550.彼女からは目が離せない
一難去ってまた一難。
氷で覆われた巨大なバハムートの赤い魔石は、太古の竜が持つ膨大な魔力をそのまま塊にしたかのようで、艶やかな表面には光沢があった。
魔石を鳥かごのように取り囲む氷柱はそのまま海へと続き、海水を凍りつかせて足場を形作っている。
ミニネリアの差しだした魔力ポーションをぐいっと飲み干し、魔羊にまたがったままローラは息を吐く。
「魔石の記憶を取りだせたら……ここには研究者も殺到しそうだね」
「これまでは天然の要塞でしたが、これからは人工の建造物として発展していくでしょう」
「ずいぶんと手際がいい」
あきれたようにローラが言えば、黒髪の竜騎士は髪をかきあげて淡々と言う。
「街の再生をカレンデュラで何度かやった経験が生きています。それと……先に幻術を展開し、それに沿うように氷壁を形成しました」
「なるほど」
ローラは顔をしかめた。エクグラシアにとっては重要な拠点となったバハムートだが、めんどうが増えたことには変わりない。
「あんたの婚約者は、ここまで考えてなかったようだけど」
竜騎士の収納ポケットから、ミニネリアが得意そうに答える。
「うん、もちろん。レオポルドが全部考えたんだから」
「彼女が海中にカナイニラウまでの道を拓くなら、なるべく負担が少ないようにしたくて」
ローラは黒髪の竜騎士をジロリと見た。
「言っとくけどね、カナイニラウまでの道を拓くなんて人間じゃないよ。精霊ならともかく」
「それでも彼女は……」
「人として生きたい、か……」
「…………」
ローラだって塔で大魔女として過ごしてきたのだ。常人とは違う存在など、いくつも見知っている。それをそばに置くことの危険性すらも。
黒髪の竜騎士は珍しく、困ったようにほほえんだ。
「目が離せません。ずっと塔を率いてきて、まさか見守る側になるとは思わなかった。ハラハラし通しです」
「おや。あんたにもあたしの気持ちがわかるようになったんだね」
滅びの魔女の嫌味にも動じず、愛弟子はとつとつと続けた。
「それでも……生きてきた中で、私は今この瞬間が、いちばん幸せだと思える。生きているという実感があります」
「あたしもだよ」
ローラの言葉に愛弟子は驚いたようだった。
「師匠も?」
「愛弟子がふたりとも幸せになり、それぞれの人生を生きている。ずっと魔術ひと筋で生きてきたあたしにとって、何よりのごほうびだ。こんな安らぎに満ちた世界が待っているなんてね」
「師匠……」
無表情にレオはつぶやき、いぶかしげにまばたきをして首をかしげる。
「まだ死なないでください」
「死ぬなんてひと言も言ってないよ!」
かみつくように言い返し、ローラはビシリとレオに指を突きつけて宣言する。
「あたしはフラウよりも長生きして、あの女の葬式で高笑いしてやるんだから!」
「…………」
緑の魔女も同じことを言いそうである。どうして国の重鎮である大魔女同士が、こうも仲が悪いのか。探ろうと思えば探れるだろうが、さすがにレオもそこまでする気にならない。
(どうせ理由はくだらないことだろう)
あっさりそう結論づけた。沖合に退避したハルモニア号に連絡しようとして、先にユーティリスからのエンツが飛びこんでくる。
「レオ、魔導機関室に侵入者!こちら応戦中!」
ハッとしたレオの胸元にしがみつくようにして、ミニネリアが悲鳴をあげる。
「助けて、レオ!」
「あの状態では……彼女にはどうしようもない!」
「早くお行き!」
師匠が叫ぶよりも早く、弟子の姿は転移して消えた。魔羊の群れを操り、ローラは氷壁を跳ぶように走る。
「退屈しないね……ったく!」
ハルモニア号へ、そして魔導機関室へ転移したレオは、換装により双剣を両手に携える。
すでにルエンを手にしたユーティリスが複数の影と戦っており、それにレオが加わることで、一気に形成が逆転した。背中合わせになりながら、竜騎士は王太子に呼びかける。
「敵は……⁉」
「まだ潜んでいた呪術師の残党がいたようです!」
ユーティリスが捕縛陣を展開しながらルエンをふるう。魔導機関が破壊されれば船はここで立ち往生する。狭い船内での戦いだから、レオも転移を駆使しながら素早く敵を倒していく。
剣戟で応戦すると見せかけて、素早く転移で間合いを詰めて魔法を叩きこむ。ズルみたいな戦いかただが、どこから飛んでくるかわからない敵の攻撃をかわし、ときには受けとめる。考えるヒマもなく体を動かし、敵をまず戦闘不能にしていった。
しばらくたって戦いに終わりが見えたところで、レオは違和感に気がついた。
(おかしい……あまりにも手応えがない)
魔羊牧場で戦ったときは、もっと剣に重みを感じた。傀儡が多いとはいえ、呪術師の攻撃はもっと多彩だったはずだ。
最後の敵を床に転がして、レオはユーティリスのそばに跳ぶと彼を問いつめた。
「彼女は!」
胸ぐらをつかんで怒鳴る竜騎士に、王太子は苦しそうな顔で答える。
「ネ……リアはヌーメリアが診ています」
竜騎士の顔色が変わった。あっさりと片づいた襲撃。ネリアが構築した長距離転移陣を、敵は目の当たりにしたはずだ。レオが補助したとはいえ、彼女ひとりがやったように見えたろう。
「陽動だ!」
「急いで!ネリアの近くに何かいる!」
ひと声叫んだ彼を、ミニネリアが泣きそうな顔で揺さぶった。
「どうしよう。彼女……まだ目覚めないの!」
白猫になった彼女を保護したとき、三重防壁は眠った彼女が目覚める直前に発動した。今はピアスの魔法陣が彼女を守り、さきほどレオが魔力ポーションも飲ませた。
「間に……合え!」
レオは歯を食いしばって転移陣を展開した。
一瞬で変わる視界、床に倒れたヌーメリアとベッドに死んだように横たわるネリア。それに覆いかぶさるようにした何者かの刃が、その心臓へとまっすぐに振り下ろされた。









