562.開かれた工房
『魔術師の杖 THE COMIC』、毎月1日お昼ごろの更新です。
渋谷駅直結、渋谷ヒカリエ8階。渋谷〇〇書店。221粉雪書店の棚。
小説版『魔術師の杖』と桜瀬彩香先生の『薬の魔物の解雇理由』4・5巻を置いてます。
コミカライズのアピールもしてますよ!
サルジアの皇帝シュライは、ゆるりとくつろぎ脇息にもたれた。
「残念ながら、三家に伝わる術……とくに〝死霊使い〟の術については、口伝によるため秘匿されたままだ。傀儡師の術ならば、残された傀儡から多少は読み取れようが……素材は何でも使うといい。必要とあれば用意させよう」
「信じられないほどの厚待遇だね」
皇帝の後ろ盾があれば、たとえまわりに誰ひとり、信用できるものがいなかったとしても、皇宮内ではぐっと動きやすくなる。それにオドゥにとって、そんな状況はあたりまえだった。
故郷カレンデュラの山村イグネラーシェが、発展したエクグラシアの王都シャングリラに住み始めてからも、ずっと恋しかった。村人たち以外はすべて敵と教わる彼らの結束は固く、みんなで囲炉裏を囲んで飲むお茶は、格別の味だったのだ。
「失われたものが還ってきたことへの期待は大きい。ここの景色は数千年、変わらない。だが外の世界は刻々と変化しているのだろう?」
皇宮で生まれて育った皇帝は、外の世界を知らない。けれども伝聞ですでに、いろんな情報を得ているようだった。エクグラシア生まれのオドゥは疑問を口にした。
「まぁね。けど、血筋ってのはそんなに重要なのか?」
あんなにあっけなく滅びたイグネラーシェは、それでも血筋を絶やさずに後世に伝えようとしていた。ただひとり残されたのが自分だなんて、オドゥにとっては迷惑でしかない。
「それが〝大地の精霊〟の執着だからな。サルジアの建国神話は、エクグラシアでも聞いたことがあるだろう」
「執着って……〝大地の精霊〟が人間に恋をしたとかいうヤツ?」
それでいうならオドゥも精霊の子孫なのだが、神秘性はまったく感じない。
(それよりレオポルドとも遠い親戚かと思うと……変な気分だよな)
「精霊の血筋だから吾らは力を得たのではなく、あれの愛した人間の……残骸のようなものだから、今もこうして力を持っている」
皇帝シュライは物憂げにまばたきをした。螺鈿細工がほどこされた漆塗りの卓は、ひとつひとつが芸術品のようだ。
給仕をする傀儡たちが、衣擦れの音をさせながら静かに歩き回る。彼らは皇帝が少し指先を動かすだけで、茶を淹れなおして新しい上菓子を運ぶ。運ばれたのは透き通った青紫の花弁を持つ、花を象った美しい上菓子だった。
「食べるのがもったいないよ!」と、ネリアなら叫びそうだ。
(こんなときでも、つい思いだすなんて……どうかしてる)
ぽいっと無造作に菓子を放りこめば、溶けた餡から甘みが口の中に広がる。以前ならば、甘い菓子を食べたときに思いだすのは、死んだ弟や妹たち……家族のことだった。
魔術学園に入学する前に滞在したカレンデュラの領主館でも、華やかな王都シャングリラでも、どんな女性と菓子を食べてもそうだったのに。
けれどグレンの指示で王都の菓子を選んだとき、食感や味に香り、形がひとつひとつ違うものを真剣に探した。
……あれからだろうか。
あの子は無邪気に笑うだろうか、おもしろがって喜んでくれるだろうか、それともびっくりして目を丸くするだろうか……そんなことをオドゥが考えるようになったのは。
現実に彼女が目の前にやってきて、小さな手が菓子をつまみ、ペリドットの瞳をキラキラと輝かせて、しばらく眺めてからパクリとほおばるのを、観察するのも好きだった。
幸せそうにほっぺたを押さえてモグモグと味わうさまは、まるで小動物みたいで、皿におかわりの菓子を載せたくなる。
ライアスのかまどができてからは、彼女は中庭で真剣な顔をして焼き菓子を作った。
「はい、オドゥのぶん」
彼女は得意そうにオドゥの皿へ、ソラが切りわけたアマイモパイを載せる。何の変哲もない、アマイモそのままの素朴な味だったけど、それだけに毎日食べても食べ飽きないだろうと思わせた。
ふっと口の端に浮かんだ笑みを、皇帝は見逃さなかったのだろう。
「そなたは楽しそうだな」
「まぁね。皇太子リーエンの蘇生だっけか、対価は高くつくよ」
「言ったろう、何でも用意すると」
「本当に何でも?」
オドゥは言いながら、暴れだしそうな眼鏡のブリッジを、またも指で押さえた。疑り深そうな深緑の視線を受け止めて、シュライは薄くほほえんだ。
「ほしければこの座も渡そう。もとより皇帝は三家のうち、誰がなってもよいものだ」
本気で言っているらしいと判断して、オドゥは小さくため息をつく。衣食住には不自由しないだろうが、そんなものになるのは自分だってごめんだ。
「とりあえずは……いらないかな。工房をひとつもらうよ。使える設備か確かめて、新調する魔道具だってあるだろう」
「マグナゼの閉鎖した工房を使うといい。あそこがいちばん素材も揃っているからな。助手も呼び寄せよう。どう使うかはそなた自身で判断するといい」
「ありがたいね」
話はそれで決まった。
「わ、私の工房を使う……だと?」
目をむく呪術師マグナゼに、オドゥは平然と告げる。
「そういうこと。皇命ってヤツだから、よろしくね」
「きさまに工房は渡さん!あの術さえ解ければ……」
白いローブのほうが肌になじんでいるが、金糸でネリモラの花刺繍がある黒衣も、あでやかな上に軽くて動きやすい。オドゥはおもしろそうに、マグナゼの体をじろじろと見回した。
「そのネリアの術ってヤツ、僕も気になるんだよねぇ。こんどきみの体を調べてもいいかな?」
「は⁉」
ぎょっとして赤いローブの襟をかき合わせるマグナゼを横目に、オドゥは助手として集められた呪術師たちに指示をだした。
「とりあえず素材の目録を持ってきてくれ。あとは置かれている設備の説明をできる者はいるかな。マグナゼは工房に入れないんだろう?」
「私が……」
黒髪の呪術師がひとり、手を挙げて進みでた。ギリリ……と歯を食いしばるマグナゼをちらりと見て、オドゥに深く頭を下げる。
「ギドゥと申します。マグナゼ様のもとで作業を手伝っておりました。たいていの手順は理解しております。私がご案内いたします」
(見張り役、兼報告係といったところか……)
呪術師には体系がある。シュライの命には従うだろうが、マグナゼにも情報は渡るだろう。オドゥは眼鏡のブリッジを押さえて、人のよさそうな笑みを浮かべた。
「助かるよ、ギドゥ。何にもわからないからさ、サルジア語から学ばないといけないんだ。日常会話ぐらいならどうにかなるけどね」
「ではオドゥ様、こちらへ。呪術師が使う工房では、足りないものもあるかもしれません。シュライ様からも命を受けておりますゆえ、何でもお申しつけ下さい」
封印されていた扉が開かれ、内部にふたたび風が送られる。一歩足を踏みいれれば、ひんやりと湿った室内には独特の臭いが漂う。
ギドゥが先に立ち、オドゥが彼についていくと、そのあとに呪術師たちが続いて工房に入っていった。
「ゆ、許さん!あれは……先祖代々、受け継がれた皇家の工房ぞ!」
歯を食いしばって彼らを見送ったマグナゼに、そばにいた傀儡たちがこてりと首をかしげる。童の形をした傀儡で、首をかしげたしぐさも愛らしい。
「ですが今のマグナゼ様は、工房に入ることすらできません」
「できません」
「うるさいっ!」
マグナゼが乱暴に腕を振り、吹き飛んだ傀儡はバラバラになって、工房の前にコロコロと転がる。壊れた傀儡のカケラを、また別の傀儡が拾って静かに片づけていった。









