を機にギクシャクして別れてしまう。
しかも彼はすぐ彼女の同級生だったカイラとつき合い始め、魔術師団に入団した彼女と結婚したのも二重にショックだった。
友人や同僚たちから祝福される姿を、うらやましいと思うと同時に、やはり縁がなかったのだ……とヌーメリアは納得した。
(私が幸せになれるなんて期待してはいけなかったのに)
悲しみの沼があるならそこにひたっていたい。このまま誰にも迷惑をかけずに、ひっそりと生きていたい。
(私が私のために悲しんで、何がいけないの?)
――そう思っていた。
しばらくヌーメリア視点で話が続きます。ネリアは出て来ません。
失恋ってどれぐらい引きずるもんでしょうかね。
人によっては5年10年引きずる事もあるかと思います。









