538.ユーリの通訳
「ネリス師団長、きみは……」
なにか言おうとしたレオに、わたしはあわてて食い下がる。
「だってレオはひとりで行くつもりなんでしょ?」
彼の目が驚いたように見開かれた。今回、彼は身軽に単独行動をするつもりだと、なんとなく感じていたのは当たったみたい。
けれどわたしはそれを、じっと待っているほうがつらい。
「わたしはここにいても、やることはないもの。それとも時間がかかるの?」
彼は息を吐くと首をかしげて、わたしに問いかけてくる。
「そんなに見たいのか?バハムートの深淵を」
「えっ?」
「…………」
レオは無言でわたしを見つめて、じっと返事を待っている。えーと見たいって……バハムートの深淵を?なにそれ?
「えっと、その……」
ユーリがコホン、と咳払いした。
「レオ……ネリス師団長は、きみがそばを離れると心細いから、いっしょにいたいんじゃないかな。だから行き先がバハムートの深淵じゃなくとも、『いっしょにいく』と言うと思うよ」
「……そうか」
表情は変わらないまま、ふいっと顔をそらせたレオに、わたしも真っ赤になってもじもじとしてしまう。こ、こんなことしてる場合じゃないんだけど!
ユーリは肩をすくめて、バタバタ動き回っているテルジオ相手にぼやいた。
「テルジオ、見つめ合って動かないふたりに、通訳がいるこの感じ……どうしたらいいんだ?」
「はぁ⁉わかるんなら殿下がそのまま、通訳すればいいでしょう。つまんないことで呼びとめないで下さいよ!」
話しかけられるのも迷惑といった感じで、振り向いたテルジオは投げやりに答え、また急ぎ足であっちに行ってしまう。
「僕だって照れるんだよ!」
そのうしろ姿に叫ぶユーリも、心なしか耳が赤い。うん、ごめん。さりげなく自然に振る舞いたいのに、なんだかみんなに気を使わせてしまう。この感じ、いたたまれない。
「あの、それで……バハムートの深淵ってなに?」
「きみは……」
レオはまばたきをすると、眉間にシワを寄せてこめかみを押さえた。
「知りもしないのに『いっしょにいく』と言ったのか?」
「し、知らないからいくんだもん!」
べつにレオポルドといっしょにいたい……とかじゃないから!
置いていかれるのがイヤだとか、待っているのがつらいとか……そんなこと思ってるけど、そんなに思ってないもん!
むぅっとほっぺたをふくらませて、整いすぎるほどに整った顔立ちのレオをにらみつけると、わたしを見下ろしていた彼は、おもしろそうにクッと口の端を持ち上げる。
「いや……わかった。本当にコロコロと表情がよく変わる。あなたの婚約者はさぞかし、かわいらしいと思っているだろう」
「はあぁ⁉」
もしかしてまたわたし百面相してた⁉
それがおもしろいと⁉
(いや、待って。『かわいらしいと思っているだろう』とか何言ってんの。それ自分じゃん。えっ、それってレオポルドが回りくどく、わたしに『かわいらしい』って言ってんの?どういうこと?そういうこと?)
頭の中がグルグルしだしたわたしのほっぺを、レオは長い指でチョンとつつく。
「ふおぉう⁉」
「失礼、ゴミがついていた」
クスッと笑うけどさぁ、わざとでしょ!ぜったいわざとでしょ!
動揺させんのやめてよ!
すっと笑みを消してレオはいつもの無表情に戻り、バハムートの深淵について説明してくれた。
「地上にある要塞部分は、住人に見つからずに潜伏するのは難しい。だから呪術たちを探して地下に潜るつもりだ」
「呪術師たちが地下にいる可能性が高いってこと?」
レオはこくりとうなずく。
「バハムートの本体はほとんど海の中にある。海面にでている部分よりずっと大きい。精霊の時代から生きる古竜という伝説だが……昨夜のうちに索敵の魔法陣で地下の構造を調べた」
「索敵の魔法陣で?」
船でも見せてもらったけれど、目の前に魔物の気配が光る魔素の塊になって表示された。彼が左手を閃かせると大きな塊に、細い亀裂のような筋が縦横無尽に走っている立体図があらわれる。
「モリア山の遠征でも使う術だ。バハムートの全体にアリの巣のように入り組んだ……細い洞窟が確認できた」
「レオひとりでいくつもりだったの?」
「敵も動揺しているはずだ。ネグスコ女史もおそらくそこにいる。やつらが体勢を整える前に保護したい」
「うん。わたし……いける?」
戦えないわたしは足手まといになる可能性も高い。けれどヌーメリアの無事だっていちばんに確認したい。彼は難しい顔をして髪をかきあげ、悩ましげにため息をついた。
「いけるというか……連れていけるのはきみしかいないだろう、とは思っていた」
「へ?」
彼はふいっと目をそらし、ブツブツと不満そうに続ける。
「その三重防壁なら、内部に毒ガスが溜まっていても平気だし、いざとなれば先ほどのように、一瞬で地上に転移で戻れるだろう」
「おおっ、そういえば!」
バッチリじゃないですか。なんでそんなにイヤそうなのよ。
両の拳を握りしめて、じーっとレオを見つめていると、わたしと視線を合わせた彼は、またふぃっと横をむいてため息をつく。
にらみ合っているというより、彼はふいっと横をむいたままで、ぜんぜん話が進まない。ヌーメリアだって心配なのに、なんなの⁉
拳を握りしめる手に力が入ったところで、そばにいたユーリがコホン、と咳払いした。
「ネリア……彼はあなたの気持ちもわかってはいるけど、危ないところに連れていきたくないんですよ。だから渋っているんです」
「あ……」
ふいっと彼は顔をそらしたまま、わたしとは目も合わせてくれないけれど、なんとなく耳たぶが赤い。それに気づいたとたん、わたしもカァッと顔が熱くなる。
「あのですね、僕だって照れるんですよ……ホントに。ふたりそろって恋愛初心者とかやめて下さいよ!」
もうユーリの声がとても遠くで、響いているような感じだった。









