499.ヌーメリアの涙
『魔術師の杖』8巻、今秋発売決定です!
こちらもお楽しみに!
「でもちょっと心配だわ。こんなこと人を疑うようでしたくないんだけど……」
アメリアは灰色の瞳をくもらせた。
「メラニーに話を聞いても、彼女の旦那さんの仕事……ハッキリしないの。とても羽振りがよさそうなのに」
「投資もしているというよ。グワバンまで魔導列車の線路をひく計画があるそうだ。僕も勧められたんだが、街道整備の費用を貯めるので精一杯だからね。僕はやりくりがヘタだから、いつもアドバイスをくれるんだ。頼りになる従弟だよ」
「そうね、ごめんなさい私……ちょっとだけ疑ってしまったの。この車の費用、街道整備の資金から出ているんじゃないかって」
心配そうに眉を下げたアメリアを、ガルロシュは驚いたような顔で振りかえり、魔導車のスピードを少しだけ落とした。
「そんな心配をしていたのか。だいじょうぶだよ、彼はそんなことしない。それに明日になればハッキリするよ」
「え?」
ガルロシュは魔導車を滑らかに操作しながら答える。
「この魔導車を整備してくれたリョークはとても腕がいい。彼のような職人がグワバンから戻ってきてくれたのはラッキーだった。魔石ひとつで暮らしはずいぶん楽になるからね。リコリスにある温泉を、魔素の供給源として利用できないか考えているんだ」
「温泉を?」
「うん。従弟には相手にされなかったけど、リョークと相談しながら計画しようと思う。だけど彼のお父さんは具合が悪くて……だからまず病院を建てるつもりだ」
「病院ですって⁉️」
驚いたアメリアにガルロシュは何でもないことのようにうなずく。土地のことを考え、住民のことを考える……彼は生粋の領主だった。
「それならリョークも安心して働ける。それにヌーメリアが通うことになる学校も整備したいんだ」
「ガルロシュったら、そんなことまで考えていたの?」
「そうだよ、僕なりにいろいろ考えたんだ。このままだと街道を整備しても、みんなグワバンに出ていって、リコリスはどんどん寂れてしまう。町のみんなが安心して暮らせるように、まず基盤を整備したい。こういうムダ遣いなら許してくれるかな?」
「ムダ遣いなんかじゃないわ、すばらしい計画じゃない!」
心配そうに自分を振り返る夫を、灰色の瞳を潤ませたアメリアが力強く励ます。ガルロシュはそれに勇気づけられたように続けた。
「だから街道整備の計画が五年……いや十年ぐらい遅れてしまうかもしれないけど、明日の朝になったら書斎の金庫を開け、今ある資金を数えて帳簿も調べ、計画を練り直すつもりだ。だから明日にはきちんと調べられるよ」
「そうだったの……」
アメリアは軽率に他人を疑ったことを恥じたけれど、ガルロシュはそんな妻のようすに、資金繰りの心配をしているのだろうと思った。
「もう病院建設の費用は払い終えている。だから残っている金額を確認して、しばらくは書類と格闘だ。そう言ったら従弟が『お前はすぐアメリアさんを放ったらかしにするから、今日はふたりで出かけて、彼女に罪滅ぼしをしとけ』って。図星だよ。ホントごめん、アメリア」
「いいのよ、領の経営だって楽じゃないわ。あなたが本当に一生懸命なのは知っているもの」
「だけど……きみに領主夫人らしい暮らしをさせてやれない。従弟がメラニーを着飾らせて連れ歩いているのを見ると、申し訳なくなるんだ」
薬草園を経営するだけで、さしたる収入源もない地方領主。そんな男のもとに嫁いで来たアメリアは、穏やかなほほえみを浮かべ、夫を優しくさとす。
いつも済まなそうな顔をする夫と、このやり取りは何回だってしたのだ。
「私はメラニーと違って、華やかな場所が苦手なの、知っているでしょう。宝石は実家から持参したものがあるし、それでじゅうぶん。ドレスを仕立てるぐらいなら、町のみんなと年に一度の夏祭りを楽しめればそれでいいの」
「ああ。だが待っていてくれ。ヌーメリアが十二歳になるまでには街道の整備を終えて、みんなで王都に行こう。あの子には魔力の兆しがあるのだろう?」
王都にあるシャングリラ魔術学園、そこにはエクグラシア中から魔力持ちの子が集められ、魔力の制御を覚えて使いかたを学ぶ。
「ええ、でも兆しだけよ。私は生活魔法ぐらいしか使えないし……」
アメリア自身は魔術学園で学んだことはなく、生活魔法も独学で魔術書片手に覚えたものだ。
「そんなことない。リコリスの家から魔女が出るなんて数代ぶりだ。そのうちリョークに魔力制御の腕輪を作らせよう。あれは特殊な部品がいるらしいんだ」
ガルロシュは興奮したように言うと、新式の魔導車のスピードを上げた。ヌーメリアの話ばかりすると、またアメリアが帰りたいと言いだすかもしれない。
もう少し妻とふたりで、こうして話をしていたかった。
「王都にあの子を連れて行ったら、みんなで遊覧船に乗りたいな。それにまたきみを連れて大劇場に行きたい。その時はエスコートさせてくれるかい、僕のかわいい奥さん?」
アメリアはクスクスと笑った。さっきまで心のすみにモヤのように引っかかっていたものは、ウソみたいに消えた。本当は彼女も夫とふたりで出かけるのを、とても楽しみにしていたのだ。
「私をエスコートするのはガルロシュ、あなた以外にいないでしょ?」
――事故は一瞬だった。
衝撃の強さにヌーメリアがびくりと身を震わせると、構築された繊細な魔法陣が、糸が解けるように崩れ、彼女は自分の体に還ってきた。
ついさっきまでたしかに、アメリアの笑い声やガルロシュの朗らかな声を、魔導車のガタガタとした振動とともに、すぐそばで聞いていたのに。
暗い工房の奥でじっと動かずにいた体の感覚が戻れば、彼女はいつのまにか泣いていた。
リョークが少し離れて、心配そうに彼女を見守っている。
「あ……」
「ヌーメリア様、戻られたんで?」
ヌーメリアは声をかけてきたリョークを振りむき、パチパチとまばたきをした。灰色の瞳から大粒の涙がこぼれて床に落ち、それでもまだ何かが、体の芯からこみあげてくる。
「リョーク、私ね……お父様とお母様にお会いしたわ……」
不思議なことに心の中に激しく吹き荒れる感情は、悲しみでも怒りでもなくて。
「ふたりとも楽しそうで、幸せそうで……お母様は私のこと、『可愛い』って……」
「ヌーメリア様……」
「お父様は私が大きくなったら王都に連れて行ってくださるって……みんなで遊覧船に乗ろうって……」
ヌーメリアは両手で顔を覆うと、きつく目をつむる。体の奥から抑えようのない感情が、どうしようもなく強い力で噴きあげてくる。
叫びとともに彼女の体からほとばしったものは、ただ純粋な光そのもののような喜びと……そして安堵だった。
「私、愛されていた……ちゃんと愛されていたんだわ!!!」












