505.レオポルドの注文
タクラの工房でのニーナとミーナのやり取りです。
黄緑の髪をまとめて、左耳の脇にひと筋だけ垂らしたニーナは、新しくタクラに用意された工房をあちこち見てまわり、満足そうにうなずいた。
「ふーん、いいじゃない。さすがミーナね。タクラにデザイン工房を置くのは理想的だわ、貿易でめずらしい織物も入って来るし、マール川沿いには染織工房も多い」
「元の持ち主は姿をくらましちゃったけど、『好きに使っていい』って言われているわ」
ニーナが使うデスクまわりを整えながら、ミーナが答えた。
布やリボンの見本帳やボタンのケースに、グリドル作りの工房に特注した〝ミストレイ〟は、長さもサイズもさまざまなものがそろっている。
とつぜんデザインを思いついてもいいように、新しいデザイン帳やペン、インクも買いこんだ。
港を一望できる窓辺に立ち、ニーナは潮の香りがする海風を、胸いっぱいに吸いこむ。
「ワクワクするわね、新しい工房って。でも七番街の工房はどうするの?」
ミーナはにんまりと笑う。
「私がもらうわ。収納鞄の生産ラインは整えたから、本格的に装飾品作りもスタートさせる。ネリィの発案で王太后陛下が、アクセサリーのデザインコンペを主催するでしょ。クリスタルビーズで試作品を作って、デザインを提案するつもり」
それを聞いたニーナは目を丸くした。
「ミーナ、それって……」
「うまくいけばエクグラシアどころか、世界中に顧客をつかむことができるわ。五番街の店はアイリに任せる。ニーナはディンとやることがあるんでしょ」
「ええ。クロウズ領に麦わら帽子の加工場を作る予定よ。夏に向けて〝人魚のドレス〟にインスピレーションを得た、開放的なサマードレスを流行らせたいの。それに合う小物がいるもの」
ニーナが自分の収納鞄を開けると、中にはいくつものデザイン帳が入っている。
「ニーナはディンのことが大好きでも、服を作ってないとおかしくなっちゃうでしょ。クロウズ領主夫人の肩書がきゅうくつになったら、この工房にこもればいいのよ」
「ミーナったら」
それだけで目元を潤ませる、ニーナの背後から声がかかる。
「それで俺がしびれを切らして、ニーナを迎えにくるってわけだな」
「あら、ディンだからニーナを任せたのよ。夢中になりすぎないよう、しっかり見張ってちょうだい」
蜂蜜色の髪をディンはポリポリとかく。
「見張るっていってもなぁ……俺はせいぜいニーナが倒れないように、軽食や飲みものを用意するぐらいしか」
「それだけできればたいしたものよ。それでレオポルド・アルバーンの注文はどうだったの?」
船上パーティーが終わったあと、ニーナは浮かない顔で帰ってきたのだ。
「あ、うん。注文はとれたんだけどね……一着だけ」
ぽそぽそ言って、ニーナはデザイン帳をめくる。
「え、もっと何着も注文とってくるんだと思ってたわ」
「私もネリィのドレスだったら、何をおいても優先して作るし、ギリギリになっても、出発に間に合わせるつもりだったの」
「そうよ。ニーナらしくないじゃない。ネリィだって婚約者なんだから、ちゃんとねだればいいのに」
紫陽石とペリドットのピアスを用意するぐらいだ、レオポルド・アルバーンがドレスを贈る甲斐性がないとも思えない。
「そうなんだけどね……私も頭抱えちゃって」
「何が?」
ミーナがけげんそうに眉をひそめても、ニーナは大きくため息をつくだけだ。
「悩ましいのよねぇ」
「だから何が。ちょっとディン、あなたもそこにいたんでしょ。何があったの?」
ニーナではらちがあかないのでディンに確認すると、彼も腕組みをして難しい顔で首をかしげる。
「や、俺もあれはちょっと……難しい注文だと思ったぞ」
「彼はどんな注文をしたの?」
ニーナは困り果てた顔で工房を見回す。
「ネリィがいろいろやらかしてくれたおかげで、デザインの自由度が上がったのよ」
「そうね、染料の錬金からクリスタルビーズ、それに〝ミストレイ〟……マウナカイアに〝人魚のドレス〟の勉強までしに行ったわ」
「そうなの。〝人魚のドレス〟って、水の中で広がる形がキレイなのよね……あれをどうにか再現できないかしら」
「ネリィに相談すれば、またアイディアが出てくるんじゃない?」
また世間をあっといわせ、新たな流行を作りだすかもしれない。しばらくは忙しいので、もう少しのんびりしたいというのも本音だけれど。
いったい何に頭を抱えるほど困っているのか。ミーナの視線に耐えきれなくなったのか、ニーナは本当に頭を抱えて工房のデスクに突っ伏した。
「……デザインがでてこないの」
「は?」
思わず聞き返したミーナに、顔をあげたニーナは恨めしそうな表情でくり返す。
「デザインがでてこないのよ。思いつかないの」
「何で。スランプ?」
いつだってニーナは服のことになると、止まらないのだ。それがデザインも思いつかないとは、かなりの重症だ。心配したミーナに、ニーナは首を横に振る。
「ちがうの。他の仕事はちゃんとできるのよ。夏に流行らせたいサマードレスのデザインだって、いくつも仕上げたんだから」
「じゃあ、なんで。彼の注文ってそんなに難しいの?」
「いいえ、よくある注文だったわ」
力なく返事をしたかと思うと、ニーナは勢いよくがばりと起きあがって、ミーナをふり向いた。
「彼の注文はただひと言、『彼女にふさわしい花嫁衣裳を』……だったの!」
それを聞いたミーナは息をのみ、叫ばないように両手で口を覆った。
「ニーナっ、それ……」
ずっと「レオポルド・アルバーンにドレスを注文させてみせる」と言っていたのだ。それがいきなり花嫁衣裳だなんて……デザイナーにとっては、最高に腕の見せ所だろう。
「やったじゃない!」
「そうよ。私、もう大興奮しちゃって!」
グッと拳をにぎりしめて、若草色の瞳を輝かせたニーナは、次の瞬間にはがっくりと肩を落とした。
「うれしすぎたのね……他のドレスならいくらでも思いつくのに、花嫁衣裳となると緊張で手が震えるの。このまま何も思いつかなかったらどうしよう」
ディンが落ちこむニーナの頭を、ポンポンとなでた。
「ネリィさんたちが帰ってくるまでに、デザインを考えることにしたんだろ。まだ日にちはあるから焦るなよ」
「そうなんだけど……」
「とりあえずはニーナ、自分の花嫁衣裳を作れよ。新婚旅行がてらマウナカイアで簡単な式を挙げちまったけど、領でもちゃんとした披露宴をやらないと」
ディンの言葉に、ニーナは飛びあがった。
「やだ、すっかり忘れてたわ」
「だろうな。だいじょうぶ、俺が覚えてる」
苦笑したディンにウィンクして、ミーナはそっと工房から出ていった。ニーナのことはもう、彼に任せておけばだいじょうぶだろう。
ニーナのための靴とヴェールは休暇中に作り、もうすでに用意してあった。
マシュマロを設置しました。
ページ下部の『作者にマシュマロを送る』から、ご感想、質問等お気軽にどうぞ。









