511.海上での戦闘
息をとめて見守っていると、隣に立ったユーリがわたしを安心させようとした。
「安心してください、ハルモニア号は最新鋭の魔導船です。外洋を航海するための装備だってちゃんと積んでいます。彼らが戦うのは船や魔石の消耗を防ぐためです。まだ先は長いですから」
「剣で……どうやって戦うの?」
ユーリはレオポルドに視線を向けた。
「おそらく彼が使うのは風魔法だけで、炎と氷は使いません。竜騎士ですから。そのためにローラも補助を買ってでたのでしょう」
ローラを中心に索敵の魔法陣が広がる。彼らの周囲に海中のようすが展開され、艦橋にある計器にもそれが反映される。
彼女の白い髪は遠目にも目立つけれど、紺色の騎士服に身を包んだ黒髪の竜騎士は、そのまま紺碧の海に溶けてしまいそうな気がした。
「自然界に存在する魔素を取りこんで、生きていくために利用するのはヒトも動物も変わりません。強すぎる個体が魔獣と呼ばれるだけで……そういう意味では、魔獣も魔力持ちも似たようなものかもしれませんね」
艦橋からも紺の騎士服を着たレオポルドが、白刃を抜き放ったところはよく見えた。長い黒髪がざっと風に流れる。
「なんで身分を偽ってまでサルジアに……」
さっき彼にちゃんと聞けなかった疑問が、つい口をついてでた。頼もしいと思うと同時に、見慣れぬ姿にまだ動揺しているのかもしれない。それとその距離感にも。
少しだけ……恋人っぽいこともした相手が、もうこの場ではいきなり遠く、初対面の人物となった。甲板にいる彼のかわりに、ユーリが教えてくれる。
「父上から聞かされたのですが、ネリアがシャングリラを発ってすぐ、使節団に同行する許可を得たそうですよ。ライアスも口添えしたとか……だから彼の決意は固いし、きちんと準備したと思います」
「……ユーリみたいに?」
ユーリもタクラでの扮装は解いて、鮮やかな赤い髪と瞳が何よりも、〝王族の赤〟らしい色合いで王太子の服がよく似合っている。
「そうです。僕は長年かけて準備しましたけどね。衝動的かもしれないけど、彼にあんな決断をさせたのは、ネリア……あなたですよ」
「ふたりとも勝手だよ。わたしの気も知らないで」
ぶすりとそう言うと、ユーリは困ったようにほほえんだ。
「そうですね。でもネリアは僕に、好きにさせてくれたでしょう?」
「師団長だからね」
「……婚約者だとダメなんですか?」
「そうじゃなくて。帰る場所がなくなりそうで……」
わたしはキュッと唇をかんだ。離れるのは寂しくても、がまんできると思ったのは、それが安心だったからだ。
「帰る場所?」
「レオポルドがソラといっしょに、居住区にいてくれたら……わたしいつでも帰れるって思ってたの。思いこんでた」
けれど彼はいつだって、自ら危険に飛びこんでいく人で、見送るのはたぶんわたしのほうだろう。その事実を突きつけられた気分になる。
グレンがくれた場所。三階建ての研究棟と居住区。そこにピッタリとパズルのピースのようにはまる彼。もしも彼を失ったらそれは、わたしにとって帰る場所がなくなるのと同じなのだ。
――あなたにそこにいてほしい。
それはやっぱりわたしの、わがままなのだろう。
「彼には難しいでしょうね。僕も王城育ちだからわかるんですが、スタッフに囲まれた生活って……人は多くてもどこか空虚なんですよ」
「空虚?」
「今いる場所が自分のモノじゃないってことです。彼にとって魔術師団長じゃない自分は、空っぽだったと思います。それを埋めたのがネリアなんです」
「え……だって彼は公爵家の人間で、きれいな許婚だっていたじゃない」
「それが彼の穴を埋めるとでも?」
「わたしは……でも、わたしに埋められるのかは、わかんないよ。わかるのは彼に必要なのは……ちゃんとした〝魔術師の杖〟だってこと」
――それがきっと、彼と世界をつなぐ鍵になる。
宙ぶらりんの公子様。たったひとりで本を読み、魔術の訓練をして育ち……ようやく学園でオドゥやライアスと出会った。その瞬間から彼の人生には色がついていく。
その鮮やかな色彩は、わたしの目を奪うにはじゅうぶんなもので。ただいつまでも見ていたいと思った。
「僕ね、けっこう人を観察するのが好きなんですよ。王城にいてもだれが何を考え、どんなふうに動くのかを見ているような子でした」
ユーリはテルジオに合図して、カップに入れた温かい飲みものを持ってこさせる。
「さぁ、持って。ネリアの爪、白くなってますよ。冷え切っているんじゃないですか?」
「あ……」
出会ったときは同じくらいだったのに、すっかり目線がわたしよりも上にきた青年は、両手で包むようにしてわたしにカップを持たせると、優しくほほえんだ。
「僕らといっしょにいつだって、ネリアも冒険を楽しんだじゃないですか。彼も加えてあげましょうよ。留守番はね、だれだってイヤですよ」
「わたし……でも……」
――彼を失うのが怖い。
それは姿が見えないことよりも、ふれ合うこともできない距離で離れていることよりも。それは好きとかそんな、単純な感情でも片づけられなくて。
変わり果てた姿になる恐怖は、自分のときに体験した。彼を彼と判別できないような、そんな姿になるのは見たくない。彼以外のだれのことも、そこまで怯えたりしないのに。それは本能的な恐怖だった。
ビビーッ!
けれど無情にも計器から警戒音が鳴り響き、甲板では海の魔物たちとの戦闘が始まったのだった。
シーデビルと呼ばれる、巨大なウミヘビのような怪物が、転送魔法陣により海中からひきずりだされる。
「海中に飛びこんで戦ったら勝ち目はないですが、ひきずりだせば勝機はある。人間だって知恵をつけたんですよ」
ローラが魔法陣を展開し、レオポルドが甲板を走る。のたうち回る体は大木のようで、彼が剣をふるうたびに、硬い鱗に覆われたシーデビルの体に亀裂が走った。
「次!レプトコッカスの群れが来ます!」
「防御壁展開!シーデビルは?」
「消失しました……早い!」
艦橋にどよめきが走り、レオポルドは次の敵に向かって駆けだしていく。ローラが素早く治癒魔法と身体強化で彼を援護すると、防御壁を強化するための術式を紡ぎだす。
「万魔殿って知ってます?ふたつの海流が交差するタクラ沖は、優れた漁場であると同時に、それを狙う魔物たちがあふれた場所なんですよ」
抱えたカップは飲むためのものじゃない。ただ感覚のなくなる指先を温めるために渡されたのだと知った。









