507.ハルモニア号艦橋
船に乗ったとたん、ぶちかますネリア。
はじめてハルモニア号の艦橋に入ったわたしは、思わずキョロキョロしてしまう。目盛りのついたメーターがずらりと並び、デーダスの地下にあったグレンの工房みたいな雰囲気だ。
「うわぁ、マウナカイアにあった灯台でも見かけたけど……すごいね!」
目の前に表示される立体的な海図では、巨大なハルモニア号も大きな池に浮かんだ小さな木の葉みたい。木の葉のまわりに小さな船が数隻、メダカみたいに並走している。錬金術師のローブを着たユーリが、わたしを見つけて手を挙げた。
「最新式のハルモニア号なら、ネリアも興味を持つと思いました」
そういうユーリも赤い瞳がキラキラしている。男の子が乗り物好きなのは万国共通だけど、船もいいよね!
「航海士だけでなく、船舶専門の魔道具師も同乗しています。グリドルを採用してくれた造船工房で、厨房にはちゃんと備えつけられています」
「あとで使用感も確認したいなぁ」
「責任者に連絡しておきます」
「お願い!」
ニコッとすると、艦橋にいた乗組員たちが驚いたように振り返る。
「わたし……なにか変?」
不安になってユーリにたずねると、彼はいたずらっぽい顔をしてくすりと笑う。
「ああ、そうじゃなくて。みんなちゃんとネリアを見るのが、はじめてだから驚いているんです」
「そんな珍獣扱いしなくても」
笑いをこらえてユーリは、おかしそうに説明してくれる。
「それになんというか……この船でいちばん偉いのは、師団長であるネリアですからね。ぜんぜんそれっぽくないのに、きちんと采配は振るうんだから」
「や……ぽくないけど、やっぱ師団長だもん」
だれに何をさせようか……とか、あれこれ段取りを考えるのはついクセになっている。モゴモゴと返し、わたしは船の周辺に表示される、海底の地形に意識を集中した。艦橋で海図を眺めるだけでも、ぜんぜん退屈しない。
「うわー、海の中がくっきりわかるんだね」
「大型の魔獣がいる外洋では、つねに索敵の魔法陣みたいな装置が働いています。陸で大型といえばレビガルぐらいだけど、海の魔物はバハムートみたいに島サイズのがいますから」
「島サイズ⁉」
大きさの想像がつかないわたしに、ユーリは苦笑して〝海の魔獣図鑑〟を渡してくれる。
「本体は動かず海流に乗って漂うだけですが……木が生えてそのうち人が住みついたりして。『一夜にして沈んだ島』なんて話は、調べると正体がバハムートなんてことも」
「え……でも住んでいる人は気づかないの?」
「バハムートのまわりは、気候も温暖で暮らしやすく、豊かな漁場であることが多くて。数百年動かないこともありますし、別荘や砦に灯台を造って活用してます」
「へえぇ……人間のほうがたくましいね」
「竜王のまわりにひとびとが集うようなものだ。バハムートは古竜の一種とされ、悠久の時を生きる」
黒髪を頭の後ろで一本に束ねたレオが、いつのまにかやってきていた。彼は〝海の魔獣図鑑〟をちらりと眺めて淡々と口にする。
「やっかいなのは海中のバハムートが浮上する場合だ。とつぜん島が生まれて津波が起き、船は転覆して沈没する」
「そうなんだ……豪華客船での優雅な船旅みたいなのを想像してたけど、艦隊で移動するのにも理由があるんだね」
「ごーかきゃ?」
耳慣れない単語だったのか、聞き返してきたユーリに説明をする。
「あ、えーとね。定期航路で人や貨物を運ぶ大型の船だよ」
飛行機もなくドラゴンに輸送を頼むこの世界、もしかしたらひとびとがお金を払って、船旅を楽しむ習慣はないのかも。あってもかなりぜいたくとか?
「定期船ですか、あれば便利ですけど。たしかマウナカイアでは、ヘリックスを使う研究をしていますよね」
「うん。だけど立派な港の設備があるタクラでは、輸送量やスピードも重要だし。錬金術師団も船がほしいね!」
ぽろりとこぼれでたひと言に、艦橋で作業していた全員が、勢いよくザッと振りかえった。レオやユーリまで驚いたように目を見開いて、そのままサワサワとささやきが広がる。
「船だと……」
「ほしがるもののケタが違う。さすがは錬金術師団長……」
「魔術師団長にも稀少な紫陽石に、極小魔法陣を刻ませたとか……」
「ん?」
わたし何か変なこと言ったろうか。目を丸くして固まっていたユーリが、パチパチとまばたきをすると聞いてきた。
「ええとネリアが言う船って……川に浮かべて舟遊びするような小さいものではなくて、外洋を航行できる大きい船舶という意味で合ってますか?」
「うん、そうだね。あ、でも先の話だよ」
そばでクックックとおかしそうなレオの笑い声がする。
「わが姫のご所望は船か……魔術師団長もこれは骨が折れそうだ」
「レオポルドにねだったりしませんよーだ」
ほっぺをふくらませてぷいっとそっぽを向けば、一瞬だけ遠い目をしたユーリが、補佐官のテルジオに合図を送る。
「先の話だろうが、ネリアにとっては決定事項なんですね……テルジオ、次年度の予算案に『錬金術師団が保有する船舶』について計上。目的はサルジアとエクグラシア間における定期航路開設だ」
「はぁ⁉」
あわてたのはテルジオだった。涙目になりながら、わたしに食ってかかる。
「ネリアさんっ、そういうのはですねぇ……もっと早く教えてくれませんか⁉」
「ごめん、もうあるんだと思ってた。難しかった?」
こてりと首を傾げれば、テルジオも忙しく記録石を起動しながら、あわあわと答える。
「いや、あの……難しいどころではなく、現状では不可能ではないかと……」
「でも今までだって、貿易はしてたんでしょ?」
うろたえるテルジオのかわりに、ユーリが答えた。
「貿易ってさまざまな利権が絡むんです。船もいりますし、資金力のある貴族や富豪でないと手を出せません。利用できる港も必要です。サルジアとの定期航路、あれば便利ですけど……」
「わたしたち錬金術師だもん、それを築きに行くんじゃないの?」
するとユーリがビシリと固まる。
あれ?きみたち何をしに行くの?
ひとびとは美しいもの、珍しいものに目を輝かせるし、できることならそれを手元に置いて眺めたい。それが手に入りにくい異国の品であれば、なおさら価値がでる。
「サルジアの魔道具は、加工のしかたも複雑で芸術品みたいだし、グレンの護符やオドゥの眼鏡のようなものが他にもあるのなら、それもぜひ見てみたいと思うの」
じーっと答えを待ってユーリの顔を眺めていたら、ハッと我に返った彼はおずおずと聞いてくる。
「もしかして……ネリアのサルジア行きの目的って、それだったんですか?」
「最初に言ったじゃん、レオポルドに魔術師の杖を贈りたいから、作りかたのヒントになるような情報がほしいって。定期航路開設はそのついでだよ」
杖作りはわたし個人の望みだけれど、それだけで師団長として派遣されるわけにもいかない。ついでに何か役に立ちそうなものも持って帰りたい。船の建造や航海にもお金がかかるなら、より価値があるものがほしい。
「ついで……」
「そう、ついで」
ぼうぜんとしているユーリに、こくりと……それでも力強くうなずくと、テルジオの泣きが入った。
「ネリアさんっ、ついでで仕事増やさないでくださいよ!」
「だからごめんって!」
「…………」
黙って聞いていたレオの、黒曜石みたいな瞳が静かに光った。
「船がほしいの!」→「城がほしいの!」に近いニュアンスだと思ってください。












