510.ローラと一番弟子
レオが双剣を佩いて甲板へ向かうと、杖を持つ白い人影が立ちふさがり、彼は刀の柄をグッとにぎりしめる。いつも束ねている白髪を下ろし、滅びの魔女ローラは金色の瞳を、夜行性の猛獣みたいに輝かせていた。
「ちょっとお待ち。ヌーメリアがほしい素材のリストだ」
ローラが差しだしたリストを、パラパラとめくって目を通している男に、彼女はおもしろくなさそうに聞いた。
「あんたの婚約者がほしいのは定期航路だって?」
「護衛対象です」
黒髪の竜騎士が訂正しても、ローラはふんと鼻を鳴らす。彼女は自分の弟子を魔術師として鍛えた。竜騎士団の訓練への参加を認めたのは、風の属性を伸ばして強靭な肉体を手に入れさせるためだ。
「そんなにごっこがしたけりゃ、最初から竜騎士になりゃよかったのに。けどまぁ……今は都合がいい。魔術師のクセがでないよう気をつけな」
「はい」
男は素直にうなずいて、黒曜石の瞳で静かにローラを見つめ返す。彼女はイライラしたように、自分の杖でカツカツと床をつく。
「あたしは最初からあの男が気にいらなかった」
「あの男?」
「グレン・ディアレス。出自のはっきりしない男を師団長に迎えるなんて、狂気の沙汰だと思った」
「…………」
「王家はあの男に破格の待遇を与えたしね。おもしろくなかったさ。レイメリアまでヤツに夢中で、あたしに師団長の仕事を押しつけやがった。実力なら文句なしにあの子のほうが……」
ローラが師団長を務めたときの塔は、それはもう華やかだった。白髪を持つ滅びの魔女を団長補佐として支えるのは、炎のような赤い髪と瞳のレイメリアだった。けれどその理由は……。
『ローラ、あなたが師団長をやってちょうだい。だって私……グレンと過ごすのに忙しいんだもの』
レイメリアはそうぬけぬけと言い放って、ころころと楽しそうに笑った。
「まるで世界はすべて、自分のためにあるとでも思ってるみたいだったよ」
「生き残ったのはあなたです。彼女は死んだ」
淡々と返事をする男の顔をにらみつけ、ローラは杖でどんと床に打ちつけて足元に魔法陣を展開した。船を中心に索敵の魔法陣が広がっていく。
「補助を」
「私は竜騎士です」
ちっと舌打ちをして、滅びの魔女は自分で艦橋にエンツを飛ばした。
「索敵範囲は船の進行方向に向かって広がっている。海底の地形とリンクさせとくれ」
「かし……りま……」
竜王の領域をでたばかりなのに、エンツの働きが悪い。
今ごろは艦橋でネリアとユーティリスも、表示された投影図に見入っているだろう。無数の小さな魚たちや大きな魚群が投影されると、水族館の巨大水槽に閉じこめられたみたいな光景が広がるはずだ。
「魔素嵐がきますね」
空にうかぶ雲の動きを眺めて、フッと楽しそうな顔をした男に、ローラが右の眉を持ちあげる。
「楽しそうだね」
「彼女は目を輝かせているだろうと思っただけです」
「おやおや。本当に長生きはするもんだね」
朗らかでよく笑い、華やかだったレイメリアの息子は、冴え冴えとした月の光を思わせるようなその美貌で、母親と同じように注目を集めた。けれど魔術以外には関心がなく、そっけなくて無口だ。
どんなに見惚れるほど美しくとも、愛想のひとつもなければ、精緻な術式で描かれた芸術的な魔法陣と同じだ。いくらでも眺めていられるが、ただそれだけだ。
塔で働く男の魔術師は、みな物腰がやわらかくて愛想がいい。だから魔女たちはすぐにあきらめて、ほかの男を見つけていった。
(それすら気にしていないようだったのに……)
師団長となった男の仕事ぶりからも、彼が婚約した女性に尽くす姿など想像もできなかった。
「年寄りくさいですよ、ローラ」
からかわれてボソッと返す弟子に、ローラも気軽に毒づく。ちっとも素直じゃなくて生意気な、この弟子を彼女は気に入っている。
「あんたみたいな男が、たったひとりの女に狂うなんてね」
「そんなことはありませんが……」
闇に溶けこむような黒に髪の色を変えた男は、月の光を浴びてやはり薄くほほえんだ。
「狂ってみたい、と思ったことは確かです」
「ほお?」
「けれどラ……竜騎士団長から止められました。『生きて彼女と幸せになることを考えろ』と」
滅びの魔女を前にしても動じることなく、紺の騎士服を着た黒髪の竜騎士は言い放った。断ることも許さず、すべては自分の意のままに動くと思っている……そんな母親そっくりの態度で。
「だからローラ、あなたにも協力してもらいます」
ローラが唯一弟子と認めた男は、腰に佩いた双剣を抜き放った。
「終わったら極上の甘露を、淹れてさしあげましょう。もちろん彼女に飲ませるついでに」
「最後のひと言がよけいだよ!」
出会った最初から、生意気だった弟子はあいかわらずで、ローラはひさしぶりに怒鳴りつけた。












