534.デルモスの花園
魔導車を飛びだしたユーリが、矢継ぎ早に自身へ身体強化をかけていく。
「ネリアは安全な場所に。港には戻らず、ここで待機を」
「ユーリ、まさか応戦するつもり?」
ユーリはルエンを手にして、挑戦的に瞳をきらめかせた。
「レオだけより早く終わりますよ」
「ネリス師団長」
レオはさっと遮音障壁を展開した。
「レオ?」
「きみをかならず守る」
彼は黒曜石の瞳でわたしを見つめ、転移魔法陣を展開する。
「だからこの手が血にまみれても、私を嫌わないでくれ」
「レオポルド!」
魔法陣に魔素が注がれる前に、わたしはあわてて彼の腕をつかみ、早口で伝えた。
「英雄にならなくてもいい。あなたには願いを叶える魔法使いでいてほしい」
軽く目をみはり、黒髪の竜騎士はふっと笑った。魔法陣がまばゆく光り、ふたりの姿は消えた。遮音障壁もなくなり、わたしはその場に取り残される。
「…………」
無言で三重防壁を展開すれば、グストーが魔導車から降りてきた。
「あの補佐官見習いも戦えるんだな」
「グストー……」
「あんたはこっちだ。小屋があるから少し休むといい。俺だって気遣いぐらいはできる」
赤や黄のデルモスが咲き乱れる花園を、グストーは先頭に立って小道を歩きだした。
これだけの花が咲いているのに、ひらひらと蝶が舞う姿はどこにもなく、小さなテントウムシのような甲虫が、花に潜りこむようにして受粉を手伝っていた。
「塩気のきつい、やせた土地でも育つ生命力の強い花だ。きれいだろう」
「ええ」
話しながらグストーは前に進む。
「バハムートでもこの景色が見られるのは、死期が近い老人とその看護人だけだ。街ではデルモスの栽培は禁止しているんだ。花が見たけりゃ、ここにくるしかない」
「要塞のみんなは危険な植物だって、わかっているの?」
「実が高値で取引されるのは知ってる。加工はここでは行わないからな。こっちだ」
グストーがわたしを案内したのは、小屋というには大きな白い建物だった。ベッドには老人たちが数人横たわっていて、その姿にドキリとしたけれど、胸はかすかに上下していて、彼らはただ眠っているだけのようだ。
看護人らしき女性が黙礼し、急ぎ足で通りすぎていった。シーツのカゴを抱えていたから、やることがたくさんあるのだろう。
「バハムートで暮らす人間の死に方はふたつだ。俺の父親みたいに海で死ぬか、俺の母親みたいに足腰が立たなくなってから、この花園にやってくるか」
「ここは……サナトリウムなの?」
グストーはこくりとうなずいた。
「〝大地の精霊〟からの加護は、浮き島のバハムートには届かない。それでもデルモスの花だけは、〝精霊の恩寵〟と言われる」
「精霊の恩寵?」
「そうだ。バハムートは〝大地の精霊〟から見放された土地だが、唯一〝安らかな死〟だけを与えられた。俺の母親もここで眠るように死んだ」
大地に咲き乱れるネリモラの花は、精霊の加護をあらわす花と言われ、生命力そのもの……つまり命を象徴する。反対にデルモスは〝死〟をもたらすものとされているという。
勝手知ったるように彼はキッチンで湯を沸かし、棚にあったツボからティーバッグらしき包みを取りだし、ティーポットに入れてお湯を注ぐ。
「ここでは煎じて薬草茶にして飲むんだ。呪術師たちの用意した〝傀儡の毒〟も回らなかった、あんたに効くかは知らねぇが、飲めば痛みがやわらぎ心が落ち着く」
目の前にことりと置かれたカップを、わたしは手に取った。グストーがまずひと口飲み、わたしも温かい金色の薬草茶をすする。甘みも足してあって体が温まり、解毒の魔法陣が働くことはなかった。
「これが本来の使いかたなのね」
「全身をさいなむ激痛すら、忘れて眠ることができる。〝精霊の恩寵〟を失えば、このバハムートは海に沈むとも言われている」
「じゃあデルモスの畑を焼き払ったら……」
グストーは肩をすくめた。
「バハムートは沈む。ただの言い伝えだけどな。ここは俺たちにとって、現世における常世みたいなもんだ。焼き払うのはそう簡単じゃねぇ」
「そう……」
静かにゆっくりと時間が流れ、今もレオとユーリがすぐ近くで戦っているなんてウソみたいだ。ギシギシと音をさせて歩行器を使った老人が廊下を歩いていく。
窓の外には穏やかな陽が降りそそぎ、花畑の中では杖をついた老人が日光浴をしている。絵のように美しい光景なのに、物悲しい死の気配が漂っていた。
「サルジアの呪術師たちのほうが、まちがった使いかたをしているのね」
「まぁ、そうだろうな。だがそれを裁ける者がこの世界にいるか?」
恐ろしい毒はだれかを救うための薬にもなる。人がそれをどう使うかが問題なのだ。わたしはグストーを見つめた。
「あなたはサルジアの味方というわけでもないのね」
「言ったろう、ここには〝大地の精霊〟の加護がない。サルジアにどれだけ協力しても、俺たちの扱いは変わらない。不要になったら俺だって切り捨てられる」
グストーは自嘲気味に笑った。
「デルモスの花に囲まれてここで死ぬのが、バハムートでは最高の死に方なんだ。親父みたいに海で死ぬか、それとも……俺はどっちだろうな」
「バハムートの人たちは、とてもたくましいように見えるね」
「ここの暮らしはきついからな。根性がなきゃ生きられない。〝海洋都市〟か……あんたが描く未来が絵空事じゃなく、本当にこのバハムートにあるのなら、それに乗ってみるのも悪くない」
杖をつきながら厨房に入ってきた老人は少し足をひきずり、左半身が思うように動かせないらしい。
「茶を……」
モゴモゴとつぶやいて窓辺の椅子に座る。
「ほらよ」
グストーがデルモスの薬草茶をふるまえば、老人は目を輝かせてカップを受けとり、外の花を眺めながら穏やかな表情で茶をすする。
魔物がでる外海に囲まれた絶海の孤島での暮らし……想像もつかないけれど、変化に富んだ生活だろう。
巨大な浮き島であるバハムートは海流にのり、緩やかに移動しているらしい。作物が育つ土地はわずかだし、気候も変わる。
「安らかな死……それだけが約束された土地だ。大陸の人間にはなれず、海をさまよい続ける。あんたたち錬金術師なら、バハムートの宿命を変えられるのか?」
グストーが悪人か善人かは、わたしにはわからない。
「不可能を可能に……奇跡を起こし運命すらも変えてみせる。それが錬金術の力だから」
「…………」
きっぱりと自信に満ちた笑顔で言いきる。グストーが驚いたように目を見開き、わたしはカップに残っていたお茶を飲み干し、立ちあがった。
「ごちそうさま。もう少しここを見学してもいい?」
「かまわねぇが、あんた落ち着いてるな。あのふたりが心配じゃないのか?」
耳たぶにつけた紫陽石のピアスにふれ、わたしはグストーに答えた。
「あのふたりが倒れたら、わたしも生きていないから。自分が死んだ後のことを心配してもしかたないでしょ」
「覚悟はしてんだな」
あのふたりは……わたしを戦いから遠ざけるために、わざわざここに送り届けたのだ。ちっとも平気なんかじゃない。けれど今は感情をマヒさせないと、たやすく崩れ落ちてしまいそう。
(ふたりともどうか……無事でいて!)
わたしはこみあげてくる涙を、ギュッとこらえて歩きだした。
毒は薬になり、薬は毒になる。学生時代に教授が言った言葉です。
『薬が病気を治すのではない。病気を治すのはその人の体です。薬は道具に過ぎない』












