514.レイメリアの頼み
『魔術師の杖』、本編よりもっと甘めの『短編集 ネリアとレオポルドのじれじれな日常』もあります。
こちらも一部『短編集①錬金術師グレンの育てし者』に収載されています。
よろしければシリーズよりご覧ください。
今は『お泊まりおでかけ with 副団長』を投稿中です。
塔の師団長室にレイメリアが持ちこんだシロップ入りのビンを見て、ローラは眉をひそめた。
『何だい、これは』
にっこりとほほえむだけで、花が咲きこぼれるよう……と評される炎の魔女は、にこやかにビンのふたを開ける。
『リルの花のエキスで氷砂糖を漬けたものよ。あなたはその貴重な文献とやらに夢中で、淹れた紅茶がすっかり渋くなるまで放っておくから、ここの紅茶はいつも渋いんだもの』
あくまでもレイメリアの舌を満足させるための差しいれだった。
『なら飲まなきゃいい』
公爵令嬢らしいぜいたくさの中で育ったレイメリアは、自分はまったく料理をしないくせに、味に関しては口うるさい。
『あら、ダメよ。それだけ飲まず食わずってことでしょ』
レイメリアはポットから紅茶を注ぎ、銀のスプーンでひとさじ、シロップと氷砂糖をローラのカップに落としこむと、歌うようにささやいて優しくかき混ぜる。
『ベルナ、ベルナ、おいしくなーれ。はい、どうぞ』
『あんたねぇ……あたしは子どもじゃないんだよ』
『もう!グレンと同じ反応ね!』
『……あの男といっしょにするのはよしとくれ』
ローラは顔をしかめてカップに口をつけた。たしかにふわりと花園にいるような香りが立ちのぼり、氷砂糖の控えめな甘さがノドにするりと流れこんでくる。
ミルクを足せばさらに味わいもやわらかく、リラックス効果があるようだ。朝からずっと飲まず食わずだったことに、ローラはようやく気がついた。
『これはいいね』
『でしょ?それで我らが師団長様は、何をそんなに夢中でやってるのかしら?』
レイメリアは机に置かれた紙をぴらりと取りあげ、描かれた魔法陣や術式の展開図を細かく目で追っていき……口をへの字に曲げて変な顔をした。
『数人がかりで展開する広域魔法陣を、たったひとりでやってのけるつもり?』
『やれたらさ、効率的かと思ったんだ。今は何人かの魔術師が協力して行うけれど、あいつらプライドが高いから、連携をうまくとるのさえ難しくて』
『ふうん……大規模魔術なのに、術式はとても細かいのね』
天候すらもあやつる広域魔法陣は、本来なら何人かの魔術師が協力して展開する。
プライドが高い魔術師はもともと、共同作業には向かない。けれどヴィーガを収束させるために、竜巻を発生させては意味がない。
それぞれの息をピッタリ合わせるため、何度も練習を重ねる必要があり、この訓練が地味にきつい。
『すごいわね。ほぼ完成しかかっているじゃない』
紙を返してよこしたレイメリアに、ローラはグチをこぼした。
『でもいくら研究しても、あたしの代で終わりだろうね。これを使えるほどの強力な魔力の持ち主で、陣の隅々まで魔素を行き渡らせられる、繊細な魔力操作を覚えられるヤツなんていないよ』
『そんなことないわよ。魔力があればいいんでしょ。それに繊細な魔力操作ね』
『あんたがやるのかい?』
レイメリアはうれしそうに、パチリと両手を合わせ、花がほころぶように笑った。
『私じゃなくて……そうね、レオならきっと覚えるわ』
『五歳のガキに教えろって?』
眉をあげたローラにはかまわず、炎の魔女はにこにこして続ける。
『それがいいわ!レオが大きくなったら、グレンが杖を作って、あなたが広域魔法陣を教えるのよ!』
『グレンが杖を作って、あたしが……』
『そう、レオにはあなたが広域魔法陣を教えて』
レイメリアの瞳がいたずらっぽく輝くときは、それはすでに提案ではなく、決定事項だ。ローラはあきれて言い返した。
『なんであんたの息子を、あたしが面倒みなきゃならないのさ。あんたが教えればいいだろう!』
「レイメリアは結局何もかも自分の思い通りにしちまった……」
ローラ・ラーラはため息をついて立ちあがり、備えつけのティーポットから湯気の立つ紅茶をカップに注いだ。リルの花のエキスにつけた氷砂糖をひとさじすくいカップに落とすと、ゆらゆらと筋をだしながら溶けていく塊を見つめる。
「母はマリス女史と同じく、団長補佐だったと聞いています」
「ああ」
青年の表情からは、驚いているのか嘆いているのか、感情らしい感情は読み取れない。けれども彼は静かにつぶやいた。
「あなたが、母の杖を……」
「あの年、モリア山では魔獣が大量発生してね。ミスリルの採掘どころじゃなくなった」
ローラは転移陣を張って、必死に遠征隊を逃がしたけれど、それが限界だった。魔力が尽きたところで、激しい戦闘で傷ついたことが原因で、落盤事故が起きた。
「死ぬ……と思ったよ」
落盤が起きる直前、ミスリルたちがうるさいぐらいに騒めいた。地下で起こった大音響に発狂しそうになった瞬間、炎の魔女が目の前にあらわれ、赤い髪が炎のように広がる。
『レイメリア⁉』
『言ったでしょう。私は師団長としてのあなたを支えるって』
レイメリアだって力尽きて崩れ落ちそうだったのに、何のためらいもなくそう言いきって、彼女はローラをモリア山から転移させた。
轟音とともに崩れる山肌が目に入り、ローラはあわてて呪文を唱えた。
『な……こんな!待て……そうだ、コーラ!』
魔力が尽きかけた体では、転移陣は描けなくとも、物寄せの呪文なら使えた。レイメリアが片時も手放さなかった、あの杖のことならよく覚えている。
ペリドットに刻まれた術式を何度も、炎の魔女は押しつけるようにして見せてくれたから。
(レイメリアならぜったい杖を手放さない。だから……!)
祈るような気持ちで伸ばした腕の先に、小ぶりな金属製の魔術師の杖があらわれ、ローラはホッと息を吐く。けれど杖を手にしたレイメリアの姿はなく、空中から小さな塊が落ち、カツーン……と音を立てて岩肌を転がった。
『え……』
わずかに感じられる魔力の波動は、ローラもよく知る魔女のもので……。
『レイ……メリア……?』
杖を捕まえた両手で転がる魔石をとらえ、そのまま地面に伏せても、ガクガクと震えが止まらない。
『なんでっ、あんたどうしてっ!』
待っている家族がいるのは、レイメリアのほうだったのに。ひとりで師団長室にこもって、術式をこねくり回してばかりいる自分が、どうして生き残ることになるのだ……ローラにはとうてい理解できなかった。
ローラは金の瞳を隠すように額を押さえた。
「レイメリアとあたしの運命を、取り替えられないものかと思ったよ。そうしたらあんたは何の問題もなく、両親の元で育てられただろう」
「もしそうだったら、私は広域魔法陣をあなたから教わる機会を失っていました」
『レオにはあなたが広域魔法陣を教えて』
レイメリアの言葉を思いだして、ローラは目をつむる。
「あんたも母親と同じことを言うね」
「母と?」
考えこむように首をかしげ、一瞬だけ目を伏せた青年は、すぐに顔をあげた。
「すみませんが、この話はまた後日。機関室にいる彼女を迎えにいきます。今の私には杖よりも彼女が大切ですから」
「ああ、行ってやんな」
師匠がうなずくより早く、黒髪の竜騎士はくるりときびすを返して、足早に艦長室をでていった。それを見送ってローラは、手にしたティーカップを見つめる。
「レイメリア。あの子が『杖よりも大切』と言い切る、あんたにそっくりなあの娘は何者なんだろうね」
ひとりだけのつぶやきは、リルの香りがする紅茶だけが聞いていた。
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