541.毒の魔女
「逃がさないわ!」
暗闇にヌーメリアの声がこだまする。光り玉が投げられ、狭い洞窟内は昼間のように明るくなった。彼女の手から捕縛陣が放たれる。幾人かの呪術師はそれにより動きを止められた。
「ぐあっ!」
「うぐっ!」
「チィッ、何度も同じ手を食らうか!」
マグナゼだけは素早く転移して、捕縛陣から逃れると腕につけた魔道具から雷撃を放つ。防壁を展開して直撃を防ぐと、ふだんはおとなしいヌーメリアが、言葉で呪術師の急所をえぐる。
「魔道具頼みなのは本当のようね。呪術が使えない呪術師なんているの?」
「う、うるさいっ!」
灰色の魔女はやわらかなほほえみを口元に浮かべた。研究棟での襲撃はユーティリスが立ち向かい、ネリアは魔力による転移で結界を破壊した、とだけしか彼女は聞いていない。
「ネリアにどんな術を用いたのか聞かないと。呪術師を封じる技なら、とても役に立つでしょう」
「それは地上に戻れてからの話だ。フッ、まんまと罠にかかったな!」
呪術師は袖口からヘビの形をした魔道具を放つ。地面を凄まじい速さで獲物に近づき、脚に絡みついて動きを止めると、血管を狙って毒牙を突き刺す仕組みだ。
ズザザザザッ!
ヘビは四体……全身をバネのようにしならせて、二体がヌーメリアに向かって跳躍した。残りの二体は地を這い、そのまま彼女の足首を狙う。
「命さえ残っていれば、足などなくともかまわん!」
「……させないっ!」
ヌーメリアのまわりに水陣が出現する。アレクといっしょに練習した水の防壁だ。ヘビたちは勢いよく跳ね返され、バシャッと水飛沫がかかったマグナゼが低い声で毒づく。
「こしゃくな……」
「身を守るには毒の小瓶だけでは足りないもの。あなたにくれてやるなんて、髪の毛ひと筋だってごめんだわ!」
力だけなら体術も身につけていないヌーメリアが、マグナゼのような屈強な男にとてもかなうとは思えない。けれど彼女は〝毒の魔女〟だった。
効き目は遅れてやってくる。魔道具を取りだそうとしてマグナゼは、指が思うように動かないことに気づいた。手に力が入らず、魔道具をつかむことができない。そしてその違和感は、指先から徐々に肘まで伝わってきて、彼の顔色が変わった。
「な……腕がしびれる?」
そのスキを見逃さず、ヌーメリアは再び捕縛陣を放つ。マグナゼの全身に魔法陣が絡みつき、彼の体はどうと音を立てて水たまりに倒れ、水しぶきが飛び散った。
「が、な、何……」
コツリと一歩踏みだしたヌーメリアが、地面に這いつくばるマグナゼを、冷たい目で見おろした。
「私の異名をご存知なのに、ずいぶん油断なさっていること」
「ど、毒?」
ずぶ濡れになった彼の身動きがとれないのは、捕縛陣のせいか毒のせいかもよくわからない。今の彼は舌までしびれた上に、視界がぐんと暗くなって目もよく見えない。
「ひ、ひひゅのまに……」
「…………」
ヌーメリアは答えない。わざわざ教えてやるほど親切ではなかった。毒を仕込んだのは防壁で使った水の中。ヘビが跳ね飛ばされた勢いで、マグナゼにかかった水飛沫……そこに皮膚から吸収される毒を仕込んでいた。
(私はヴェリガンにレシピを教わった、保護クリームを全身に塗っているもの)
そのためヌーメリアの体に飛沫がかかっても、毒が彼女を侵すことはない。今やマグナゼはひっくり返り、白目をむいて口から泡を噴きだしていた。
「解毒剤がほしければ、私の言うことを聞きなさい」
「ふ、ふがぎゅ……」
(効果が発動するまでの速さもじゅうぶんね。皮膚粘膜からの吸収による血中濃度の上昇……視神経への影響も考慮すると……)
グレン仕込みの冷静な観察眼で、ヌーメリアは毒の効果を確認してから、地上への転移陣が設置してある場所に向かう。
明確な殺意をもって、彼女が人間に毒を使ったのは、これがはじめてだ。けれど不思議なほど落ち着いていた。放っておけばマグナゼは死ぬ。
「殺してしまったほうがいいけれど。ユーリたちはあなたに聞きたいことがあるでしょうね。応援を呼ばないと……」
さすがにヌーメリアひとりでは呪術師たちを運べない。地上への転移陣を作動させ、だれかを呼んでこないといけない。けれどそのままでは水に触れた者が倒れてしまいかねない。
体に保護クリームを塗ってもらう時間はなさそうだ。そう判断した彼女は解毒剤の小瓶を収納ポケットから取りだす。
(地上と連絡がついたら、水たまりに解毒剤を放りこめばいいわ)
転移陣にふれて魔素を流そうとした瞬間、まばゆいばかりの光が彼女を包んだ。目がくらんで視界が一気に奪われる。
「きゃ……」
同時にやわらかく背後から抱きしめるように動きを封じられ、彼女の右手から解毒剤の小瓶が奪われた。
「ごめんよ。まだそいつには用があるんだ」
聞きなれたやわらかいトーンの、どこか人懐っこい声に驚いて、ヌーメリアは灰色の目を見開いた。
「オドゥ!」
左腕は背後からヌーメリアの腰に回し、右腕は彼女の右手を封じて解毒剤を取りあげた、黒縁眼鏡をかけた青年は、彼女と目が合うと申しわけなさそうに眉を下げた。
「ひさしぶり、ヌーメリア。結婚式にでれなくてごめん」
「そんなっ、そんなことより……」
なぜここにいるのかとか、どうしていなくなったのかとか、彼女自身オドゥから聞きたいことはたくさんあったはずなのに。
「ごめんよ」
たったひと言で、彼女の意識は闇に飲まれた。












