540.バハムートの深淵
転移したとたん明るさに包まれ、あわてて目をつむったわたしを、レオは抱きかかえるようにして移動した。だれかの叫び声が聞こえる。
「やだっ、やめてえぇ!」
レオの体からぶわっと魔素が噴きあがり、わたしの全身を通り抜けていく。ガラガラと何かが崩れる音がして、彼が腕の力を緩めた。
「生なきものの動きを止めた。もうここはだいじょうぶだ」
視覚野の術式を調整し、おそるおそる目を開ける。想像していたよりもずっと豪華で清潔な、人工的に造られた空間にわたしは驚く。
「すごい……」
バハムートの深淵……鍾乳洞のような空洞を想像していた場所は、わたしの想像とはまったく違っていた。
滑らかな黒曜石の床、壁には古代文様に似た記号が描かれ、床にはたぶんレオが何かしたのだろう。機械仕掛けの傀儡たちが動きを止め、バラバラと転がっている。
傀儡たちに囲まれて女性がひとり、床にへたりこんでいた。
「ひぃっ、た、助けて……」
彼女はわたしたちのほうへ、泣きながら這うようにしてやってくる。
「奈落に落とされたの。もう生きて帰れない……あたしはここで切り刻まれるんだ!」
「わたしたちが来たからには、もうだいじょうぶですよ。すぐ地上に送り返します。そのアミュレットのせいで巻きこまれただけです」
「いやだあぁ!怖いぃ!」
投げ捨てられたアミュレットを拾い、わたしは女性を地上に送るために、転移魔法陣を展開しようとしてレオに止められた。
「待て。近くに地上への転移陣もあるはずだ。それを使うほうが効率はいい。呪術師とネグスコ女史もそちらにいるだろう」
「わかった」
わたしは収納ポケットからポーションを取りだして彼女に飲ませた。ポーションは液体のようでいて、効果を付与した魔素の塊だ。飲むと同時に体内を魔素が駆け巡り、傷ついた箇所を修復していく。
王都にある研究棟で作られるものは、市場に出回ることがない貴重品だ。どうして数が作れないかというと、素材の収集にそもそも手間がかかる。
わたしたち錬金術師も、そんなに人数がいるわけじゃないから、作れる量には限りがあった。
そのかわり効果は抜群で、ひとしずくで痛みをとり、ひと口で怪我を回復し、飲み干せば瀕死の重症でも立って歩きだせる。
錬金術は運命すらねじ曲げる。
あらゆる角度から〝死〟に向かって落ちていく〝運命〝に逆らい、〝生〟へと引き戻す。
傷つきし者に〝再生〟を。
目が見えぬ者に〝光〟を。
死にゆく者に〝生存〟を。
毒に侵され朽ちゆく体に〝浄化〟を。
力尽きた戦士に、みなぎる〝力〟とあふれる〝闘志〟を。
わたしの運命すら変えてしまった錬金術は、使いようによっては恐ろしいこともできてしまう。だけどわたしは錬金術を、だれかを幸せにするために使いたい。
見たところ女性に外傷はそれほどなかったけれど、精神的なショックが大きそうだ。わたしはコクコクとおとなしくポーションを飲む女性に、浄化の魔法をかけた。
「えっ?」
女性が驚いているすきに、メローネの秘法とエルサの秘法を重ね掛けする。衣服はボロボロだけれど、あっというまに彼女の姿はしゃんとなった。そこへレオが上着を脱いで彼女に着せた。
「あ、ありがとうございます……」
「歩けるか?」
「は、はい……」
差しだされた手をしっかりと握り、女性は立ちあがる。ちょっと待って。心なしかレオを見上げる女性の目が、ポーッとなっている。
(落ち着こう。彼は面倒見がいいだけなんだから。塔の魔術師の世話だってするのに、こんなことでうろたえない!)
女性は彼にまかせて、わたしは周囲を見回す。
床の中央には大きな魔法陣が黒曜石に刻まれ、術式の線は金で描かれていた。巨大な遺跡……ううん、時間の経過を感じさせる遺跡と違い、ここは今も現役で使われている場所だ。
空洞の大部分を占めているのは工房のようで、素材が詰められたビンにさまざまな魔道具が置かれ、蒸留装置や精製装置が所狭しと並んでいる。
まるでなにかのラボみたいな雰囲気に、レオがわたしをかばうようにして、装置をにらみつけた。
「ここが傀儡毒の製造場所か」
わたしはそれを聞いて目をみはった。言われてみればデルモスの実が、片隅に山積みになっている。
「傀儡毒……じゃあデルモスはここに運びこまれるの?」
「最初はサルジア本国に運んで作っていただろうが、精製したほうがカサも減るし転送が楽だ」
グストーたちバハムートの住人も、足を踏み入れたことがないこの場所では、大型の魔道具がデルモスの実を粉砕して潰し、しぼった汁をさらに加工して、純粋な結晶を取りだしているようだ。
「できたものはサルジアに送るんだね。そのための魔法陣……あ!」
わたしは魔法陣に目をやって、小さく叫んだ。
「どうした?」
「読めるの……グレンがほどこしてくれた、言語解読の術式が働くの。壁に描かれたものも装置の術式も、すべて理解できる!」
「なんだと?」
グレンが……人魚の言葉も、サルジアの言葉もちゃんと読めるように、わたし自身に手を加えていた。ありがたいことだけど、倫理観もへったくれもない。
「そうだ、ヌーメリアはっ⁉」
わたしは床に描かれた魔法陣へと駆け寄った。術式を指で追って指定された座標を読みとる。まちがいなくサルジアへの長距離転移陣だけれど、それが作動した気配はなくてヌーメリアの姿はどこにも見えない。
「まだ作動してはいないみたい。地上への転移陣を探そう!」
そう言ってレオを見上げると、彼はゆるく首を振った。
「私もサルジアの魔法陣については学んだが……これもきみの順応性なのか」
「よくわかんないけど……」
彼は手を伸ばして、そっとわたしの頭にふれる。その顔は少し切なそうだった。
「きみはきっと……サルジアでもエクグラシアでも、どこでもやっていける」
「だからってどこにもいかないよ!」
わたしがあらためて念を押すと、ようやく彼はほほえみを浮かべた。
「そうだったな、マイレディ」
ここで笑顔とか反則でしょう!いや、いちいち動揺しているわたしがいけないのよ!でも助けた女性まで目を潤ませて彼を見つめているじゃん!
あああ、イケメンってやつは!
だからわたし、こんなことでうろたえない!
わたしはベチンと、両手で自分のほほをひっぱたいた。
仕事を辞めて執筆環境を整えつつ、コミカライズの準備をしています。
まだちょっとバタバタしてます。









