559.人魚の恋唄
魔石を囲む氷の海遊都市。造形魔術で作られた港は優美な曲線を描き、バハムートの景色はすっかりと変わった。
多少の嵐に破壊されても再生できるよう、港には修復の魔法陣がかけられている。最終日は港のあちこちに明かりが灯り、お祭りみたいににぎわう。ウブルグはあちこちの屋台に顔をだしてはつまみ食いをしていた。
レオが作りだした氷塊にわたしは幻術を使い、王都シャングリラの街並みや、マウナカイアの美しい珊瑚礁を映しだす。すると人魚たちが喜んで海面で飛び跳ね、大きな水しぶきをあげた。
レオもカロク山の火竜や雪に覆われたモリア山、秋の対抗戦で魔術師団と竜騎士団が戦ったときのようすなど迫力のある映像を描きだし、はじめて目にする景色にグストーをはじめ、バハムートの人たちも大興奮で港は大いに盛りあがる。
人魚たちにとって厳しい環境で暮らしてきたバハムートの者たちは、たくましいと思えるらしい。貝殻を加工した市場のビーズやアクセサリーも人気だ。
やることは山積みだけど、カナイニラウからやってきた人魚たちと、どこか刹那的で享楽的なところのあるバハムートの人たちは、わりとうまくいっている。
南の宝石箱みたいな珊瑚礁の海で泳いでいた人魚たちは、鮮やかな色彩とともにバハムートの人々を魅了した。
とくにカイは人気者で、ひょいっと海に飛びこんで魚を獲るたくましさや、夜はみんなといっしょに歌や踊りを楽しむ気安さが、バハムートの住人たちにもウケている。
褐色の肌にエメラルドグリーンの髪と瞳、南国を思わせる黒真珠を使った金の耳飾り。このあいだまでレオにポーッとみとれていた女性たちが、カイを囲んでうれしそうにはしゃぐ。
そしてここでも彼は、貝や珊瑚を使った自作の髪飾りを、みんなの髪につけてあげている。ぶっきらぼうながらも、女性には優しく接するので喜ばれていた。
「カイ、モテモテだね」
わたしが声をかければ、カイはニカッと白い歯を見せてまぶしく笑った。
「おう、俺はモテるためにやってるからな。王都から来た稀代のナンパ師に教わったんだ。『オスたるもの、つねにモテを目指せ』って」
「はぁ」
カイに教えたナンパ師がどんな人物かは知らないけど、微妙にモテテクが古いような気がする。グレンと同い年だっていうし、そんなものかも。そんなカイを取り巻く女性たちを、リリエラは冷めた目つきで眺めていた。
「ふん。髪飾りぐらいではしゃいじゃってまぁ。あんなの愛情表現なんかじゃないのに。テルジオ、ご飯」
「はいはい」
テルジオは慣れた手つきでササッと料理を集めると、リリエラの前に皿を置き、ポケットから小瓶をふたつ取りだした。
「じゃあリリエラさん、行きますよぉ」
とろーり。
銀のスプーンで小瓶からすくったハチミツを料理にかけ、いったんスプーンに浄化の魔法をかけると、さらに白く煮詰めた練乳を重ねがけする。
リリエラは濃く深い群青の瞳を、キラキラと輝かせてそれを見つめている。
「さぁ、お召しあがりください。あ、ネリアさんの分もお持ちしましょうか?」
「あ、うん」
ニコッとして去っていくテルジオの後ろ姿を見送って、リリエラはわたしをくるりと振り返り、ジトっとした目つきで念を押してくる。
「いい?彼はだれにでも優しいけど、料理にハチミツと練乳をかけるのは、あたしにだけなんだからね」
それはすべての料理にハチミツと練乳の重ねがけを要求するのが、リリエラだけだからでは……とは思ったけれど、わたしは黙ってうなずいた。
テルジオが運んでくる料理は、彼が調理したものじゃない。だからきっとだいじょうぶだろう。たぶんだけど。
焚火を囲み、バハムートの人たちが即席の楽器で、陽気に演奏を始めると、それに合わせて人魚たちが、次々に美声を披露する。
ふたつの月が空に浮かび、恋唄の切ない調べや勇壮な掛け合いによる戦いの場面……合唱が夜空に響くと空気の色まで変わるようだ。
そしてトリとなり、レオに連れられたヴェリガンが出てきて、わたしは思わずヌーメリアを見た。彼女も知らなかったようで、青ざめて自分の口元を両手で覆っている。
「ヴェリガン!」
「どうして彼が……」
ヴェリガンは遠目にもわかるほどブルブル震え、泣きそうな顔でザワザワするみんなを見回すとギュッと目をつむる。レオはそんな彼を置き去りにして舞台袖に戻り、ハルモニア号から持ちこんだ、ピアノのような楽器の前に座った。
ヌーメリアは胸にかけたお守りの小瓶を握りしめ、箱を積み上げただけの即席の舞台に立ち尽くすヴェリガンを、息を止めて食いいるように見つめる。
ポロ……ン。
レオの指が動き、滑らかな旋律を奏でる。何度も練習で聞いた曲にアレンジが加わり、華やかな音色が港に響く。
それにカイが貝殻に穴を開けた笛で、澄みきった風の音みたいに素朴なやわらかい音を重ねる。
舞台の上ではヴェリガンがいきなり両手で、両手で耳を押さえてしゃがみこみ、ヌーメリアが声にならない悲鳴をあげる。わたしもダメかと思って腰を浮かした。
けれど彼は歌いだした。最初の音こそ外したけれど、何度も練習したのか譜面も見ずに目をつむったまま、必死になって手を震わせ声を絞りだす。
それに合わせるようにレオとカイが楽器を弾く。ヴェリガンの口から高く低く響く音となって紡がれる歌詞は、エクグラシアの公用語とは違い、〝森の民〟が使っていた言語で歌われ、意味がヌーメリアに伝わるはずもない。
けれど彼女は目も鼻も真っ赤にして、今にも泣きそうな顔で聴いている。
ーーそれは別れ別れになった半身を求めてさまよう人魚の歌。
マウナカイアの砂浜で聴いたときは、胸がしめつけられるような哀愁を感じたけれど、ヴェリガンが必死になって歌うそれは、たどたどしくても情熱的で、それがまっすぐヌーメリアに向かっている。気づけば人魚たちもハモるように声を重ねていた。
最後の一節まで歌いきって、ようやく目を開けた汗びっしょりのヴェリガンと、ヌーメリアの視線が絡み合う。彼女はわたしだけに聞こえるぐらいの、小さな声でつぶやいた。
「ネリア……失礼します」
言うが早いか彼女は魔法陣を展開し、それがまばゆく光った次の瞬間には、ヴェリガンが大きく広げた腕の中に跳んでいた。
そのまま泣きながら抱き合うふたりを横目に見て、演奏を終えたカイは二カッと笑い、無表情なレオと手を打ち合わせる。舞台から降りてやってきたレオに、わたしはさっそくたずねた。
「ヴェリガンに歌うよう、レオが勧めたの?」
レオはこくりとうなずき、盃に酒を注ぐとそれをあおってノドを潤す。
「きみがふたりを気にかけていたから、昼に魔術の指導がてら歌の特訓もした。あとは人前で歌う度胸だけだ」
今日はレオも歌を封印して、ヴェリガンの伴奏に徹したらしい。カイも一枚かんでいたようで、わたしに軽く手をあげて人ごみに消えていった。
(ふたりが協力するなんて……)
さっきまで見ていた感動的な光景、わたしはその余韻にうっとりとひたる。
「ヌーメリアも感動してた」
「今の私はどれだけ練習しても、彼ほどには歌えまい。さすがは最高殊勲者だな」
レオは素直に負けを認めるけれど、あれを彼がやっていたら、わたしはこんなに落ち着いて座ってなんかいられない。そう思うとちょっとホッとして彼に笑いかけた。
「そんなこと……これ以上わたしがメロメロになっても困っちゃうし」
「ちょっと待て」
ところがなぜか彼は眉をひそめて、それを聞きとがめる。わたしはぱちくりとまばたきをした。どうしたんだろう、なんだか不穏な気配がする。
「なぁに?」
彼は憮然とした表情でわたしを見下ろし、思いのほか低い声でたずねた。
「きみがいつ私にメロメロになったというのだ」
「えっ……」
真顔でわたしを見つめ、彼はずいっと迫ってくる。
「いつだ」
「えっと、あの、それは……今答えないとダメ⁉」
ここで答えるの、めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど⁉
「答えろ」
けれど彼は真剣な表情をして、わたしをさらに問いつめる。
「怖い顔しないでよ。ロマンのカケラもないじゃん!」
「私はもともとこういう顔だ!」
「そんなことないもん。笑ってるときだってあるもん!」
「この状況で笑えと⁉️」
ギャアギャア言い合うふたりに、割って入る者はだれもいなかった……。
【おまけ】
ユーリ少し離れたところで屋台のカウンターに座り、しっかり濃い酒のグラスを手に、舞台上で抱き合うふたりを眺め、それから舞台下でギャアギャア言い合うふたりを観察する。
「あのふたり……どう見ても両想いなのに、仲が進展しないのはどうしてだろう」
ボソボソつぶやくと彼の横にいたローラが、肩にかかる髪を払いながら、投げやりに答える。
「さあね。お互い好きすぎるんだろうさ」
「好きすぎる?」
すぐに答えずローラはカウンターを物色して、酒を取りだすと自分の好みでカクテルを作り始めた。最後にフタをしたシェイカーを、魔法陣の上でクルクル回す。
「本命だからこそ、慎重に距離をつめる。もどかしいようにも感じるけどね。あれがあの子たちのペースなんだろ」
「そうかな。僕だったら彼女が振りむいたところで、すぐにガッチリ捕まえますよ」
「そういうのは捕まえてから言いな」
ローラはククッと笑ってサーデを唱え、呼び寄せたグラスふたつに、夜の色をした液体をとくりと注ぐ。自分と王太子の前にそれを置き、懐から小瓶を取りだした。
それにぼんやりと目をやり、ユーリは肩をすくめる。正直、今のところ恋愛に興味はない。大人になればなるほど、胸の中にほろ苦さが押し寄せる。それが甘く感じられるようになるのは、いったいいつのことだろう。
「あーいや、僕のことなんか見向きもしない子が好みなんです。想いを寄せられるとスッと冷めるというか。二十歳ぐらいまでには彼女ができて、三十ぐらいには結婚したいなぁとは思ってますけど」
「困った王子様だね」
ローラが栓をはずした小瓶から一滴、雫をポトリとグラスに落とすと、注がれた酒は夜明けの色に染まっていく。ユーリは目をみはり、彼女に質問した。
「これ……魔術ですか?」
「いいや、注いだのはピュラルの雫さ」
「ピュラル……ああ、そういうことか」
納得したユーリがグラスを手にすると、ローラは栓をした小瓶をふたたび懐にしまう。
「おや、仕掛けがわかったのかい」
「僕も錬金術師ですから」
ローラはおもしろくなさそうにグラスをあおる。きついけれどさわやかな酸味と甘み、そして花の香りが鼻に抜けた。
「つまんないね、錬金術師ってのは。この世の理をなんでも解き明かしちまう」
「そうですか?僕は錬金術師になってはじめて、この世界すべてがおもしろいと思えますよ」
ユーリは軽くウィンクをしてグラスを掲げ、ふたつの月を映すとそれをグイッと飲み干した。
 









