547.カナイニラウへの門
手元で描いた魔法陣の形を、レーザーで刻むように海の中に描いていくと、魔素に反応したバクテリアが海中で光った。
「魔法陣が平面にならないよう、広がりと奥行きを意識しろ」
「やってる!」
噴きでる汗を吹きつける風が冷やし、指先の感覚がなくなる。
目に意識を集中させて術式の線をつなげても、すぐに波の反射で見えなくなる。
「もっと……光って!」
大量の魔素が体から抜ける感覚と同時に、海中の魔法陣がまばゆいばかりに輝くと、ライガが浮力を失って急降下した。
「きゃ……」
チッと舌打ちの音がして、大きな手がガシッとライガのハンドルをつかむと、わたしの背後からため息混じりの声がする。
「無茶をする」
「そのまま……支えてて!」
もう後部座席にいる彼を振り返る余裕はなかった。人魚の王国カナイニラウと精霊の目印たるバハムートの魔石、そのふたつを距離と空間を越えて結びつける長距離転移陣、まだそれは完成していない。
「これが完成すれば、バハムートの未来を変えることができる!」
ふくらんだ魔素の波動にあおられ、ライガの機体がガタガタと揺れると舌をかみそうで、わたしは必死に歯を食いしばる。
そのときバハムートの甲羅がぱっくりと割れ、大地だった巨大な塊が次々に海へと飲みこまれだした。沈む甲羅のまわりに渦が巻き、ほとんど避難を済ませた住人たちが着の身着のまま、ひしめきあって座る小船で悲鳴をあげた。
「船がっ……」
渦潮に巻きこまれた小船は木の葉のようで、そのまま海底に引きずりこまれようとしている。レオが上空から魔法陣を展開し、金魚すくいみたいに船をさらい、安全な海域に跳ばした。
「すご……」
「きみは魔法陣の構築に集中しろ。まわりを見るな!」
怒鳴りながらレオは収納ポケットから魔力ポーションを取りだし、あおるとすぐにローラへとエンツを飛ばす。
「ローラ、魔羊たちを療養所に誘導、地下にある魔石ごと守りを!」
エンツから割れるような声で返事がある。
「はぁ⁉️どんだけ人使いが荒いんだい!」
「師匠仕込みです。花畑はすべて踏み荒らしてかまわない!」
「チッ、わかったよ!」
(レオの舌打ちはローラ仕込みかも)
一瞬だけ考えて、わたしは展開中の魔法陣に意識を引き戻した。
かけ離れた場所、出会うはずのない存在、それぞれの運命を交差させ、影響し合うことで互いの未来を変えていく。
体の中にある無尽蔵といっていいほどの魔力、星そのものが持つ魔力の根源へと、パイプを下ろす感じでつなげていく。
(しっかりとつなげて、魔力を暴れさせずに内側から解放する。これがきっかけでどんな未来が生まれるかなんて……まだわからないけど!)
わたしは自分の錬金術師たちと、バハムートの人たちを信じるしかない。自分の指先で紡いだ術式に魔力をこめ、海に刻むようにして精霊言語たる古代文様で大きな魔法陣を描いていく。
(これぐらい、広域魔法陣にくらべたら……まだまだ!)
魔力の波動にのせるように、精一杯大きな声で言の葉を紡ぐ。
「〝ラグナシャリアエクシ〟、〝オヴァル〟……どんなに距離があろうと、すべてを越えて!」
海中に走る術式の線……見えるものだけに集中したら、ふっとすべての音が聞こえなくなった。
まだわたしが描く魔法陣、紡いだ術式のだいじな要に魔素が到達していない。最後は結実紋。どこまでも願いをこめて魔素が術式の線を伝う。
がっしりとした大きな手が震える指先に添えられて、動かないように固定する。そう、そのまま……わたしの指さす方角に未来を出現させてみせる。
もうわたしは自分の声さえも、聞き取ることができないけれど。言霊があると信じて声を張りあげる。
「わが願いを具現化せよ。カナイニラウへの門を開け……〝エレス〟!」
海が染まり色を変え、紺碧の海に白くまばゆく輝く魔法陣が浮かびあがった。完成した魔法陣、輝く術式に調和がとれるよう配置された古代文様。〝エレス〟の印に満足して、わたしは力を抜くと背後にいる彼にもたれかかった。
濃い群青の海から、鮮やかなエメラルドグリーンが広がっていく。色とりどりの鱗をまとった人魚たちが、水の中から勢いよく飛び跳ねる。
「ネリア!」
カナイニラウへの知らせを頼んだリリエラが、渦の中心からわたしを見あげて手を振った。頭蓋骨に直接響く彼女の叫びは、ちゃんと聞き取れた。
人魚たちの泳ぎはダイナミックで力強い。水中を走るように高速で泳ぎ、崩れ落ちる土砂を避けながら、海に落ちた人々を助けては運んでいる。
(これで……もうだいじょうぶ……)
聴覚の次は視界が失われていく。ありったけの魔素を放出したわたしは、ほっとしてたぶん笑ったんだと思う。ライガのハンドルを支える腕に包まれるようにして、そのまま意識を失った。
魔力欠乏症を起こした体を守るように、娘がつけていたピアスが輝く。魔法陣の働きをチェックしながら、彼女を支えていた男はひとりごちた。
「まったく……しかり飛ばしたいのに、きみがあんな笑顔を見せるとは」
満足そうなほほえみはデーダスで見せたのと同じ。たやすく自分の限界を超えて魔力を使う娘は、彼が作ったピアスに生命維持をゆだねていた。
「わたし寝ちゃった?」
ひょこっと彼の収納ポケットから、ミニネリアが顔をだした。よいしょよいしょと、魔力ポーションのビンを引っぱりだす。
「飲ませてあげたら?」
「ここでか?」
ためらう男にミニネリアは天を指さす。
「雲に入っちゃえばいいじゃない」
天高く舞い上がったライガが雲を突き抜け、ふたたびハルモニア号に下りてきたときは、気を失った娘の顔にはだいぶ血の気が戻っていた。












