60.デーダスの家へ
オドゥ・イグネルって誰?と思った方は、第4話、第9話、第11話に登場しますので、そちらをご覧下さいませ。
朝食を済ませると、ヌーメリアとアレクは街にでかけた。
王都で生活を始めるのに、買い足したいものもあるらしい。ヌーメリアもアレクも服が欲しいと言っていたし、わたしはニーナ&ミーナの店を教える。ついていきたいけど、わたしはわたしで用事があるのだ。
「ソラ、デーダス荒野の家への『転移陣』を動かしたいんだけど」
師団長室の『居住区』は、『研究棟』の一部ではあるが、中庭を挟んで外壁に沿って扇形に部屋が配置され、『研究棟』からの行き来は、師団長室から中庭を通っていくしかないため、建物としては完全に独立している。
ソラに案内された部屋は、師団長の寝室の続きの間にあり、寝室からしか出入りできない場所だった。
倉庫のようで、無造作に置かれた箱の中からソラが幾つかを動かし、床に敷いてあるラグをめくると『転移陣』が現れた。
ここから、グレンはデーダス荒野の家と王都の師団長室を行き来していたのね。魔法陣に触れると、微量の魔素に反応して淡く光った。綻びはなく、すぐにでも『転移陣』として起動できそうだ。
グレンが王都に行く時わたしはいつも留守番で、『転移陣』を使ったことがなかったから、グレンの死とともに、王都の『転移陣』も凍結されていた。それを今まで放っておいたのは、わたしに特にデーダスの家に行く用事がなかったからだ。
でも今は、昨日ライアスが言っていた「オドゥ・イグネルがデーダスに居る」という情報が気になる。
デーダスは魔導列車でも三日かかるエルリカの街からさらに人里離れた僻地だから、転移にも多くの魔力が必要だ。『転移陣』にたっぷりと魔素を流して座標を確認し、さらに転移陣に『使用者ネリア・ネリス』を登録する。
「じゃあ、ソラ行って来るね!」
「行ってらっしゃいませ、ネリア様」
ソラが、覚えたばかりの『微笑み』とともに、見送ってくれた。
カタカタ……ヒュゥゥウ……カタカタ……
転移してすぐ耳に入ってきたのは、三年間聞き慣れたデーダス荒野を渡る風の音と、風に揺れる門扉の音。家を離れてからほんのひと月も経ってないのに、随分むかしに感じる。
魔法陣を作動し、保守機能以外眠っていた『家』を起動する。『窓』が採光と換気をはじめ、部屋の中が明るくなる。
そのとたん、部屋の中で誰かが身じろぎするような『気配』を感じ、慌てて振り返った。
(グレン⁉︎)
三年間一緒に暮らした同居人。わたしは無意識に懐かしいグレンの気配を探してしまったれど、気配の主はグレンではなかった。
「やぁ」
「オドゥ・イグネル‼︎」
ウレグ駅で出会った、焦げ茶色の髪に深緑色の瞳をした、中肉中背で目立たない風貌の、眼鏡をかけた男だ。
わたしはなぜ彼のことを忘れていたんだろう。
はじめて会った時、あんなに恐怖を感じたのに。
「嬉しいよ、僕の事を覚えててくれたんだね」
オドゥ・イグネルは宙に揺れていた。
「……グレンの『防犯糸』に引っかかってる人、はじめて見たわ……」
そう、オドゥ・イグネルは頭以外の全身を『防犯糸』にぐるぐる巻きにされ、ミノムシのように天井から吊り下げられて揺れていた。
「なんであなたが家の中に居るの?家は封印されていたはずよ!」
「いやー、最初は家の周囲の魔術の痕跡拾って、術式読んで回ってたんだけど……やっぱ中に入ってみたくなっちゃってさぁ……そしたらこれに引っかかっちゃって」
家の封印の術式を解除して中に入った途端、グレンの仕掛けていた『防犯糸』にぐるぐる巻きにされ、天井から吊るされてしまったらしい。ニコニコと緊張感のかけらもなくオドゥは言うけれど、それ、不法侵入だから!
「ねぇ、下ろしてくれない?」
「『サーデ』!」
わたしはオドゥの懇願は無視して、物寄せの呪文でオドゥの眼鏡を取り寄せる。ウレグ駅で気になっていた眼鏡だ。やっぱり魔道具のようだ。
「この眼鏡なんなの?」
「あっ気になる?それはグレン老の書いた術式に反応するんだ!術式を読むのに使うんだよ……でもいきなり取り上げるのは酷いなぁ」
「……っていうか、あなた眼鏡を外すと印象変わるのね……」
わたしはまじまじとオドゥの顔を見た。そこに居るのは、人の良さそうな笑みを浮かべた特徴のない青年ではなかった。目鼻立ちは整っており、しっかりした眉に切れ長の深緑色の瞳はむしろ鋭い……知性的に見えない事もない。
(普通にイケメンだわ……)
「『普通のイケメン』よりも、『警戒心を抱かせない人の良さそうな男』の方が、女性受けがいいんだよ」
眉尻を下げて情けなさそうに言っている内容が、ますます胡散臭い。
「それでわざわざ『印象操作』を?この家に入り込んだ目的は何?」
「答えるからさぁ、下ろしてよぉ、オシッコもれそうなんだよぉ」
「漏らしたくなかったら早く答えなさいよっ!」
わざとらしく泣き言をもらすから怒鳴ったけれど、オドゥは全然堪えたように見えない。
「まいったなぁ……そんなにこの家の秘密が大事?」
「……」
「答えたら下ろしてくれる?」
「こ・た・え・な・さ・い」
一切の妥協を許さないわたしの態度にあきらめたのか、オドゥ・イグネルは素直に口を割った。
「ひとつはクオード・カーターに頼まれたから。ネリア・ネリスについて探ってこい……ってね」
「わたしについて……」
「もうひとつは、単純にグレンのデーダスの家に興味があった……僕はグレンの信奉者でね、グレンの残した術式を趣味で研究もしてるんだ。仕事サボってグレンの家に来られるなんて、カーターも気が利いてるよね!」
「じゃあ、ずっとデーダスに居たのって……」
「僕は魔術学園時代にグレンの錬金術に触れる機会があったのがきっかけで、錬金術師を志したから。グレンの事は何でも知りたいと思うんだ……ねぇ、そろそろ下ろしてよ」
改めて懇願されたけれど、わたしは首を横に振る。
「下ろす理由がないわ」
「じゃあ提案だ。僕とずっとここで暮らさないか?」
「……は?」
「僕は錬金術師としては六年のキャリアがあるし、グレン・ディアレスとクオード・カーターの元で修業を積んだ……僕ならグレンのかわりができると思うよ」
……天井からぶら下げられて、ぷらぷらと揺れながら言われても。
「その恰好で言っても説得力がないんだけど!」
「そうだよねぇ、しまらないよねぇ……僕達の子どもに聞かせたら笑われちゃうなぁ、こんなプロポーズ」
オドゥは困ったように眉を下げながら、わたしの神経を逆撫でするようなセリフを言う。
「勝手に子ども作んないでっ!」
「えええ?いい提案だと思ったんだけど。困ったなぁ……どうしようかなぁ……」
疲れる。なんか、この人疲れる。吊るしっぱなしにしとくわけにもいかないだろうけど、置いて帰りたいよ……。そんな事を考えながら彼を眺めていたら、オドゥの表情が何か良い事を思いついたように、パッと明るくなった。
「そうだ!今ネリアが困ってる事ない?それを何とかしてあげようか?」
「困ってる事?」
「そう、たとえば……クオード・カーターを説得する……とかさ。どう?」
首を傾げたわたしに向かって、オドゥ・イグネルはミノムシ状態のまま、にんまり笑った。
(……こいつ、やっぱり油断できない!)
60話目でようやくデーダスに一時帰宅。
オドゥの拘束方法については1.ミノムシ、2.鳥かご、3.磔、4.人間ホイホイ…で悩みました。
彼が最初から拘束されているのは、ネリアが怖がらずに話ができるようにという作者の配慮です。
もしも留守にしていた家によく知らない男が入り込んでいたら絶叫ものですよね。
彼が縛られているので、ネリアは普通にしゃべれているのです。









