504.ネリア、グレンとお風呂の話をする
デーダスに来て少し時間がたち、錬金術も学び始めたネリアとグレン。
「わぷっ」
デーダス荒野での生活にもだいぶ慣れたわたしは、ギシギシと鳴る扉を開けると庭から家に飛びこんだ。
浄化の魔法を自分にかけて砂ぼこりを払ったけれど、髪がボワッと広がるのはどうしようもない。
綿あめの塊みたいになった赤茶のクセっ毛を気にしていると、珍しく地下にある工房ではなく、書斎にいたグレンが顔をのぞかせた。
「何をしておったんじゃ?」
ボサボサの銀髪に鋭さも感じるミストグレーの瞳……わたしがこの二年間で顔を合わせた人間は彼ひとり。けれど不思議なことに、あまり退屈はしなかった。
「んとね、こないだ教えてもらった成分分析の魔法陣、外で使って試してた。おもしろかったよ」
成分分析の魔法陣ではざっくりと、その物質がどんな元素で構成されているかがわかる。錬金術では物質の生成が重要だから、こういった魔法陣が開発されているのはありがたい。
(生きていくためには、何が必要になるかわからないもんね……)
錬金釜を使うために覚えなければいけないのは、圧力や温度などを管理する魔法陣、まだまだたくさんあった。
「温度も大切だけど、圧力も操れるようになりたいな。錬金術がぐっと使いやすくなると思うの」
グレンにノートを広げて見せたら、彼はそれには目も留めずサッと魔法陣を展開し、三重防壁の状態をチェックしてうなずいている。
「だいぶ魔素が乱れなくなったな」
グレンはグレンで、わたしの体調を気にしていたみたいだ。
「うん。これならひとりで留守番できるでしょ?」
辛抱強く体調を観察しながら、錬金術をグレンから教わる。片づけや料理をしながら、ヒマな時間はいろいろなことを試す。
「どうかな……ひとりにして魔力暴走を起こさねばいいが」
顔をしかめたグレンはあごに手をやり、思案するように目を伏せた。王都にも仕事があるらしく、グレンはたまに魔法陣を使って転移し、またすぐに帰ってくる。
あれからちゃんとエルリカの街に、連れていってもらったけれど、そこでわたしはひどい転移酔いになってしまった。
そのまま魔力暴走を起こしそうになったわたしを、グレンはあわてて眠らせて連れ帰った。意識が沈む感覚のなかでようやく、わたしは暴れ回る魔素の存在を感じとることができた。
家と地下の工房を結ぶ転移陣には慣れたけど、長距離だとどうなるかわからない。だから転移陣を踏んで王都へでかけるグレンを、そのまま何度も見送った。
ひとりでこの家を抜けだして、どこまでも歩くなんて無謀なことは一度で懲りた。半分遭難しかかったところを、グレンが旧式のライガを操縦して迎えにきてくれた。
(あのときはまだ、庭もそんなに歩いたことがなかったし……)
無造作に柵で囲んだだけに見えるデーダスの庭は、ちゃんと風よけの結界に守られており、今ではわたしのために畑や、ロープを張っただけの洗濯物干し場などもある。
小さな丸い窓から見える空は美しいけれど、たまに孤独に押しつぶされそうになる。空を飛ぶための〝ライガ〟は、まだ設計図を描きはじめたばかり。
(空から地上を見おろせたら、また気分も変わるかな)
ボワボワになった赤茶の髪を苦労してまとめながら、ふと手足を伸ばしてゆっくりお風呂につかりたくなり、つぶやきが口からこぼれる。
「お風呂に入りたいなぁ」
「をふりゅ?」
またよくわからない単語に変換されたのか、グレンがけげんな顔をした。
「えっとね、水槽というか浴槽にお湯を張って、そこに人間がつかるの」
彼はますますわからない顔をして首をひねる。
「人間を湯につける?煮るのか?」
「ちがーうっ!煮ないから!」
……まずはそこから説明しないとだったよ。
「お湯の温度は四十度ぐらいね。全身の血行がよくなって疲れもとれるし、リラックスするんだよ」
「ふむ。術式を使わず体調を整えるのか」
「まぁ、そうだね。あっちでは術式なんか使わないし」
ミストグレーの瞳に興味深そうな光がきらめき、グレンはメモをとり始める。わたしにとって、こちらで目にする魔法が珍しいように、彼にとっても未知の世界である、あっちの話はおもしろいらしい。
「家にもお風呂があるけれど、みんなが集まる大きなお風呂もあってね、泡がでるジャグジーとか、景色が楽しめる露天風呂とかあるの」
ふたりでカウンターに並んで座り、わたしは絵を描いて一生懸命、お風呂のことをグレンに説明する。
さんざん説明を聞き、納得したようにうなずいてペンを置いたグレンを、わたしが期待して見守っていたら、彼の口から飛びたのはそっけないひと言だった。
「だが浄化の魔法がある。そんなものは必要ない」
「もう、グレンってば!」
わたしは自分のほっぺたをふくらませ、ちょっと偉そうにひとさし指を立てた。
「お風呂があったら、わたしが幸せな気持ちになるの!」
「幸せな気持ち?」
グレンが目をまたたかせる横で、わたしはため息をついて自分で描いたお風呂の絵をなでた。ザラリとした紙に平面で描かれたお風呂、その世界に入っていければいいのに。
「そうよ、ジャグジーがあったら最高なんだけどなぁ。錬金術を使うときは、だれを幸せにするかを考えなきゃね!」
「わしは……錬金術でだれかを幸せにしようとは考えもしなかった」
ボソボソと低い声で語るグレンに、わたしはポンと自分の胸に手をあててみせる。
「じゃあまずは錬金術で、わたしを幸せにしてみてよ」
「お前を?」
顔をあげた老錬金術師に、わたしは何もわからず勝手なことを言った。
「そ、まずはやってみないとね。お風呂でしょ、それにおいしいものも食べたいし、かわいいものやキレイなものが見たい。空だって飛びたい。自由にどこへだって行きたい」
「……多すぎないか?」
顔をしかめたグレンにかまわず、わたしはスツールから飛びおりて、くるりと回ると宣言した。
「『がまんするな』って言ったのはグレンじゃん。それにグレンがいなくたって、わたしは教わった錬金術でそれを実現するんだから」
グレンは力なく笑い、ゴツゴツした手でローブの胸元を押さえた。
「わしがいなくても、か……願いを望み通りかなえても、人は幸せになれるとは限らぬ」
「もちろん感じかたは人それぞれだけど……わたしは錬金術を覚えたら、まずはわたしを幸せにする。それから他のだれかも楽しませるの。そういう錬金術をやるんだから!」
この世界のこともよく知らずにまくしたてるわたしが、彼の目にはどんなふうに映っていたかなんて、今となってはわからない。
「…………」
黙りこんだグレンに不安を感じて、わたしはミストグレーの瞳をのぞきこんだ。
「グレン……わたし変なこと言った?」
「いいや、ネリア……お前が正しい。人を幸せにする錬金術を、お前なら使えるだろう。願わくば……」
それだけ言って彼はきつく目をつむり、首を横に振るとククッと楽しそうに笑った。
「いや、何でもない。ネリア、お前は錬金術など使わなくとも、人を幸せにすることができる。わしが知るすべての知識を伝えよう。それならおもしろいことになりそうだ」
「おもしろいことって……まぁ、好きにやらせてもらいますけど」
「そうだな、好きにするといい。この老いぼれの残りの命は、お前を幸せにすることに使うとしよう。その紙をよこせ」
グレンはわたしが描いたお風呂の絵もまとめて、どこかに持っていってしまい、そのあとデーダスをいくら片づけても、その絵は見つからなかった。
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