5.クオード・カーター副団長
そのころ錬金術師団の研究棟では、今年四十歳になる副団長のクオード・カーターが、びくともしない師団長室の扉に向かって吠えていた。
「ネリア・ネリスだと!? ふざけるなっ!」
彼は魔道具師から転職した異色の錬金術師だ。大手の魔道具工房に勤めていた二十代のとき、彼はたまたま王城でグレンの錬金術を目にし、作製されたオートマタにも魅せられた。
『偏屈で人嫌いの老人だが、その手が生みだすものは美しい』
貴族たちからも賞賛されるほどの腕前に、魔道具師としての好奇心が湧いた。対象をつぶさに観察する姿勢や、選びだす素材の組み合わせ……すべてが刺激的だった。
錬金術師としてのスタートは遅かったが、クオードは王城で必死に努力し、魔道具師だった腕も生かして活躍した。
三十代で現役を退く竜騎士とちがい、魔術師や錬金術師の世代交代は遅い。実力主義の王都三師団で認められるには、まず実績を積まなければならなかった。
グレンは自分の研究にしか興味を示さない。クオードは師団長ならやらないような、雑用に近い細々とした錬金も引き受け、あちこちに頭を下げて貴重な予算を確保した。
けれど彼はどれだけ努力しても、グレンを超えられなかった。
ボサボサの銀髪から〝銀の錬金術師〟と呼ばれる男は、魔力の高さやその技術から、だれもが認める当代一の天才錬金術師だったのだ。
クオードは作戦を変えた。グレンに認められるため実務を取りしきり、研究棟で働くクセの強い錬金術師たちをまとめた。そうしてついに彼は、副団長の地位につくことができた。
気難しくて扱いにくい上司ではあるが、グレンはクオードのやることにいっさい口をださない。しかも四年前に、王都を遠く離れたデーダス荒野に家を建ててからは、そこに引きこもるようになった。
カーター副団長はそのあいだに、王城で根回しを済ませて錬金術師団も掌握した。
(反対する錬金術師もおるまい。私こそが次の師団長だ!)
許可がなければ副団長でさえ入室できなかった、いくつもの防御結界が施された最奥、守護精霊エヴェリグレテリエが護る扉の向こう、錬金術師団長室。そこへ足を踏み入れる日を、クオードはひそかに楽しみにしていた。
手に入るのは地位だけではない。あの天才錬金術師が長年かけて築いた知識、試行錯誤を記した研究資料、世界中から集めた稀少な素材……錬金術師としてはどれもほしい。
もしもグレンが持っていた錬金術の知識があれば。
そして彼が遺した研究資料をつぶさに読んだなら。
そこに集められた稀少な素材を使えたなら。
カーター副団長でも研究を発展させ、グレン以上の功績を残せるかもしれない。
不可能を可能に、運命すらもねじ曲げて奇跡を起こすといわれる錬金術師の力を手にして、彼の名を歴史に刻むことができる。
――ところが。
『次の錬金術師団長にはネリア・ネリスを指名する。我が死と同時にすべての権限が譲られる』
(……は?)
グレンの死により魔法陣が発動した瞬間、クオードは固まった。
(ネリア・ネリスとは……何者だ?)
老いたグレンの次に師団長となる者は、彼しかいないはずなのに。国内の主な錬金術師を思い浮かべても、『ネリア・ネリス』という名はでてこない。
念のため魔術師団長のレオポルド・アルバーンに問い合わせても、心当たりはないという。
(グレンは天才だった。だがネリア・ネリスは?)
「無名の錬金術師が、グレンの遺したすべてを引き継ぐなど認められん。ネリア・ネリスに封印を解かせたら、師団長への就任は辞退させる!」
カーター副団長は落ち着きをとり戻すと、弟子のオドゥ・イグネルに声をかける。
「オドゥ、グレンの家がデーダス荒野にあったな」
「はい、カーター副団長。シャングリラから魔導列車で三日、エルリカの街郊外にある荒れ野です」
呼ばれたオドゥは深緑の目を細め、黒縁眼鏡のブリッジに指をかけて答える。こげ茶の髪で中肉中背、目立たない平凡な顔つきの男だが、歳は二十三でレオポルドやライアスとは魔術学園の同級生でもある。
よく気がつき目端も利く男で、カーター副団長も彼を重用していた。
「そこに行き、ネリア・ネリスについて調べろ」
「わかりました。ですが竜騎士団も動いているかと」
オドゥが眼鏡の奥から探るような視線を寄越すと、副団長も渋い顔をした。
「魔術師団長にまで声をかけたのはまずかったか。グレンの遺産は錬金術師団のものだ。だれにも渡さん!」
オドゥやほかの錬金術師たちは、だれも彼に反対しなかった。研究棟での生活をおびやかされたくなかったし、グレンの遺産にも興味があったからだ。