527.ヌーメリアのハンカチ
華やかでにぎやかで、けれどもそれなりに気を使う歓迎会を終えて、ハルモニア号に戻ってきたわたしたちは、ユーリの部屋に集まった。
わたしはぐったりとソファーに座りこみ、テルジオが配るお茶を受け取った。
「テルジオさん、ありがとう!」
「どういたしまして。我々は同行せず船でのんびりさせてもらいましたが、ネリアさんは疲れたのではありませんか?」
「うん……」
おいしい料理やお酒でも、接待だと思うと楽しめない。それにこれはまだ前哨戦なのだ。ローラが束ねていた白髪をハラリとほどき、頭を振って髪をほぐした。
「グストーという男はなかなかのやり手だね。統率力もあり、みなに慕われるカリスマ性もあるようだ」
「強き者に従う。それがバハムートの掟ですからね」
バハムートの掟はわかりやすくシンプルで、その強さを示せる者がいれば場はまとまる。生き残るのが第一、そのためなら反目する同士でも手を組む。
「王太子より竜騎士に反応したのはそのせいか。ガードの硬い王子より、引き抜きやすいと思われたのかもねぇ」
「…………」
ローラは肩にかかった白髪を手で払い、リルのシロップに漬けた氷砂糖を、カップにポトリと落とす。
「ここをエクグラシア侵攻の補給基地にされたらやっかいだ。最悪交渉が決裂、バハムートがエクグラシアに敵対するとしたら、どうすればいい?」
銀のスプーンでくるくると紅茶をかきまぜ、ローラはひとりごとのように問いを投げる。
それを受けてレオは、とんでもないことを口にした。
「その場合はハルモニア号を沖合に退避させ、ローラの広域魔法陣、私の雷撃で眠るバハムートを目覚めさせ、要塞を島ごと破壊して海に沈める」
……ラピュタの雷を使うヤツがここにいた!
「ちょ、ちょっと待ってよ。バハムートにだって大勢人が暮らしているんだよ!」
小さな子だって、足腰の弱っているおじいさんおばあさんだっているのに!
「あくまで最悪のパターンだ。そうならないよう努力をする」
淡々とレオは語るけれど、いざとなれば顔色ひとつ変えずに、彼はそれをやってしまうのだほう。
「……わたしはあなたにそんなことはさせたくない」
「…………」
わたしを見返す深い闇色の瞳には、何の感情も浮かんでおらず、声音で感情がわかるようになったレオポルドとは、勝手が違う気がしてまたとまどう。
「きみにとって命の価値は重いのかもしれないが、サルジアやバハムートの者は同じように考えぬかもしれん」
「そうだとしても、ジェノサイドなんて絶対にさせない」
「ジェノサイド……」
念を押すように告げると、彼はまばたきをした。こちらの世界にない言葉なら、発音は正確に伝わらないのに。彼は正しく理解したらしい。
脱いだ上着をテルジオに預けたユーリが、くしゃりと髪を崩して口を開く。
「そうです。知恵を絞りましょう。寄港地として必要な設備はそろっていますが、それにしても竜騎士か……レオ以外を派遣するとしても、そう簡単ではない」
「港を維持するために、竜騎士の力を借りたいだけならいいが……グストーは野心家だ。それ以上のことを狙っているなら、放置するとやっかいなことになる」
「それについては、私からも意見をよろしいでしょうか」
今まで静かにしていたヌーメリアが、すっと右手を挙げた。
「聞かせて、ヌーメリア」
彼女は歓迎会で汚した自分のハンカチを取りだし、広げるとシミになった部分に、成分分析の魔法陣をかける。
分子模型が立体的に構築されていくと、ローラは身を乗りだした。
「その魔法陣は魔術師団では把握してないものだね。錬金術師団独自のものかい?」
「ネリス師団長に教わりました。薬草から有効成分を抽出して、成分を同定、その錬成法を探るためのものです」
「わたしはグレンに教わった魔法陣を改良したんだけど……」
「へぇ……」
成分分析の魔法陣は、ふつうに暮らすだけなら必要がない。だけど物質の根源を突きとめて、新たな物質を錬成していくには欠かせないものだ。
錬金術は変容を司る。
けれどいくらその変化が劇的だったとしても、水から火が生まれないように、まるっきり違うものを生成することはできない。
ヌーメリアは慎重に魔法陣から情報を読み取ると、眉を寄せて瞳を曇らせた。
「さきほどネリアの三重防壁にも反応がありましたが、やはり毒が検出されました。おそらく全員の食事や飲み物に、致死量ほどではない微量の毒が混入されています」
「連中はあたしたちを殺す気だってことかい?」
「いいえ、そうではなく……微量ですから、これだけでは命を落としません」
ユーリはテルジオが淹れたお茶をぐいっとあおり、飲み干した後、カラになったカップに口の中に含んでいた魔石を吐きだした。
「それ……」
「解毒の魔石を最初から口にふくんでいたんですよ」
ナプキンで口を拭いながら、彼は冷めた視線でカップの中に転がった魔石を見つめた。
「……僕は同じものを飲んだことがある」
「ユーリ?」
「そうだな……前回はこれよりももっと強烈だった。サルジアの呪術師が調合したものだったから」
ユーリがそういってヌーメリアを見ると、彼女は緊張した表情でうなずいた。
「ええ。さらに効果を付与したあれとは違い、これは原料といっていいでしょう。多量に摂らなければ命に別状はありませんが、微量を少しずつ摂っていくと、依存性が強く理性を破壊し、判断力を失わせます」
ヌーメリアは真剣な目で一同を見回し、震える声で告げた。
「交易や捕鯨、魔羊の飼育だけがバハムートの資金源ではありません。そしてそれがおそらく、グストーが強気にでる理由でしょう」
ユーリが毒を飲んだ話は、リーエンとの過去話『きみを渡さなければよかった』に書いています。












