548.デーダス荒野の雪(レオポルド視点の閑話)【発売4周年記念SS】
しんと静まり返っていたデーダス荒野の家に、朝一番で目覚めた彼女の声が響き渡った。
「ねぇ!外がやたらまぶしいと思ってたんだけど。雪!」
バン!とドアを開ける音と同時に、ズダダダと凄い勢いで階段を下りてきて、暖炉の前にある安楽椅子でウトウトしていた私を見つける。
「え、なんでレオポルドってば、グレンみたいにヨレっとしてるの?」
「…………」
一晩中、きみのめんどうを見ていた上に、デーダス荒野でひとりバカみたいに雪を降らせたからだ。
そう言うかわりに、目つきも悪くギロッとにらみつけたら、彼女はふしぎそうに首をかしげている。
「どうしよう。具合悪いの?」
小さな手が伸びてきて私の額にあてられる。ただそれだけで自分の機嫌が急上昇するのだから困ったものだ。
「体調は問題ない。昨日倒れたのはきみだろう」
そう指摘するとパッと手を離し、彼女はパタパタと自分の顔や体をさわって確かめている。
「うん、なんともない。だいじょうぶそう……あっ!」
小さく叫んで彼女はみるみる真っ赤になると、その顔を恥ずかしそうに自分の髪で隠そうとした。もごもごとしたつぶやきが、赤茶色をしたクシャクシャの毛玉から聞こえる。
「あの、これレオポルドのパジャマだよね。お、お借りしまして……そのぅ……」
「きみの部屋にあるクローゼットを、あさるわけにもいかないから私のを着せた。服にほどこされた術式もしっかりしていたからな」
「そ、そうだよね。ごめん……ありがとう」
今すぐその小さな手をどけて、赤くなった彼女の顔を見てみたくなる。
「その、わたしなにか変なこと言ってなかった?」
彼女へと手を伸ばすかわりに、そっけなく聞こえるように返事をした。
「寝言のことか?」
とたんに彼女は髪から両手を離し、紅潮したほほを隠そうともせず、ガバッと私につめ寄った。
「うそっ、ホントにわたしなにか言ったの?」
必死なようすで息をのんで返事を待っている彼女の、キラキラと輝く黄緑の瞳は生気にあふれていて、その奥に宿る光の存在を認めて私はようやく安堵した。
「知りたいか?」
結局私は手を伸ばし、彼女自身ではなく、もつれた赤茶の髪に指を絡める。ただそれだけなのに彼女はハッとして、正気に戻ってしまった。
「あ、ごめん。知りたいけど……わたしまず着替えてくるね!」
またバタバタと階段を駆け上がって、バタンとドアを閉める。それを見送って私はひとりごちた。
「がまんできないお前が悪い」
クシャクシャになった髪、寝起きの腫れぼったい表情、まっさらな世界を見つめる輝く瞳、紅潮したほほを隠そうとして、きまり悪げに昨夜のことを思い返すふるまいさえも。
なにもかもいつもの彼女と違っていて、それを楽しんでいたなどと。今の彼女に伝えても混乱するだけだろう。
「さて、どうするか」
いうまでもなくデーダス荒野に積もった雪は、レオポルドが彼女を喜ばせるためだけに降らせたものだ。けれどそれを告白がわりに使うのも野暮な気がした。
「まずは……雪遊びか」
そのためには腹ごしらえだろう。彼は朝食の準備をするために、調理台へと向かった。冷えたスープを加熱の魔法陣で温めながら、ふとオドゥのことを思いだす。
(デーダス荒野の家でグレンが料理をするとも思えん。調味料の配置からして、ここを使ったのはオドゥか……)
オドゥがバイトしていた四番街の料理店には、レオポルドもよく遊びに行った。店にいる客が退屈しないように、彼は話しながら手際よく調理をしていた。
動線を意識して調味料の位置もきちんと決めていて、オドゥはの流れるような動きを、レオポルドはいつも感心して眺めていた。
(この調理台が私にも扱いやすかったのは、オドゥが使っていたからだな)
オドゥが見せるネリアへの執着も、理由がわかるだけに厄介だと感じる。考えなければいけないことは山のようにあったが、今はレオポルドも彼女のことに集中することにした。
トントントンと階段を下りる落ち着いた足音が聞こえる。
「ごめんね。レオポルドのパジャマ、浄化の魔法をかけたから」
「そこに置いてくれ」
まだ決まり悪そうだったが、今の彼女は髪もきっちりと編んでいた。それはそれで白いうなじが気になるのだが、彼は黙ってスープをよそう。
「朝ご飯まで準備させちゃって……ごめん」
「スープを温めただけだ。ここの調理場はシンプルで使いやすい。グリドルもおもしろいな」
そう言うと彼女の顔がパッと輝いた。
「そうだよね。エルリカの街で食材も買ったし、あれこれ作ってみてもいいかも!」
「きみの関心は食べることか。それほど時間もないだろうに」
残された日々は少なくなっている。居住区からまたいつでもこられるとはいえ、王都に戻ればまた業務に忙殺される日常だ。けれど彼女には食事もだいじなことなのだろう。
「そうだけど……変化のない毎日って退屈じゃん。デーダスのベッドではいつも『あれ食べたいなぁ』とか『これ食べたいなぁ』とか、考えてしょぼくれてたんだから」
「つまり料理はきみの生活を豊かにする彩りなのだな」
「おおっ、レオポルドいいこと言うね!」
彼女はスープに浸したパンを、パクっとご機嫌でひと口食べると、瞳を輝かせて身悶えしている。
「おいしー!エルリカで買ったパン、小麦の味がいい!」
「ならゲームをしないか」
「ゲーム?」
私はパンをつまんだ。
「エルリカで手に入れた食材を使い、それぞれ料理を作る。相手をうならせた方が勝ちだ。負けたほうが後片づけをする。どうだ?」
「いいね!でもレオポルドも料理するの?」
「切って焼くとか、煮るだけなら」
正直に答えると、彼女は得意そうに胸を張った。
「ふふん、じゃあこの勝負、わたしが有利ね!」
「かもな」
私がうなずくと彼女はパンを食べながら、ふしぎそうに首をかしげた。
食後のコーヒーもそこそこに、ラベンダーメルのポンチョを羽織って荒野に飛びだそうとした彼女を、私はあわてて呼びとめた。
「イヤーマフをつけろ。すぐに凍えるぞ!」
「あ、そうだった!」
クスクス笑って受けとり、耳にはめて髪を直す。
「よしっ!」
一面真っ白な銀世界に元気よく飛びだすと、彼女は勢いよく雪原にダイブする。
「うわーっ、ふかふか!雪のお布団!」
「何をしている」
「ヒトガタを作って遊ぶんだよ。ほらほらー」
そういうと彼女はまた仰向けに、どうと倒れる。髪やポンチョを雪まみれにして起きあがると、そこには彼女の形をした穴が開いていた。
「レオポルドもやってみようよ!」
「は?」
北国で雪に埋もれるのは命の危険がある。雪を知らない人間の無邪気な遊びに思えた。けれど言われた通りにやってみて、雪まみれになった互いの姿に笑いころげる。
「やだ、ふたりの足跡しかない!」
彼女はぼふぼふと走り回っては、自分の足跡に感動している。いっしょに楽しむというよりは、つい眺めるだけになってしまう自分に舌打ちをしたくなった。
けれど彼女はそんなことも気にならないようで、手袋にのせた雪の塊をギュッと握っては感心していた。
「すごいよ。サラサラ具合といい、きゅっと握れば雪ウサギになる湿度といい、完璧な雪じゃない?」
「術式で条件を整えたのがよかったな」
彼女は目をぱちくりとさせて私を見上げた。
「そっか。私がやっただけじゃ雪が残るか不安だったの。レオポルドが降らせてくれたんだね」
まっすぐに見てくるその瞳に、イタズラが見つかった子どものような気分になるが、彼女は屈託なく笑った。
「でも残念。これで山があったらスキーでもスノボでもできるのになぁ。雪の次は山の作りかたかなぁ……なんてね!」
ここに魔術で山を作るより、山に行って雪を降らせたほうが早いだろう。
(だがこう見えて彼女は、大真面目に山を作ることを考えるから油断はできんが……)
「ねぇねぇ、雪だるま作ろう!雪玉をね、作ってコロコロと転がすの。そいで手でポンポン叩いて固めて形を整えるんだよ!」
言われるがままに、彼女といろんな雪遊びをした。フォトも撮ったし、夜に暖炉の前で眺めてもういちど笑った。
振りかえってみれば、何がそんなにおもしろかったのか……というようなことばかりだ。けれど彼女が楽しんでいるから、すべてが私の目にも鮮やかな日常として映っていた。
あのとき笑っていた彼女の姿を、私は今も探している。