58.パパロッチェン
よろしくお願いします!
お腹がいっぱいになると、眠くなるのは猫も人間もいっしょだ。
わたしはウトウトしかけるのを必死で我慢する。
いや、だって。ここで寝たらまずいでしょ。
こんなところ(膝の上)で寝こけたら、こいつに思いっきりバカにされる!鼻で笑われるに決まってる!
なんとかスキをみて逃げだして……そう思うのに、まぶたはどんどん重くなる。
わたしの体にはレオポルドの大きな手が置かれ、逃げだすスキがない。
いや、まずいというのに。
ちょ!……なでないで!
絶妙な力加減とリズムが……やめてええええ!無理!
……。
気持ち……い……、……ねむ……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……寝てしまったか」
師団長の膝でスヤスヤと丸まる白猫のかわいらしさに、メイナードとマリス女史は目を細めた。
「師団長が猫を飼っているなんて意外でしたが、かわいがってらっしゃるんですねぇ」
「そうか?」
メイナードにそっけなく返すレオポルドに、マリス女史がたずねた。
「ご飯あげてるときなんか、目元がとっても優しかったですよ!その子、名前はなんていうんですか?」
レオポルドは膝で眠る白猫を、無表情に見下ろした。それでも手は自然と白い毛並みをなでている。
「知らん……ただの預かり猫だ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
わたしが目を覚ますと、ほほに風を感じた。
窓が開けっぱなしで、風が入りこんでいるようだ。季節は初夏だから、肌をなぶる風が心地よかった。
寝返りを打つと、開いた窓から差しこむ月明かりと、それに照らされた人影が目にはいる。わたしはぼんやりと考えた。
(月がふたつあるから……夜が明るいんだよね……)
月光を浴びて輝く銀髪は、まるで凍てついた川のよう。黄昏色の瞳には、銀の長いまつ毛が物憂げに影を落としている。
その右手には氷のはいったグラスがあり、ちょうど夜空に浮かぶ、ふたつの月を眺めながらグラスを傾けていたようだ。
わたしが目を覚ました気配を感じたのか、その双眸がゆっくりとこちらに向けられる。
「目が覚めたか」
「あれっ?わたし……あっ、戻ってる⁉︎」
わたしはがばっとベッドに起きあがり、自分の体をペタペタ触り、白猫ではなく人の姿に戻ったのを確かめた。
「パパロッチェンだ」
「ぱ?」
「子どものイタズラでよく使う。姿を変える効果は数時間で切れて体に害はない。呪いの類ならば、おまえの魔法陣が完璧にはじいたろうが……盲点を突かれたな」
「パパロッチェンていうの?」
おのれ、クオード・カーター!地味な嫌がらせをありがとう!子どものイタズラレベルって……大人げないねっ!
くぅ……みごとにひっかかったけど。
「青紫色と香りが特徴的だから、わざわざ飲むバカもいないと思っていたが……」
「バカですみませんね!」
レオポルドはため息をついて、ゆるく首を振った。
「魔術学園で流行る遊びだから、知らないのもしかたない」
「遊び?」
「たがいに飲ませ合い、どちらがよりすごい怪物に変わるか勝負するパパロッチェン勝負や、同じようなグラスを並べてひとつだけに注ぎ、誰が引き当てるかを賭けるパパロッチェンルーレットなどがある」
パパロッチェン勝負にパパロッチェンルーレット⁉︎魔術学園の生徒たち、怖っ!
「……猫でよかったな。飲ませたのは学園生たちか?先日も学園でハデに暴れたと、メイナードから報告があったが」
猫ということは、カーター副団長なりの手かげんだった?わたしは首を横に振って、彼の推測を否定する。
「ううん。錬金術師団の職業体験は最後だから、まだ先だし学園生は関係ないよ」
彼がことりとグラスを置いた。
「では、誰に飲まされた」
「えと……」
クオード・カーターにやられたなんて、彼には言いたくない。『錬金術師たちを掌握できていない』と、先日の師団長会議でいわれたばかりだ。
黙っていると、彼は銀の髪をかきあげて顔をしかめ、物憂げにため息をついた。
「師団長になるときに、『支えてほしい』といったのはおまえだろう」
わたしは驚いて顔をあげる。確かにそういった。
「……もしかして助けてくれた?」
銀の魔術師は皮肉げに眉をあげる。
「なんだ、子どもだましの手に引っかかるアホな錬金術師団長と、ウワサになりたかったのか?」
「……っ!大変感謝しておりますっ!今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げますっ!」
ぐぬぬ……。下げたわたしの頭の上から、あきれたような声が降ってくる。
「みなが当たり前のように持っている知識を、おまえは何も知らない。パパロッチェンに引っかかるぐらいでは、魔術学園の生徒たちだってひと筋縄ではいくまい」
そうなんだよね……学園から職業体験にやって来るのは六人。錬金術師団の団員たちと同じ数だ。
今の状態で研究棟にきてもらっても、ちゃんと相手できるかもわからない。人数が多いからって浮かれている場合じゃなかったよ……。
今日はレオポルドがいてくれたおかげで、本当に助かった。
「いろいろと……お世話になりました……その、ご飯まで」
猫だったとはいえ、食い意地が張ってるトコまで見られちゃったよ……。
「数時間で効果が切れるのはわかっていたからな。ソラが作ったもの以外を口にするときは気をつけろ。よくも悪くもおまえは師団長だ。スキを見せるな」
「……返す言葉もございません……」
気づけばメイナードもマリス女史も、師団長室からいなくなっていた。わたしが眠ってしまったあとも、レオポルドはずっと師団長室でついていてくれたらしい。
ひぇぇえ……恩人に対して、猫になったら猫じゃらしで釣って遊び倒すとか、マタタビでメロメロにして笑ってやるとか、失礼なこと考えてすみませんっ!
……醜い心のわたしを、今すぐ穴掘って埋めたい……。
「あの、数々のご迷惑をおかけしまして……」
「まったくだ。お前のおかげで帰りそびれた……さっさと帰れ」
レオポルドはうんざりしたように額へ手をやり、目をつぶって椅子にもたれた。机に置かれたお酒の瓶を見つけ、わたしは思わず叫んだ。
「あ!そのお酒、いつもグレンが飲んでたヤツ……」
とたんに凍えるような声が降ってきた。
「おまえ……誰のベッドを占領していると思ってる」
ベッド?
わたしは自分が寝かされていたベッドを見下ろした。簡素な家具が数点置かれた小さな部屋を見回せば、石の壁に男物の上着が掛かっているだけで生活感もない。どうやら師団長室に続く小部屋らしい……仮眠用と思われるこれは……。
認めたくない。認めたくないけど!
「……レオ……ポルド……のベッド?」
「わかったら、さっさとどけ」
「っ!……おっ、おじゃましましたぁっ!」
わたしはあわててライガを展開して、師団長室の窓から飛びだした!
いや、逃げだした!
あの男の膝枕で寝こけたうえに。
そいつのベッドを占領して爆睡してたなんて。
いやあああああ!恥ずか死ねる!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
塔の最上階にある魔術師団長室では、窓のカーテンが大きく揺れてはためいたあと、また元の静けさを取り戻した。
もしもここにメイナード・バルマかマリス女史がいたならば、師団長のめったに見られない表情に驚愕しただろう。
月明かりが差し込む窓辺で、彼は少しだけ口角をあげる。
「まったく……突風のようなヤツだな……」
グラスの氷をカランと鳴らしながら呟く声は、愉しげな響きを帯びていた。









