59.真夜中に笑顔の練習を
よろしくお願いします。
研究棟の居住区に戻ったときは、すっかり夜も更けていた。
わたしが猫になっていたあいだに、ソラがさっそく部屋を整えてくれたらしく、居住区ではヌーメリアとアレクが寛いでいた。
いつもソラが「おかえりなさいませ」といってくれるけれど、「おかえり」と迎えてくれる人が増えたのがうれしい!わぁい!
「ごめんね、すぐに帰ってこなくて。塔にいってたの」
「だいじょうぶでしたか?」
ヌーメリアが心配そうに聞く。
「カーター副団長が『パパロッチェンも効かないとは……』と、ショックを受けてましたよ」
「はは……体質かな」
ふつうは飲んですぐに効果がでるらしく、一気に飲み干したことだけでなく、わたしがあの場で猫に変わらなかったことにも、副団長は驚いていたらしい。
いや……効果はバッチリでたけどね……しかも元に戻るのにも、人の倍は時間がかかったし。でもそう思わせておいたほうがよさそう。
ハッタリだけど『パパロッチェンに動じない女』……これでいこう。
アレクは早々に寝てしまったので、わたしは軽めの夕食をすませると、ヌーメリアの話をゆっくり聞いた。彼女が実家で遭遇した、たくさんの……悲しくて切ない話に泣いて、理不尽な事情に怒って、思いがけない活躍に笑った。
いろいろな感情があふれて、ヌーメリアもわたしも泣いちゃって酷い顔になったけれど、翌朝にはすっきりした顔に戻っている魔法を教えてもらった。
『メローネの秘法』というのは魔術学園で女子たちに伝わる口伝のひとつで、泣き虫だったヌーメリアには必須の魔法だったらしい。笑える。
そしてなんと!彼女の実家近くには温泉が湧いていて、『お風呂』という概念を理解してもらえた!
「体を洗う場所というよりも、星の魔力を体に取りこむため、『聖地での沐浴』という感覚です」
「へえぇ。温泉。いつかいってみたいな」
大地から湧きでる『星の魔力』が豊富だそうで、ひとびとは温泉に身を浸すらしい。湯治みたいなものかな……それでもいいなぁ。世界が広がるほど、行ってみたいところがどんどん増える。
師団長室の『じゃくじぃ』はアレクにも好評で、面白がってなかなかでてこなかったらしい。
それはきっと遊んでたな!タオルで泡を捕まえて、膨らませて潰すのとか楽しいよね!
ヌーメリアは優しいお姉さんで、わたしは気の置けないおしゃべり相手に飢えていたみたい。彼女が戻ってきてくれて、本当によかった。これからの共同生活、うまくいきますように。
そんな記念すべき共同生活の始まりだったんだけど……。
その日は自分のベッドに入っても、なかなか寝つけなかった。考えてみれば昼間に、レオポルドの膝でもベッドでも、たっぷり昼寝をしてしまったのだ。うぅ、不覚……。
わたしは何度か寝返りを打ったあと、諦めて靴を履いて中庭にでた。部屋のすみに控えていたソラも、わたしについてくる。
ソラは何もなくても、いつもわたしが見える場所にいる。それが精霊にとってどんな意味があるのか、わたしにもわからないけど。
中庭に生える大きなコランテトラという木の根元に、石でできたベンチがある。そこに座って脚を抱えると、ソラも少し離れたところで止まる。
空を見上げれば、もうだいぶ月も傾いていた。
「今日は反省点がいっぱいだなぁ……」
少しずつでもいいから、師団長として認めてもらえれば……そう思っていたけれど。
「いろいろと張り切りすぎちゃったかも……」
ぜんぜん知らない世界、まったく通じない常識。デーダス荒野で三年かけて蓄えた知識なんて、ほんのちょっとしかない。ほんの少しのことで足元をすくわれる。自分の立場なんて、まだ薄氷の上にいるみたい。
(安全な師団長室か、デーダス荒野の家にこもっていたほうがいいのかな……)
晩年のグレンは王都の錬金術師団には、あまり関わらなかったし、たぶんわたしがソラと師団長室で何もせず過ごしても、誰も何も言わないだろう。
むしろ、おとなしくしていたほうが喜ばれるかも。
けれど。
わたしがやってみたいのだ。
錬金術師として、いろいろやってみたい。
せっかく王都にまできたのだ。見たことがない景色を見てみたい。
連れてきてくれるはずだった、グレンはもういないけれど。
(グレンなら『やりたいようにやれ』と、いってくれるはず……)
―――ネリア……お前は、どんなときでも「生きたい」と願え―――
目を閉じれば思いだすのはグレンの言葉。あれは、まだわたしが自由に体を動かせなかったころのこと。
「ネリア、おまえがこの世界に定着できるように、『星の魔力を繋げた」
(星の魔力?)
「そうじゃ、大きな力じゃぞ……ちょっとやそっとじゃ枯れはせん。ただ……」
グレンは少しのあいだ、なんというべきか迷うように、しばらく口を閉ざしていた。
「いいかネリア、『がまん』をするな。やりたいことをがまんするのもいかんし、やりたくないことを無理にやろうとしてもダメだ。それはおまえの魂が持つ『生きようとする力』を損なう」
(ええ?『がまん』をしないって……それたいがいワガママじゃない?)
「お前はどんなことがあろうとも、『生きたい』と願え。少しでも『死にたい』とか『ここにいたくない』と思えば……」
―――この星との繋がりはかんたんに切れる―――
―――だからネリア……おまえはどんなときでも「生きたい」と願え―――
―――この世界で生きていくために―――
「生きたい」
わたしは声にだしてつぶやく。
(……うん、グレン爺……がんばるよ)
閉じていた目を開いて顔をあげると、ソラと目が合った。水色の髪と瞳で冴え冴えとした姿は、清らかな天使のように美しいけれど、人ではない精霊の魂を持った人形。
(……少しでもわたしにとって、この世界が、『居心地のいい場所』になるように……)
「ソラ!おいで!」
「はい、ネリア様」
呼びかけると、ソラが滑らかに近寄ってくる。
「ソラ、笑顔の練習しよう!」
「……笑顔……」
「笑顔には人を安心させる力があるからね!ソラにも身につけてほしいな」
無表情なソラはまとう色彩からも、見る人によ氷のような冷たさを感じさせる。
「ん~ソラは何かおかしいとかないのかなぁ……両方の口角を少し持ちあげてね!わたしのまねをしてみて!」
「……こうですか?」
ソラは口角だけ上げてみたものの、ぎこちない。
「そう、ずっとイイよ!グレンはちゃんとソラの表情筋も作っているから使わないと!わたしのまねしてね!」
今、わたしは笑っているはずだ。何度かやっているうちに、ソラがだいぶ自然にほほえむようになった。
「……少し目を細めて、大頬骨筋を持ちあげるのがコツです」
相変わらず淡々と言っていたけれど。
「うん、わたしと目が合ったら、そんな感じでほほえんで!朝起こすときもそれでお願い!」
「……かしこまりました」
翌朝、「おはようございます」とほほえむソラに、自分の目が信じられないヌーメリアはぼうぜんとしていたし、アレクは「きれい……」と素直にみとれていた。
ソラはネリアが喜ばせるために微笑む。ただそれだけ。









