58.パパロッチェン
よろしくお願いします
お腹がいっぱいになると眠くなるのは猫も人間も一緒だ。
わたしは、うとうとしかけるのを必死で我慢する。
いや、だって。
ここで寝たらまずいでしょ。
こんな所(奴の膝の上)で寝こけたら、こいつに思いっきり馬鹿にされる!
なんとか隙をみて逃げだして……そう思うのに、瞼はどんどん重くなってくる。
わたしの体の上にはレオポルドの大きな手が置かれ、逃げだす隙がない。
いや、まずいというのに。
ちょ!……撫でないで!
絶妙な力加減とリズムが……
やめてええええ!
無理!
……。
気持ち……い……、
……ねむ……。
「……寝てしまったか」
師団長の膝の上に丸まる白猫を見て、メイナードとマリス女史がその可愛らしさに目を細めた。
「師団長が猫を飼っているなんて意外でしたが、可愛がってらっしゃるんですねぇ」
「そうか?」
「ご飯あげてる時の目元なんか、とっても優しかったですよ!」
「……」
「その子、名前はなんて言うんですか?」
レオポルドは無表情に膝の上の猫を見下ろした。
「……知らん……ただの、預かり猫だ」
目を覚ますと頬に風を感じた。
窓が開けっ放しで、風が入り込んでいるようだ。
寝返りを打つと、開いた窓から差し込む月明かり……それに照らされた人影が見える。
月明かりに照らされた銀の髪はまるで氷の川のよう。黄昏色の瞳には、銀の長いまつ毛が影をつくり、物憂げに見える。
その右手には氷の入ったグラスがあり、彼は夜空に浮かぶ二つの月を眺めながらグラスを傾けている所だったようだ。気配を感じたのか、その双眸がゆっくりとこちらに向けられる。
「目が覚めたか」
「あれっ?わたし……あっ、戻ってる⁉︎」
わたしはがばっと起き上がると、自分の体をペタペタ触って、白猫ではなく人の姿に戻っているのを確かめた。
「パパロッチェンだ」
「ぱ?」
「子どものイタズラのようなものだ。姿を変える効果は数時間で切れて、体に害はない……呪いの類ならお前の魔法陣が完璧にはじいただろうが……盲点を突かれたな」
「パパロッチェン……ていうの?」
おのれ、クオード・カーター!地味な嫌がらせをありがとう!子どものイタズラレベルって……大人げないねっ!……見事にひっかかったけど……くぅ。
「青紫色の見た目と香りが特徴的だから、わざわざ飲む馬鹿も居ないと思っていたが……」
「馬鹿ですみませんね!」
レオポルドは緩く首を振った。
「魔術学園の生徒達に流行る遊びだから、お前が知らないのも仕方ない」
「遊び?」
「互いに飲ませ合って、どちらがより凄い怪物に変わるか『パパロッチェン勝負』したり、同じようなグラスの中にひとつだけ『パパロッチェン』を用意して並べ、誰が引き当てるか勝負する『パパロッチェンルーレット』などがある」
パパロッチェン勝負にパパロッチェンルーレット⁉︎魔術学園の生徒達、怖っ!
「……猫で良かったな。飲ませたのは魔術学園の生徒達か?先日も学園で派手に暴れたと、メイナードから報告があったが」
猫という事は、カーターなりの手加減だった?わたしは首を横に振って否定する。
「違う……職業体験、錬金術師団は最後だからまだ先……学園は関係ない」
「では、誰に飲まされた」
「……」
クオード・カーターにやられたなんて、レオポルドには言いたくない。先日も『錬金術師達を掌握できていない』と言われたばかりだ。
無言のままでいると、レオポルドがため息をついた。
「師団長になる時に、『支えて欲しい』と言ったのはお前だろう」
わたしは驚いて顔を上げる。言った。確かに言った。
「……もしかして、助けてくれた?」
レオポルドは、皮肉げに眉を上げる。
「なんだ、子どもだましの手に引っかかるアホな錬金術師団長、と噂になりたかったのか?」
「……っ!大変感謝しておりますっ!今後ともご指導ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げますっ!」
ぐぬぬ……。下げたわたしの頭の上から、呆れたような声が降ってくる。
「……お前は皆が当たり前のように持っている知識を、何も知らない。『パパロッチェン』に引っかかるぐらいだ。今からそんな事では、魔術学園の生徒達だってひと筋縄ではいかないぞ」
そうなんだよね……学園から職業体験にやって来るのは六人。錬金術師団の団員達と同じ人数だ。
今の状態で来てもらっても、ちゃんと相手できるかどうか。人数が多いからって浮かれている場合じゃなかったよ……。
今日はレオポルドが居てくれて、本当に助かった。
「いろいろと……お世話になりました……その、ご飯まで」
「数時間で効果が切れるのは分かっていたからな。ソラが作ったもの以外を口にする時は気をつけろ……良くも悪くもお前は『師団長』だ。隙を見せるな」
「……返す言葉もございません……」
気づけばメイナードもマリス女史も師団長室には居なかった。レオポルドは、わたしが眠った後も、ずっと師団長室にかくまってついていてくれたらしい。
ひぇぇえ……恩人に対して、猫になったら猫じゃらしで釣って遊び倒すとか、マタタビでメロメロにして笑ってやるとか、失礼な事考えてました!すみませんっ!
……醜い心のわたしを今すぐ穴掘って埋めたい……。
「あの、数々のご迷惑をおかけ、しまして……」
「全くだ。お前のおかげで帰りそびれた……さっさと帰れ」
うんざりしたようにレオポルドは額に手をやり、目をつぶって椅子にもたれた。机の上に置かれたお酒の瓶がわたしの視界に入る。
「あ!そのお酒、いつもグレンが飲んでいた奴……」
「お前……誰のベッドを占領していると思ってる」
ベッド?
わたしは自分が寝かされていたベッドを見下ろした。見回せば家具が数点と壁に男物の上着が掛かっているだけの、簡素で生活感のない部屋だ。どうやら師団長室に続く小部屋らしい……仮眠用と思われるこれは……。
認めたくない。
認めたくないけど!
「……レオ……ポルド……のベッド?」
「分かったら、さっさとどけ」
「っ!……おっ、お邪魔しましたぁっ!」
わたしは、ライガを展開すると、師団長室の窓から飛びだした!
いや、逃げだした!
膝枕で寝こけたうえに。
人のベッド占領して爆睡してたなんて。
いやあああああ!恥ずか死ねる!
『塔』の最上階、『魔術師団長室』の窓のカーテンが、大きく揺れてはためいた後、また元の静けさを取り戻す。
もしもここにメイナード・バルマかマリス女史が居たならば、師団長の滅多に見られない表情に再び驚愕しただろう。
月明かりが差し込む窓辺で。
「全く……突風のような奴だな……」
グラスの氷をカランと鳴らしながら呟く声は。
愉しげな響きを帯びていた。
この部分の話は、作ったと言うよりも作者が夢に見た場面を書き起こしたものです。
夢の中では、白猫のネリアもご飯をあげるレオポルドも、フルカラーの音声つきだったのですが、お伝え出来ず残念です。がんばれ私の表現力。









