539.呪術師のスキル
レオとわたしは岸壁の崩れたところから、バハムート内部に下りていった。狭くて真っ暗な洞窟で、わたしは視覚野の術式を調整する。
(赤外線を感知……)
赤外線を使えば暗闇でもモノが見えるけれど、人物の表情は陰影がなくなり、はっきりとわからなくなる。もうレオがどんな美形でも顔はのっぺらぼうだ。
「手を貸す必要はなさそうだな」
「うん」
そう言う彼も魔術を使ったようで、歩きにくい場所でも足取りはしっかりしている。
「呪術師はバハムートの民に交じって生活することはなく、いつでも突然あらわれたらしい。ヤツらの拠点とサルジアへの転移陣がどこかにあるはずだ」
「サルジアへの転移陣が⁉」
バハムートが絶海の孤島だと思い込んでいた、わたしは驚いて聞き返した。
「われわれがモリア山やマウナカイアへ、長距離転移陣を設置できるのだ。サルジアの連中がやれてもおかしくはない。それと呪術師のスキルに〝潜伏〟というものがある。ある人間の情報を盗み、そのままそっくりなり代わる」
「なり代わるって……元の人はどうなるの?」
「…………」
わたしの問いに、彼は答えず無言になった。わたしが腕を伸ばし、彼の手をつかんでキュッと握れば、催促が通じたのか彼はため息をついて、重い口をようやく開いた。
「同じ人間はふたりもいらない。存在を消される」
「殺されちゃうの?」
「助かったとしても、情報を抜き取られたあとだ。廃人となる」
「出発前に学んだ歴史の本には、そんなの書いてなかったよ!」
わたしはサルジアという国の恐ろしさ、呪術師という存在の怖さをはじめて知った。ずっとつかんでいたわたしの手に長い指が絡み、しっかりと握り返される。
「……きみに伝えるかどうかは、私に任されていた」
赤外線を拾う瞳では、レオポルドの表情は読みとれない。けれど声だけのほうが逆に、彼の感情がはっきりと伝わってくる。わたしの手を引いて歩きながら、彼は話を続けた。
「エクグラシアは何百年と、サルジアの脅威にさらされてきた。裏に回れば情報戦だ。呪術師マグナゼは『マグナス・ギブス』という、貿易商になりすましていた」
無口な彼がこんなにしゃべるのは、たぶんここが暗闇だから。わたしを不安にさせまいと、気遣ってくれている。
「その人は実在していたの?」
「…………」
わたしの質問に答えるのを、レオは少しだけためらった。今までだったら話はここで終わり、真実は聞けないでいただろう。つないだ手に力をこめれば、彼は決心したように話しだす。
「呪術師は慎重に、なり代わる人間を選ぶ。家族がおらず、親戚や友人も少ない孤独な人間……そういった者に接近して、最初は打ち解けて兄弟のように親しくなる。だが……」
洞窟に響く声のトーンが一段低くなった。
「彼らがひとりになったとき、もうひとりはこの世にいない。そのまま知人たちとも縁を切り、違う土地で新たな生活をはじめる」
「そんな……」
「最初からわかっていなければ、防ぐことなど不可能だ。グストーひとりでは太刀打ちできまい。彼らの絶望もよくわかる」
彼はわたしにショックを与えないよう、慎重に言葉を選んでいるけれど、今まで何人が犠牲になったんだろう。
「今まで末端だけ捕まえても、どうにもならなかった。だから夏にユーティリスが起こした行動は、無謀とはいえ大きな収穫があった。首謀者であるマグナゼを捉えたからな。結局ヤツは逃がしたが、その拠点や配下の者たちを一網打尽にできた」
「ユーリまでそんなことを……」
新しい収納鞄を手にニコニコしていた彼が、そんな陰謀に巻き込まれていたなんて。けれど彼が王太子の地位に就く以上、避けられないことだから……それを逆に利用したのだろう。
「彼もエクグラシアという国の安全を預かる立場だ。六年前の事件でテルジオたちも鍛えられた。補佐官たちは精鋭ぞろいだ」
「そっか……」
「外交は血を流さないだけで白い戦いだ。笑顔で握手を交わしながら、その喉元には刃の切っ先を突きつける。争いはとことん避けるよう努めるが、いざとなれば一歩も引かないと、相手に示さなければならない」
「うん」
洞窟では音が反響するけれど、彼が声を落とすことはない。ひんやりとした冷気に満ちた空間は、ただひたすら奥へと続いている。
「ぜんぜん人の気配がしないね」
「呪術師と魔術師は似ているところがある。だから彼らの行動も少しは読める」
「どういうこと?」
「塔の師団長室は最上階にある。地上から一番離れた場所だ。だからこの場合……」
彼は自由なほうの手を閃かせて、索敵の魔法陣で構築した立体図を展開した。バハムートの本体にアリの巣穴のように存在する洞窟が、光る線となって暗闇に輝いた。
「転移陣は地上から一番遠い、最奥に設置されているだろう。洞窟の途中で呪術師と出くわすことはない」
巣穴の行き止まりは無数にあるけれど、一番深い場所にぽっかりと広い空間がある。わたしはそこを指さした。
「ここ?」
「おそらく」
こんなとき、彼の低いよく通る声は力強く響く。塔の魔術師たちを率いるだけの決断力があるからこそ、彼はローラから師団長を任されたのだろう。
「じゃあ、そこからわたしたちもサルジアにいくの?」
「いや、転移陣は破壊し、バハムートから完全にサルジアの影響を取り除く。そうすればグストーたちも安心だろう」
「わかった」
「呪術師も魔術師も『人の願いを叶える者』だ。〝潜伏〟のスキルも本来は、ひとびとの生活にうまく溶けこみ、寄り添うためのものだ。それを悪用したにすぎない」
「いい使いかたなんてあるの?」
「たとえば失った恋人や家族、それとよく似た人間があらわれたらどう思う?」
「あ……」
最初は驚き、そしてうれしくなるだろう。
「だれかの幸せを願い、心の傷が癒えるまで使うには問題ない。だが悪用すれば……」
「使いかた次第……錬金術と同じだね」
「そうだな」
わたしたちがつないだ手がじんわりと温かい。いつのまにか……緊張して汗をかくこともなくなった。
そう、呪術だって魔術だって錬金術だって、扱う者の心がけ次第で無限の可能性が広がる。だからわたしたちは負けちゃいけない。
「じゃあ、きっとヌーメリアもきっとそこにいるね。転移しよう!」
レオがぎょっとしたのが、身じろぐ気配でわかる。
「待て。転移した先になにがあるかも……」
「そのための三重防壁じゃん。急がないとヌーメリアがサルジアに連れ去られちゃうかも。わたしにしっかり捕まって!」
「…………」
わたしは勢いよく三重防壁を展開しても、彼はすぐに動こうとしない。
「レオ!」
しかたなくわたしのほうから彼に手を伸ばすと、彼は急に小柄なわたしの体を引き寄せて腕の中に抱きこんだ。わたしの耳元ですねたような低いささやき声がする。
「きみを安全なところに置いておきたい……というのは私のワガママとわかっているが、それにしたって無鉄砲すぎる」
(ひああああ⁉)
暗闇ですねるとか反則でしょ!声が甘すぎるんだよ!
レオの声と香りと体温だけで気絶できる。気が遠くなりそうになりながら、わたしはバハムートの深淵に向かって、必死に転移陣を発動させた。
呪術師の攻撃より彼の声のほうが、ずーっと心臓に悪いんだから!












