502.リコリス山荘
ようやく温泉にやってきました。
リコリス温泉は町から離れた山の中にあるという。
近くに建てられた領主の山荘へと案内するリョークの説明では、ヌーメリアの両親はそこをよく利用していたらしい。
「弱いけれど湧きだす魔素もピリッと感じられますよ。アメリア様も冬はこちらで静養されておりました」
「ほう……その割にはずいぶん寂れておるな」
「華やかな催しを好まれた先代と先々代は、ここを放置されたんで。温泉のほかは鳥のさえずりや川のせせらぎぐらいしか、楽しめるものがありません」
カーター副団長に手を引かれたアナが、息を弾ませながら声をあげる。
「それこそ都会暮らしの私たちには、とてもぜいたくだわ。ねぇ、あなた」
「うむ。アナ、足元が滑るから気をつけろ」
「あら、私の脚でも歩きやすいわよ。オーランドさんが整えてくださったの?」
その声に前をサクサクと進んでいたオーランドがふり向き、ライアスそっくりのさわやかな笑顔でうなずく。
「はい。手配して道は整えましたが、魔導車では入れない山道ですから、執政官も山荘は利用しておりません。ですが修復の魔法陣が働いていますし、建物自体はいつでも使えますよ」
「ネリス師団長が『温泉いいですよ、お肌がプルプルになるんです!』と力説していらしたから、とっても楽しみよ!」
これからはアナも人前にでる機会が増えるのだ。お肌のコンディションがいいに越したことはない。カーター副団長は油断なくあたりを見回した。
「このあたりには魔獣はでないのか?」
「リコリス家の生業である薬草には、魔獣除けの効果もあります。だから薬草園が荒れるのは好ましくないのです」
そうして半アウルほど歩いたところで、樹々に囲まれて建つログハウスに一行は歓声をあげた。
領主が建てたという大きなログハウスは、二階建てで煙突もついており、広々とした屋内には複数の寝室だけでなく、大きな暖炉がある居間や図書室に、バーカウンターのある娯楽室、楽器が置かれたホールまである。
「すごいわ、想像していたのはもっとこう……小屋みたいなものかと。山奥なのがもったいないわねぇ」
部屋を見て回ったアナが感心していると、山荘内を探検していたメレッタから、あわてた声でエンツが飛んでくる。
「お父さん、すぐにきて!」
「何だ」
「図書室の奥でカディアンが魔道具を見つけたの!」
副団長たちが図書室に駆けつければ、本棚がならぶ奥にも扉があり、メレッタがそこから手招きしている。
「すごいのよ、ぜったいびっくりするわ!」
カーター副団長もその部屋に、一歩足を踏み入れるなりうなった。
「リョーク、お前はこれを知っておったのか?」
大人の背丈よりも大きい、計器類がたくさんついた魔道具は気圧や風向き、湿度の変化などから気象を予想するもので、おそらく三十年近く前は最先端のモノだったろう。
「は、はい。けれどとっくに処分されたものだとばかり……先代も先々代も、高価な魔道具は売り払われましたから」
「……大きすぎたのだろう。転送魔法陣でもなければ運びだせん。それに売り払うにも高価すぎる。こんなものを買えるのは、それこそ領主ぐらいなものだ」
「動かせますか?」
リョークに聞かれて、カーター副団長は魔道具を調べ、首を横に振った。仕組みは海洋生物研究所の灯台にあったものと似ているが、動力源となるはずの魔石はすべて取り外されていた。
「魔石は外して売り払ったのだろう。このままでは動かすことはできん」
「ですがガルロシュ様は、『温泉から湧く魔素を利用する』と言われました!」
食いさがるリョークの目に宿る真剣な光に、カーター副団長は悟った。彼が語って聞かせた話、工房で見せたもの……すべてはこの魔道具のためだったのか。
「気候を予測できれば、リコリスの町は助かるな。まかせておけ!」
言うなりカーター副団長は懐からバッと小冊子をとりだした。
「私にはネリス師団長直伝の書がある。これでリコリス温泉を制したも同然!」
その表紙にはネリアの丸っこい、たどたどしい字で『温泉の入り方』と記されており、オーランドが銀縁眼鏡をキラリと光らせる。
「秋の対抗戦で、魔術師団と竜騎士団双方を叩きのめした、ネリス師団長直伝の書とは……拝見してもよろしいですか?」
「かまわんが、それなりの働きはしてもらうぞ」
副団長は目をギラリと光らせて応じる。どんなものでも交渉材料にして、自分に有利な条件を引きだそうとする、彼のねちっこさはここでも発揮された。
もったいぶって渡された小冊子をペラリとめくり、オーランドは一ページ目で衝撃に固まった。ずれそうになる眼鏡をあわてて押さえ、まじまじと文面を眺めて読みあげる。
「『着衣禁止』だと……これを本当にネリス師団長が⁉️」
いうまでもないことだが、外にある天然の温泉では、ひとびとは入浴着を着用する。遠征時の野営でもない限り、裸で入浴するなどあり得ない。
フン、と鼻を鳴らして副団長は応じた。
「常識にとらわれていては、錬金術師など務まらん」
「さ、左様ですか……」
いや、待て。着衣禁止……ネリアがわざわざ書くぐらいだ、何かイミがあるのだろう。オーランドは気を取り直してページをめくる。
・髪はまとめること。
・入る前に身を清め、手足にかけ湯をして湯の温度に体を慣らすこと。
・入浴の前後で水を飲むこと。
「『着衣禁止』以外は、健康に配慮した注意と思われますが……」
わからない。なぜ一ページ目にでかでかと、『着衣禁止』と書かれているのだ。考えこむオーランドの横で カーター副団長がグッと拳を握る。
「私とてあの師団長の考えなど、さっぱりわからん。だがいくら考えても答えは出ないぞ。ならばやってみるのみ!」
「お、俺もやります!」
弟子であるカディアンもその勢いに押されて声をあげ、それからオーランドに小さな声で確認した。
「オーランドもやるよな?」
「いえ、私は……」
補佐官とはいえ、何もそこまでつき合う必要はない。むしろカーター副団長はともかく、カディアン王子は止めるべきだ。だがネリス師団長がわざわざ書いている以上、何か意味がありそうな気もする。
それにリコリス温泉こそが、今回の旅の目的でもあった。
「……お供いたします」
「うむ。いざ参ろうぞ!」
さすがにアナとメレッタは内湯を利用することにして、リョークとクオード、オーランドとカディアンが川のそばにある温泉へと向かった。
「それで何かわかりましたか?」
眼鏡を外したオーランドが湯につかり、木漏れ日に輝く金髪をかきあげると、雫が垂れて光を散らす。カディアンはネリス師団長の指示通り赤い髪を束ね、岩と岩の間に身を隠すようにしてしゃがんでいる。
「うむ……」
渋い顔をした副団長に今わかっているのは、温泉に入っている四人の中で、一番貧弱な体つきなのが自分だということだ。
鍛えているオーランドやカディアンもだが、ふだん農作業をするリョークも腕ががっしりしている。
カディアンに飛びかかって投げられた屈辱が、副団長の脳裏によみがえった。ハッキリ言っておもしろくない。
「おぬしら、そろいもそろって屈強そうな体つきをしおって……」
湯に浸かったままブツブツと文句を言えば、オーランドが腕組みをして、ムダに大胸筋が盛りあがる。
「副団長も鍛錬されますか」
「私がか⁉」
クオードはぎょっとしたけれど、蒼玉の瞳をキラキラと輝かせたオーランドは大真面目だった。
「もちろんです、汗を流す爽快感、自分を追いこむ緊張感、そして筋肉を緩めるときの深い呼吸……どれをとってもいいことづくめです。鍛錬を重ねれば実感されるでしょう。何より筋肉は裏切りません!」
さわやかに言いきったオーランドが、両の拳をガッと合わせると温泉の飛沫が飛んで、岩の陰にいたカディアンが「ヒッ」と小さく悲鳴をあげた。












